浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

五十路過ぎ振り返り見ば
我が人生罪と恥との
積み重ねなり

「講演集」より。

2015-08-16 01:44:03 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

             恩師のご著書「講演集」より


                講演、四


         死に際して、私たちが救われるには


人の肉体が造られた時、すでに苦しむには、苦しむ原因がちゃんと
与えられているのです。
自分のいとしいものを人がいじめた時、憎いと思う人をかばう人がいた時は、
腹が立つようになっているのです。
自分のものを奪いにきた時は、これを守ろうとして苦しみます。
病気、年老いること、やがて死んでいくこと、
これらも避けることができないように造られています。
今日こうして生きさせていただいておりますが、
私たちは永遠に生きるかのような錯覚を起こしております。
ご近所の方が亡くなると、「ああ、お気の毒になあ」と、
人ごとのように思っておりますが、その死はやがて自分に訪れる姿です。


              ~ 感謝・合掌 ~


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「講演集」より。

2015-08-15 19:28:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ パソコンの故障により本日現在まで投稿ができず、
  皆様に大変ご迷惑をおかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます。
  やっと修復が完了しましたので再度投稿を開始いたします。
  今まで同様によろしくお願い致します。


              恩師のご著書「講演集」より


                 講演、四


           神の御心の如く、求めずただ愛を与えよ


私たちは、自分に目覚めた時、人様の為に何らかのお役に立たなくてはいけないのです。
お役に立たせていただくように、ただただ求める心なしにさせていただくことです。
もし、求める心を持てば、良き行いをしたと思いましても、
求めて与えられない時は、必ず苦しみが伴ってきます。
人間として生まれた以上、求めて得られない時は、苦しむように作られているのですから、
求めてはいけません。

たださせていただくことです。
家庭の中で、職場の中で、或いは友達の中で、たださせていただくことです。
愛とは求めるものではなく、与えさせていただくのがほんとうの愛です。
愛はただ与えるのみ、その時、代償として相手の方から愛が注がれます。


              ~ 感謝・合掌 ~






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oshirase

2015-08-07 07:09:01 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

私のラップトップが壊れています。

だから私はすべてのアップロードできません。

私のラップトップは、修復中


私のラップトップが修復されるまでお待ちください。

2、3 日必要になります。

ご理解いただきありがとうございます。

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「講演集」より。

2015-08-05 23:56:12 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

            恩師のご著書「講演集」より


                講演、四


             まことの神の御姿と御心


まことの神様は、形あって形がありません。
天地に現れた自然の万象万物こそ、神の御姿です。
形無くして、すべてを生かそうとされる自然の力、この力こそ、
本当の神様です。
殊に、人類を形あるものとして、この地上に現わしていただきました。

そして、私たちが見えることのできない良心の囁きとなって、
神はその証しを立てられます。
悪いことをしてはいけない、良いことをしなくてはいけないということを、
その良心が知っています。
神は、人類一人一人に対して、人種に関係なく地球上の全人類に対して、

「いとしいわが子たち いとしいわが子よ そなた達は幸せに生きよ 
健やかに生きよ 己自身を苦しめることなかれ 
己を大切にし己を大切にするが如く他を大切にせよ 
汝らの喜びは我が喜びなり 汝らの苦しみは我が苦しみなり 
いとし子よ自らを苦しめることなかれ 
自らの魂に目覚めよ自ら作った過ちを悔い改め 自らの心を清め 
私の胸の中に帰りなさい 我が胸の中に帰りなさい 
私は愛ゆえにあなた達を形として現わした 厳しい世界へ旅をさせたものである 
いとしいが故に旅に出したものである
自らの心に目覚め 自らを知って私の胸の中に帰りなさい
ただひたすらに待ち望むものである」と言われます。

私たちは神から、この形として現れた現象世界へ、いとおしいが故に、
自らの魂に目覚めるが為に、神のみ許を離れて、
この地上に旅に出てきているのです。
ですから、神は私たちをいとおしい、いとおしいと言われます。
それほど大きな神様の思いの中に、私たちは生きさせてもらっているのです。
それに目覚めた時、大いなる安らぎ、大安心の中に日々を送ることができます。


              ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-08-05 00:58:51 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「講演集」より


          講演、四


       えびす詣でと、大黒様


先の続き・・・

神様というのは、一銭のお金も要求されません。
神様の世界と私たち人間の世界とは、次元が違うのです。
神は、人間のお金などはびた一文必要とされません。
その証拠に、皆様のお宅に神棚がありましたら、
一万円札を置いてみて下さい。

「神様、このお札をお供えさせてもらいますから、どうぞ使って下さい」
と言いましても、ねずみが持っていかない限り、
何年経っても、置いたままになっているはずです。
神様はお使いにならないという証拠ですね。

誰がお金を必要として、誰がそのお金を使っているのかというと、
それは全部人間が使っております。頭に毛の生えた、神の名を騙る者が、
神に供えたお金を使っております。
特に宗教においてそうですね。


            ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-08-04 00:14:42 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


             講演、四


          えびす詣でと、大黒様


先の続き・・・

或る若い衆がいて、仕事嫌いのなまくらで、
何とか仕事をせずにお金を儲ける方法はないものかと考えまして、
「一度、大黒様に打ち出の小槌を振ってもらったら、
福が出るかも分からない」と思って、大黒様に願かけをしたのです。
仕事もせず、毎日毎日、「どうぞ、打ち出の小槌を振って小判を出してください」
とお参りを続けて、満願の日になりますと、突然、大黒様が打ち出の小槌を
振ったそうですね。

いよいよ小判が出るのかと思っておりますと、大黒様がこのようにおっしゃったそうです。
「この槌は宝与える槌でなし、なまくら者のどたま打つ槌」つまり、一生懸命
働いたら、福は入るものだというこを教えておられるのです。
仕事をしない者は頭を打ってやると言って、槌を持っておられるのだそうですね。
そんな大黒様に対して、「どうぞ、福を出して下さい」と言って、
お参りするほうがおかしいのです。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-08-03 00:15:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


              講演、四


          えびす詣でと、大黒様


示し申す神こそ、まことの神です。
このまことの神を信じたらいいのです。
日本にはいろいろ八百万の神がおられますけれども、
そういう神々を、初詣でと
いってお参りするのも、悪くはないでしょう。
しかし、ほんとうの神様はただお一人であるということを、
しっかり知ることです。

大阪のえびす様には、正月三日間のお賽銭が何億円と集まるそうですね。
これは、「えびすさんへ参って福をもらってこようか」と言って、
皆さんがお参りして、賽銭を上げて、何か食べて、電車賃を使って、
帰ってくるのです。
帰ってきますと、一万円持っていったとして、その内のいくらかが減っています。
これは、福をもらいにいっているのではなくて、福を失いにいっているのです。

福をもらったのは誰かというと、僅か三日間でたくさんの福をもらわれたえびすさんです。
えびすさんはホクホクです。
そして、福をもらいにいったはずの人は全部福を失っています。
これが現実ですね。

もし一万円持っていった人が、家に帰ってきて財布を開けると、
「あら、一万五千円になっている」というのでしたら、
五千円の福をもらってきたことになりますが、そんなうまいわけにはいきません。
大黒さんも福の神で、あの打ち出の小槌を振ったら、福が出て来る、
小判が出て来るといいますが、あれは真っ赤な嘘です。


               ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-08-02 01:50:41 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

            恩師のご著書「講演集」より


                講演、四


          「水」が教えてくれる自然の法則


バケツ一杯の水を汲んできて拭き掃除をしますと、
自ら汚れを吸収して他を清めていきます。
雑巾をかけますと、自ら汚れや埃を吸い取って清めてくれます。
私たちも、自分を犠牲にしてでも、他の汚れである苦しみを吸い取ってあげる
ぐらいの愛が必要ですね。

そのバケツの中の水は、雑巾をすすぎますと、ドロドロになりますが、
そのようになっても、水の本質は忘れておりません。
前栽の植木に、水をかけてやりますと、水は低きに流れます。
汚い木の枝や葉やゴミはどうぞ上にあがって下さい、
私は下を通らせてもらいますと、すべてを持ち上げて、自らは低くなります。
私たちも水にならって、自らを低く他を持ち上げて生きることですね。

普通、私たちは、人よりも少し優れていたり、
ちょっとでも変わったところを持っておりますと、
「ああ、私はこんなことができる、私は偉いのだ」と思って、
自らを高く評価します。
自ら高くなった時、他はその人を引きずり下ろそうとします。
必ず周りは下ろしにかかります。

そして自ら低くなった時、他はその人を持ち上げようとするのが自然の法則です。
水は低きに流れても、蒸発しますと、何ものよりも高く上に昇ります。
日々の生活を常に低く低く生きることです。
これは、自然が教えてくれています。
「私は偉いのだ」と、自ら偉ぶっている人は、ほんとうは偉くないのですね。
実るほど頭の垂れる稲穂かな
この句を、私たちは幼い頃から嫌というほど聞かされています。
稲穂は実るほど頭を垂れてきます。

しかし、頭を垂れない穂もあるのです。
それは、まだ実らない間に、雀が米の汁をみな吸ってしまった穂で、
全部突っ立っております。
人間も同じことで、「自分は偉いのだ」と言って、反り返っている人は、
魂の中が吸い取られて空っぽになっていると思えばいいのですね。
自分で自分を偉いという人がいたら、「へえ、偉いんですなあ、お宅は偉いんですなあ」と、
繰り返し褒めてやりましたら、しまいにはもう偉そうにしなくなります。
相手が「自分は偉い」と言った時、「そんなことはない」と言うと、
喧嘩になりますから、偉ぶる人には、こちらも「偉い、偉い」と褒めてやると、
偉ぶるのを止めてしまいます。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-08-01 00:22:08 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


               講演、四


          「水」が教えてくれる自然の法則


水は高い所から低い所へ流れますが、これは自然の法です。
「法」とは、水が去ると書きます。
この「水」は、私たちにいろいろのことを教えてくれます。
冷たくなれば氷となり、熱を加えれば目に見えない気体となり、
常温では水として、融通無碍の姿を現わします。

この水差しに水を入れますと、忽ちにして水差しの形に従いますし、
コップに注げばコップの形に従ってきます。
水は、「方円の器」に素直に従いますけれども、
水としての本性は決して忘れません。
私たちは、一生の間にさまざまな環境に変わる場合があります。

女性の方は生まれ育ててもらった家から、やがて結婚して、
環境も教育も思想も全く違うところへ変わるのですが、
「私の育った所はこうだったから、コップの中には入らない」と言って、
頑張って喧嘩しているお譲さんがあります。
しかし、嫁げばその環境に素直に従わないと、幸せにはなれません。
水はどんな器の中にでも素直に従います。


              ~ 感謝・合掌 ~



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