浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

偉大なる光の王に導かれ
我が身は動き口は語らん

「御垂訓」

2017-10-17 00:05:37 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第一章 或る愚か者の生涯

          ◆催眠術をかけて遊ぶ◆

私は昭和六年に大阪と奈良の県境に位置する
南河内郡(現在は柏原市)国分町に生まれました。
大和川の上流で河内嵐山と呼ぶくらい風光明媚なところであり、
頼山陽ゆかりの歴史ある土地柄でもあります。
農家に生まれ、男の兄弟が四人、女の姉妹が四人おりました。
十一歳上の長姉、十歳上の長兄、それから二人の姉をはさみ、
私は五番目、その下には弟二人、いちばん末が妹でした。
昔は、子供がよちよち歩きができるようになるまで成長すると、
どこへ行くかわからず危ないので、
倒れないように底の四方に足がついている木製の箱に子供は
入れられていました。
箱の外には小さなおやつ入れのやはり箱状の入れ物が付けられています。
この子守り箱の中に私も誕生一年前後には入れられて遊ばされていました。

母が用事をしている間は、
ときどきここに置き去りにされて泣いてしまうこともありました。
兄弟はみんなこの箱の中で大きくなったのでした。
これが最初の記憶です。
その次の記憶の糸をたぐると、こんな光景が脳裏浮かびます。
二つ年下の弟が母の背中におんぶされ、
私は母の温かな大きな手に引かれています。
父が畑仕事から帰る夕刻になると、
私の家から五~六00メートルほど離れた山のお宮さんの下の
竹藪がおおいかぶさって昼なお暗い道を歩いて父を迎えに行くのです。
もうあたりは薄闇が降りている時分です。
その怖い道を、「お父ちゃん、帰っといで。
山のケンケンなっこるで」と何度も繰り返し
歌を口ずさみながら、母は私たちを連れて父を迎えに行くのです。
ケンケンとは狐のことです。
「お父さん早く帰ってきてください。
もう山の狐が鳴きますよ」という意味です。
よちよち歩きの頃です。


        ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2017-10-16 00:08:09 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


           第一章 或る愚か者の生涯


       ◆葡萄一粒で故郷を捨てた少年時代◆

先の続き・・・

それ以来、良心の呵責に耐えられなくて、
とうとう生まれた故郷をあとにすることに決めました。
もちろん、親は反対しました。
田を私にも譲り、家を建て、いなかで分家してほしかったと思います。
それから、関西汽船に入社し、別府航路の船に乗ることになりました。
そして、はじめて他人のつくった飯を食い、
親から離れて世間というものを知って、親の有難さを知りました。

葡萄を一粒かすめようとして見咎められたくらいで、故郷を去るなどとは、
ずいぶん潔癖という変わった子だったと思われる方も多いかと思うのですが、
たしかに私という人間は幼少の頃よりふつうの子とは
変わったところがありました。
たとえば、両親が野良仕事に行くと、私も田畑についていって、
そこでおとなしく遊んでいます。
泥をこねて仏様をつくったりしていました。
仏様に象るなどというのは、あまり子どもらしくないかもしれませんが、
なぜか私はそんな遊びをしました。
そして、できあがった泥仏に向かい手を合わせていました。
また、昆虫や魚も自分の想念で自由に動いてくれました。
小学校の友達に催眠術をかけたりということが
自然にできてしまうのでした。
これなどもどう見ても風変わりなふるまいです。
今から思えば、かなりヘンな子だったようです。


         ~ 感謝・合掌 ~



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「御垂訓」

2017-10-14 23:45:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


           第一章 或る愚か者の生涯

         ◆葡萄一粒で故郷を捨てた少年時代◆

先の続き・・・

さて、大和川と石川の支流にはさまれて広々とした平地がありました。
大和川と平行した堤防の内側に大きくUの字形をした農道が
小さな堤防のようにして走っています。
大和川から小さな堤防の農道までの間はよその葡萄畑でした。
農道を隔てて反対側に私の家の田圃がありました。
堤防を降りて、自分の家の稲を見て回ってから再び堤防へ上がってほっとした時、
反対側の畑の柵が目に入りました。
堤防の上に上がった私は、その畑の柵に下がったたわわに実を実らせている
葡萄を見て、思わずつまんでみたくなりました。
そこで、そこに降りてこっそり一粒だけ失敬いたしました。

まだ朝早くて朝露が皮の表面に光る葡萄の実は、冷えていることもあって、
大阪弁で言えば、「ゴッツイ」おいしかったのです。
私はその実を房からそっとちぎり、口に入れました。
口の中で甘酸っぱい汁が広がっていきます。
禁断の木の実を人知れず食べているかのようなうしろめたい気分と、
十六歳の少年の胸をときめかすに十分な、
今まさに独りで冒険しているのだというドキドキするスリル感とを味わう、
悪の愉しみの瞬間を体験しておりました。
ところが、二粒目をちぎった次の瞬間です。
何か人の気配がするなと思って、上の方を見上げると、
堤防の上からどこかのおじさんが見降ろし歩き去っていきました。
私はもう恥ずかしくて恥ずかしくて、自転車に飛び乗って一目散に逃げました。
その人と反対の方向に逃げたのですが、四角い田を回っていくうちに、
ちょうど向こうから来る人とさっき葡萄をとった現場を目撃された人と
立ち話をしているのが見えて冷や汗をかきました。
あの子がさっきの葡萄泥棒だという目で私を見て話しているのが感じられました。


          ~ 感謝・合掌 ~





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「御垂訓」

2017-10-13 23:29:01 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第一章 或る愚か者の生涯

       ◆葡萄一粒で故郷を捨てた少年時代◆

私はずいぶん変わった子だったのではないかと思います。
それは、後になって思ったことです。
「忘却は神の愛である」ということが言えると、つくづく感じます。
何から何まで覚えていたら苦しいことが多いでしょう。
人間がもし完璧であれば、過去をふりかえって反省する意味もないわけです。
年に一回、開催する富士宮市での反省研修会では、
自主的に参加される皆さんにそれぞれの過去へと溯っていただいて、
自分自身というものを深く知っていただきます。
自分の人生に影響している過去の過ちや心の傷というのは、
潜在意識の深いところに隠され、埋もれたまま、
なかなか思いだすことができないようになっています。
それを思いだそうと皆さんずいぶん苦しい思いをされます。
しかし、心の誤りがわかった時には素直に神様にお詫びして、
その償いを行為に表していくことが、
結局は自分のこの世の人生もあの世の暮らしも幸せに導くことになります。

或る時、
反省した折りにそれまでは埋もれていた幼年期から少年期にかけての記憶が
鮮明に戻ってまいりました。
四十何歳まで忘れていた幼い時から少年期にかけての記憶がよみがえってきました。
それまでは十七歳以前のことは記憶にありませんでした。
その年齢を境に家を出ました。
十六歳の時のことです。
大和川に沿ったその地域には四枚の田があって、
早朝その見回りをするのが私のつとめでした。
というのは、秋になりますと稲穂の実る収穫期に入りますが、
雀が集まってきてこれをついばんでしまうと
お米が実らなくなってしまうからです。
雀が田を荒らしていないかどうかを自転車で見て回るのが、
学校に登校する時刻までの私の役目です。


          ~ 感謝・合掌 ~




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「御垂訓」

2017-10-12 23:57:04 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


            第一章 或る愚か者の生涯

                ◆親孝行ができたと思うこと◆

先の続き・・・

         四六時中 休むことなし 我が行は
                 父との誓い有ればこそなり

この歌について、「父との誓いというのはなんですか?」と
質問される方がよくあります。
しかし、この父というのは肉体の父ではなく、霊の父、つまり神様のことです。
私たちはこの肉体を世に出してくださる父と母なしには、この世に生まれ出ることも、
この世で活躍することもできません。
確かに父母は最大の恩人ではあります。
しかし、その父母にとってもやはり親があり、その親の親にとっても親があり、
と限りなくさかのぼっていきますと、結局最後はすべてを創造された神様にたどりつきます。
そして、今日一日、空気や太陽や水の恵みを与えて私たちの命を
維持させていただいているのも神様のお陰以外の何ものでもありません。

そうしてみると、やはり誰にとっても共通の親は神様ですし、
人類全体のたった一つの親もこの神様ということになります。
人類はさまざまな人種や民族や国家に分かれて今でも戦争や紛争を起こしていますが、
この神様のもとでは人類はまったく一つです。
今の状態に対して、神様は嘆いておれれることでしょう。
だから、宇宙の運行や自然の法則とも一つになるために、
また親子兄弟、社会、国家、地球が一つに調和して仲良く助け合って生きていくためにも、
神の御心に沿った生活ができればいいのです。
それがいちばんの親孝行にもなっていきます。
世間の尺度だけではあまりに型にはまった生き方になりがちです。
そこからはみ出せば、親不孝というレッテルを貼られてしまい、
本人も悩むことが多いでしょうが、本来は天地自然が多様な働きを示しているごとく、
その人その人の個性に合った生き方、
各人の天命にかなった生き方が世間常識とはまた別にあるはずです。

それを見出すためにも心の反省をしながら、神様の御心にかなう真実の生き方を模索して
いきたいと思います。
人から教えてもらうのではなく、誰にも肩代わりのできない自分の人生を自らの力で
切り開いていく以外に道はありません。
親孝行の話をするつもりがずいぶんと話が広がってしまいました。
しかし、親は私たちにとっては最も大切な存在であり、
中国にも古くから「孝は百行の本」という、親孝行はすべての善なる行いの
基本であるという意味の諺もあり、これも必然としなくてはなりません。


            ~ 感謝・合掌 ~



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「御垂訓」

2017-10-12 01:36:03 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


           第一章、 或る愚か者の生涯

          ◆親孝行ができたと思うこと◆

先の続き・・・

いい学校に入り、豊かな暮らしをするために子供の頃から塾に行かされ、
親子の対話、
家庭での躾等についてはほとんど熱心ではないのが昨日今日の社会の有り様です。
そこで、親孝行というとせいぜいいい学校に入るとか、
いいところに勤めてお金持ちになったり、出世したりして、
親にいい思いをさせてあげるくらいしか思いつかないのも無理からぬことです。
しかし、本来の親孝行とは親のエゴを満たすことでも、
自分の欲のままに生きて何かこの世で成功することだけでもありません。
そうではなく、正しい生き方を貫いた時に、人のためになり、
同時に世の中のためになるように生かせていただくことが一番の親孝行です。
せっかく生んでも、その子が悪いことをして世間に迷惑をかけたならば、
親は子を生まなければよかったと思います。
また、いくら偉いお役人になっても、有名になっても、
その末路が哀れだったらどうでしょう。
悪いことがばれてしまったり、自殺したり、人に殺されたりなどしたら、
それまでの地位や名誉もなんにもなりません。

もちろん、本人がいくらエリートとして成功しても、また商売が繁盛しても、
心の中に不満や寂しさを抱えて悶々としていたとしたら、その顔を見て親は、
「この子はこの頃ちっとも幸せそうではないな」と、
子供の頃の元気で屈託のない顔がまなこの裏に焼き付いているだけに、
余計に寂しいことと思います。
先ず、心を正しく生きて自らが心の底から幸せになること、
本当にうれしそうな笑顔を親にも見せられるようになることです。
もちろん、物心両面においてですが、
そうなるために私たちは神の御心にかなった生き方をしなくてはならないと思います。
地位がなくとも、そんなにお金がなくても、子が幸せそうなら、
親は生んでよかったと思います。
それが真の親孝行だと思います。
ところで、心が幸せであるとは他人の幸せも喜べるような、
また人や世の中のためにもなれるような心になっていることです。
心に陰りがあってはなりなせん。
太陽のように明るい心になるためには心にお荷物や未解決の問題があってはなれません。
なんの波風も立たない人生ではなく、
困難な問題が来ても、いつも乗り切っていけるだけの自信が持てることです。
その自信とは、やはりいつも神様と共に道を歩んでいるのだという
確信から来ると思います。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「御垂訓」

2017-10-10 23:28:52 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


      第一章、或る愚か者の生涯

      ◆親孝行ができたと思うこと◆

先の続き・・・

本当の親孝行とは何かと改めて考えてみます。
今の世の中は戦前の「教育勅語」の精神も消し去られ、
人の生きる道さえ失っております。
縦横の秩序や忠節、感謝や友愛の心も失われて、その結果、
学校や家庭において子供がいろいろな問題を起こしています。
もちろん、子供だけでなく、
大人の世界でもいちいち例を挙げるまでもないほど毎日のように
新聞をにぎわせるおぞましい事件が起きています。
戦前の教育勅語の、君に忠にという言葉が君主主義に
つながるからいけないと、日本の国から消し去られました。
しかし、「親に孝に 兄弟に優に 夫婦相和し 朋友相信じ 
博愛衆に及ぼし 強健己を持すべし」の精神こそは、
人の生きる基本であるとおもいます。

御義を受けた方に忠義を尽くすべく、
再び日本国民が目覚めなければならないと思います。
世界を歩きますと、どんな小さな国にも国旗が立っていますが、
日本の国際空港で日の丸の国旗を見たことがないのは
不思議なことです。
世の識者たち、指導者たちは、
自国を愛してはいけないと思っているのでしょうか。
自然の草木を見ても、生まれた土地に根を張って、
生まれた土地から栄養を吸収して生きています。
あの鮭を見ても何年も大海を回遊し、
やがては生まれたふるさとの川へ帰り、産卵をします。

そして、新しい生命を生んで育んでいきます。
悲しいかな、人間は自然の掟を破りつつあり、
やがてクローン人間をつくる日が来るかもしれません。
しかし、絶対にいけません。
自然の掟を破れば、神に逆らうことになるからです。
その時、必ず自然の反動が来ます。
そして、人類は人類を滅ぼすでしょう。
科学とは尊いものではありますが、一つ間違えば、
人類を滅ぼす恐ろしいものでもあります。
つまり、自分の命のもとを考え、
自然の恵みの中で生かされているお陰、
生み育ててくれた親への感謝に目覚めなくてはなりません。


         ~ 感謝・合掌 ~




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「御垂訓」

2017-10-09 23:30:16 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


            第一章 或る愚か者の生涯

          ◆親孝行ができたと思うこと◆

私は八人兄弟の五番目として生まれました。
長じて独立し、親も老いてから、私の家に遊びに来てくれる度に、
「八人も子がいるけれど、
おまえのところに来るといちばん気持ちが安らぐ」と父母から言われておりました。
それだけに兄弟から嫉妬、反感を受けていたようです。
しかし、それも現在ではすっかり調和しています。
母は私がお腹にいる時に、たいへん重く感じたそうです。
体重が四キロ近くあったから重いということではなく、ひどく重く感じたそうです。
しかも、誕生が七月二十五日でしたから、
「おまえは親不孝や」とよく言われたものです。
暑い最中に生まれ、おまけにえらく重くてしんどい目に遭わせたから、
そのように言われるのは当然と思っていました。
ところが、私が稼業の織物業をやめて、人さまのためにあちこち飛び回るようになりますと、
寸暇を惜しんで我が身も顧みずに東奔西走する倅の姿を見て、
自分の身は過ぎたる方に宿っていただいたためにあのように身が重く感じたのだと
思うようになったそうです。


      我が如き 者の腹より よくぞこそ
          尊き方と 母の言葉や

母はよく浄心庵に来られる方に対して、「私のようなもんの腹からよくこんな尊い方が
生まれてくれはったこっちゃ」と話しておりましたが、
私は「それだけは言わんといてください。
それを聞いた人は親バカと思いますから」と言ってお願いしたものです。
しかし、母は自分の腹を痛めた子でも自分の所有物のようには考えていなかったのです。
子は神様からの授かりもと言われますが、この言葉は子宝に恵まれることを祈り、
子が授かれば感謝する心を示しています。
ところが、とかく子を育てる苦労を経ながら、
私たち凡夫はいつしか本当の親バカになっていきがちです。

      母言わる 我れ一人の 子にあらず
        数多の子故 身を大切にせよ


             ~ 感謝・合掌 ~



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「御垂訓」

2017-10-08 23:53:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


      第一章 或る愚か者の生涯

        ◆父母の後ろ姿から学んだ奉仕と布施の実践◆

先の続き・・・

山道は草を刈らないでいれば、ぼうぼうに生い茂ってきて両側から道を覆ってしまいます。
そこを通る人は自分の畑に野良仕事に行く父の他にも少なからずいることでしょう。
そのままでは通行が困難になります。
そこで、父は一人で草刈りをします。
足下の歩くところだけでいいのにと幼い私は思うのですが、
周囲から草がはびこり生え重なってくれば、また歩きにくくなってしまいますから、
ある程度まで幅を持たせて、広い範囲にわたって草を刈らなくてはなりません。
こんな余計なことまでしなければいけないのか、と私は思いつつも、
父から「こうせなあかんのやで」と教えられるままに嫌々ながら手伝って
草刈りをしたものでした。

よその人も通るのだから、よその人も手伝えばいいのに、と思うものですが、
そんなことはおかまいなしに父はひたすら奉仕の実践をしていました。
そんな心を私は小さい時より、両親からその姿を通して教えこまれていました。
両親ともだからといって、特に宗教団体に属していたというわけではなく、
私の兄が出征兵士として戦地に赴けば、
無事の帰還を願って神社やお寺にお参りするなどということがあった程度です。
母は富田林にあるお不動さんに月に一回お参りし、
父は高野山の弘法大師を信仰しておりました。
先祖代々の墓のある菩提寺は、融通大念仏といって河内と大和一円に門徒を抱え、
阿倍野に大本山を持つ融通念仏宗のお寺です。
今でもお盆の頃の風習を思いだします。
寺にご先祖をお迎えにまいり、家で三日間おまつりして、
その間は毎晩御詠歌をあげます。
そして、盆明けのみたま送りの時には、送り火を炊きます。

さんだらぼっちともいって米俵の両端に当てる丸いわらの蓋である桟俵の上に、
野菜や果物を供えて、薄い木札に長尾家先祖代々の文字を書いてみたま代とし、
蝋燭と線香を立てて、大念仏の門徒の用いる鉦をたたきながら、
家族そろって大和川までお送りします。
この融通念仏宗はもともと平安時代の永久五年(1117)に良忍という方によって
始められたものです。
華厳経・華経を第一とし、浄土三部経を第二のよりどころとするものだそうです。
一人往生すれば衆生往生するというのが宗旨です。
この融通というのは、「必要な物や金を都合する」という意味ですから、
融通念仏の意味も、もし自分が念仏を唱えればそれが他人のためにもなり、
他人が唱えればそれが自分のためにもなるというように
互いに融通し合うことができるところから来ているようです。
円融念仏とか大念仏とも呼びます。
父母や祖母の布施の実践、奉仕の実践、自分のものと他人のものとの区別なく、
とにかく、みんなにとって少しでも役に立つことを率先してやるという心も、
このあたりと相通するものがあると思います。


                ~ 感謝・合掌 ~



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「御垂訓」

2017-10-07 23:35:04 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


      第一章 或る愚か者の生涯

        ◆父母の後ろ姿から学んだ奉仕と布施の実践◆

先の続き・・・

山道は草を刈らないでいれば、ぼうぼうに生い茂ってきて両側から道を覆ってしまいます。
そこを通る人は自分の畑に野良仕事に行く父の他にも少なからずいることでしょう。
そのままでは通行が困難になります。
そこで、父は一人で草刈りをします。
足下の歩くところだけでいいのにと幼い私は思うのですが、
周囲から草がはびこり生え重なってくれば、また歩きにくくなってしまいますから、
ある程度まで幅を持たせて、広い範囲にわたって草を刈らなくてはなりません。
こんな余計なことまでしなければいけないのか、と私は思いつつも、
父から「こうせなあかんのやで」と教えられるままに嫌々ながら手伝って
草刈りをしたものでした。

よその人も通るのだから、よその人も手伝えばいいのに、と思うものですが、
そんなことはおかまいなしに父はひたすら奉仕の実践をしていました。
そんな心を私は小さい時より、両親からその姿を通して教えこまれていました。
両親ともだからといって、特に宗教団体に属していたというわけではなく、
私の兄が出征兵士として戦地に赴けば、
無事の帰還を願って神社やお寺にお参りするなどということがあった程度です。
母は富田林にあるお不動さんに月に一回お参りし、
父は高野山の弘法大師を信仰しておりました。
先祖代々の墓のある菩提寺は、融通大念仏といって河内と大和一円に門徒を抱え、
阿倍野に大本山を持つ融通念仏宗のお寺です。
今でもお盆の頃の風習を思いだします。
寺にご先祖をお迎えにまいり、家で三日間おまつりして、
その間は毎晩御詠歌をあげます。
そして、盆明けのみたま送りの時には、送り火を炊きます。

さんだらぼっちともいって米俵の両端に当てる丸いわらの蓋である桟俵の上に、
野菜や果物を供えて、薄い木札に長尾家先祖代々の文字を書いてみたま代とし、
蝋燭と線香を立てて、大念仏の門徒の用いる鉦をたたきながら、
家族そろって大和川までお送りします。
この融通念仏宗はもともと平安時代の永久五年(1117)に良忍という方によって
始められたものです。
華厳経・華経を第一とし、浄土三部経を第二のよりどころとするものだそうです。
一人往生すれば衆生往生するというのが宗旨です。
この融通というのは、「必要な物や金を都合する」という意味ですから、
融通念仏の意味も、もし自分が念仏を唱えればそれが他人のためにもなり、
他人が唱えればそれが自分のためにもなるというように互いに
融通し合うことができるところから来ているようです。
円融念仏とか大念仏とも呼びます。
父母や祖母の布施の実践、奉仕の実践、自分のものと他人のものとの区別なく、
とにかく、みんなにとって少しでも役に立つことを率先してやるという心も、
このあたりと相通するものがあると思います。


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「御垂訓」

2017-10-06 23:35:30 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第一章、 或る愚か者の生涯

   ◆父母の後ろ姿から学んだ奉仕と布施の実践◆

先の続き・・・

収穫した葡萄からは、腐った粒や成長していないうらなりの粒を、
先の尖ったハサミで摘んで除き(「サビを取る」と言います)、
良質なものだけを箱に詰めて出荷します。
この選り分けの作業を庭先で行うのですが、
母は決まって玄関口の敷居のところに座って、
表を通るかかる人々に「ひとつ食べていっておくんなはれ」と、
いつも見も知らぬ人たちにさしあげておりました。
私の父が偉かったのは、
一年もかけてやっと育てた大切な作物をそのように通りすがりの
見も知らぬ人にあげてしまう母に対して、
いっさい何も言わなかったことです。

ふつうならば、「もういい加減にせい」とでも言いそうなものです。
私の母は自分のところに食べるものがなくても、人には施してしまう、
そういう人でした。
その後ろ姿を見て育ってきたために、私は人に施すものだと、
ごく自然に思ってきました。
親から受けた感化と言えます。
しかし、これは母からばかりではありません。
父の行いからも私は教えられるところが多々ありました。
父からは無償の奉仕の実践を学びました。
いつしか当然のごとく、
布施と奉仕の実践をするという心が親の代から子の代へと
受け継がれ養われてきました。

昔の道は今と違って舗装されていない土の道でした。
リヤカーや荷車が通れば、その轍ができ、雨が降ればぬかるみとなって、
轍はますます深く掘られ、そこの水が溜まります。
父は畑に行く途中でも、デコボコになっている箇所を見つければ、
必ず道直しをしておりました。
道とはみんなが使う公共のものです。
雨が降れば山道でも上から流れ下ってきた水が道を掘り返し、
通りにくくなります。
それを頼まれもしないのに、
なぜ自分の父親だけが一人汗を流して直しているんだろう。
私は子供ながらに不思議に思っていました。
しかし、
それは奉仕の心と実践とを身をもって教えられていました。


        ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2017-10-05 23:49:40 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      ~ 恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より ~


       第一章 或る愚か者の生涯

     ◆父母の後ろ姿から学んだ奉仕と布施の実践◆

太平洋戦争末期の食糧難の時代、
私の故郷にも都会から食べ物を求めて買い出しに来る
人々がたくさんおられました。
着物とか貴重品を持ってきて、お米や芋などの食糧に換えるのです。
いわば物々交換です。
私の母は、そういう人々がやって来ると、お腹を空かせているだろうと、
お粥を大きな鍋に炊いて、
「ちょっと入って食べておくんなはれ。ちょっと入って食べておくんなはれ」と
見ず知らずの人に呼びかけて家に入れ、お腹いっぱいに食べてもらっていました。
こういう施しは仏教では布施といわれています。
もちろん、私の母は特にそんな言葉を意識していたのではありませんが。
私の田舎は葡萄の産地でした。
収穫の時期ともなりますと、畑で摘み取った葡萄をリヤカーに積み、
遠回りをして山道を運んできます。

しかし、母は別の近道をして山をこえて一人歩いて帰ります。
肩には葡萄の入った篭をかついでいます。
母は道の途中で行き交う人に「食べておくんなはれ」と言いつつ、
どんどんあげてしまいますので、家にたどりつく頃には、
篭の中は空っぽになっているのです。
これが母の楽しみだったようです。
私の母の母、つまり祖母になると、さらにこの布施の精神は徹底していました。
「乞食さん」と当時呼んでいたのですが、その乞食さんが家の門口に来たら、
家族が食べる分としてお釜で炊いておいたご飯も野菜をいれて大鍋で煮たおかずも、
「まあ食べていきなさい。好きなだけ食べなさい」と、大きな釜と鍋ごと与えていました。
乞食さんが食べ終わるまで、家族は待っていました。
「もう腹いっぱいになりましたか」と祖母は乞食さんに聞いて、
それから家族は残った分を食べていました。
今の世の中ではなかなか聞けそうもない話です。
ホームレスの方々はだいたい一所にかたまって生活しておられるでしょうし、
一軒一軒物乞いをして歩く乞食さんの姿も今日では見られません。
ましてやそういう人に施しをされる方もおられないでしょう。


               ~ 感謝・合掌 ~



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「御垂訓」

2017-10-05 00:56:13 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師「長尾弘」先生のオリジナル


      ~ 神の御姿 ~

我は 姿あって姿なし
姿あっては 天地自然 万生万物の中に
我が姿を見よ
姿なくては 生きとし生けるものを生かさん 
その生命を 見よ
汝らを 姿あるものとして
この地上に生じせしめ
姿なき 汝らの 神我となりて
我は証しせん



English Version (恩師より頂戴しました英訳文です)

    ☆ Reflection of God ☆

I have visible, but also no visible reflection.
See my visible reflection in the myriads of creatures in the universe.
See my invisible reflection in the life that gives life to the myriads
of creatures.
I created you on the earth as visible creatures,
and I prove myself to Christ for you that have no visible reflection.


           ~ 感謝・合掌 ~

           

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「御垂訓」

2017-10-03 23:44:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師「長尾弘」先生のオリジナル


     ~  神の御心  ~

いとしきわが子よ いとしきわが子よ
そなた達は 幸せに生きよ 健やかに生きよ
己れ自身を 苦しむることなかれ
己れを愛し 己れを愛するが如く 他を愛せよ
汝らの 喜びは 我が喜びなり
汝らの 苦しみは 我が苦しみなり
いとし子よ 自らを苦しむることなかれ
汝らは我がいとし子であることに目覚めよ
自らの神我に目覚めよ
我は愛ゆえにそなた達を 形として現せし
厳しき現象界に旅立たせし者なり
いとおしきが故に 旅立たせし者なり
いとし子よ そなた達が この地上に 
肉の身を持ち旅立ちし日より
今日までをよく振り返り見よ
我が心と 汝らの心と想念行為を照らし合わせよ
もし我が心と離れし箇所に気付かば それを悔い改めよ
その時 汝らの魂は清まれり
我が与えし その肉の身を持ち
我が思いを この地上に示し現せよ
我が心を地上に具現せよ
汝らは 我がいとし子なるが故に
我は汝らの父なり 父は唯 子の幸せを願う
自らを浄め 自らを高め 自らの神我に目覚め
我が胸の中に帰るべし
我は唯 汝らの帰りを 待ち望む者なり


English Version (恩師より頂戴しました英訳文です)

☆ Heart of God ☆

My dear, my dear.
Live you happily, live you soundly.
Do not worry yourself.
Love yourself and love others as you love yourself.
Your pleasure is my pleasure, your pain is my pain.
My dear, do not worry yourself.
Be awake that you are my dear.
Be awake your own Christ of God.
I am that created you in my own image and made you travel
to this phenomenal world of full hardships, because of my love to you.
My dear, look back your whole life from the day you got your living body
and started traveling to this world till today.
Check up your heart, your conceptions and your deeds with my owns.
If you notice the parts that apart to my heart, repent them.
At the time, your soul shall be absolved.
With the living body I gave you, convey and prove my ideas on the earth
incarnate my heart on the earth.
I am your father, as you are my dear,
father is concerned for his children’s happiness.
Come back to my heart by absolving,
up grading yourself and awaking to your own Christ.
I always wish your return to my heart.


           ~ 感謝・合掌 ~




       

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「歌集」より。

2017-10-02 23:59:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師の歌集より


祈り

私の身体は神のもの
私の身体は人々のもの

私の心は神のもの
私の心は人々のもの

私の時間は神のもの
私の時間は人々のもの

私の凡ては神のもの
私の凡ては人々のもの

長尾弘


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