浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

有難や米一粒の一粒に
神の御命 我給わらん

「御垂訓」

2020-12-16 01:17:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より

             講演集、 三

             法の功徳


今この上をハンカチで覆ってしまうと、
この中に何が入っているのか分かりません。
しかし、覆ったものを払いのけて見ますと、
ああ本だったのだなと、忽ち分かります。
そして、「倒れたる者を起こすが如し」つまり、
倒れた者を起こせば、ああ起きたなと誰にでも分かります。
「暗い室に松明をかざすが如し」つまり法の功徳とは、
そのようなものであるということです。
即ち功徳があらわれるということです。

心の向け方をちょっとこちらから、あちらに移しただけで、
地獄から極楽の世界へ変わります。
日々の生活で、
心の向きをうまく変える訓練を絶えず心掛けておりますと、
苦しみが喜びとなります。
私は、
「私ほど苦しみの少ない人生を生きた人間は今日まで他に誰もいない」と、
自信を持っております。

喜びに満たされた人生だったと思います。
しかし、私の母に言わせますと、「お前ほどの苦労人は無い。
兄弟の中の出来事や、
人さまの苦しみに命がけで立ち向かっているお前ほどの
苦労人はいない」のだそうですが、
しかし私の心の中は喜びばかりです。
私は、自分で解決できるやらできないやら分からない、
いろいろなご相談を人さまから受けますが、
自分はたださせていただくのみです。

その方の幸せの為にたださせていただきますと、
その時、相手の方が幸せに変わってくれまして、
望む心なしにたださせていただくと、
喜びの結果が与えられます。
もちろん、難しい問題を解決するには、それなりの苦労もあります。
自分が精いっぱい立ち向かった時、
「ああ、良かったなあ、お陰様でこんなにうまいこといった、
お陰様で人さまをこんなに救わせてもらいました」と、
その喜びが与えられます。
それは、自分が行ったから与えられるのです。
自分のベストを尽くしてさせていただきますと、
その時、見えない世界から必ずご協力があります。


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「御垂訓」

2020-12-13 23:57:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「講演集」より

              講演集、 三

           「私は世界一の幸せ者」


私たちは、人との出会いによって起こる出来事で、運命が左右されます。
左右されるのは、その人が出来事をどう受け取るかによって、不幸になったり
幸せになったりするのです。
今日も、私の母の妹に当たる叔母さんが朝早くから来てくれました。
この人は、何でも「結構や」「私は世界一の幸せ者や、私ほど幸せな者はない」
と話しています。

幸せと言っても、普通の家庭ですから、心配事もありましょうし、悩みのある
場合もあると思いますが、それを良いほうに取って、
私は幸せや幸せやと言っています。
私の母が、「お前も苦労があるのに、私は世界一の幸せ者やなど言っていたら、
人に笑われるよ」と言っていました。
その人に与えられた環境とか、或いはその人の病気とかを見て評価するのは、
人の自由です。

しかし、人がどう思おうと、その苦しみの中にあっても、
その苦しみを良いほうへ、
喜びのほうへ思いを変えて、ああ、私は幸せだと喜んでいられるのは、
その人自身の心の問題です。
人が不幸だと言おうと、可哀そうだと言おうと、そんなことは関係ありません。
自分が感謝し、喜びに満たされていれば、自分自身の心は安らいでおります。
人の評価など関係ありません。

人生は思い変えの訓練が大事です。
今日は来ておりませんが、私の弟の悪口をちょっと言いましょう。
今は明るい性質ですが、この弟の小さい頃の渾名は「泣き虫」と言いまして、
もういつでも泣いていたのです。
その子が笑っても、顔は泣いており、泣筋が発達していました。
私はいつでも嬉しい顔をして笑っていますから、笑筋が発達しています。
困るのは、悲しみ事で挨拶に行く時ですね。

「ご愁傷さまでございます」とお悔やみを言っても、顔は笑っているから、
精一杯悲しい顔をしようと思っても、顔は笑っているのです。
いつも笑っていましたら、そんな顔になってしまうのです。


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「御垂訓」

2020-12-13 00:04:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「講演集」より

             講演集、 三

        法事よりも生きた方の方が大事


私は、普段は乞食のような格好をしております。
今日はちょっといい格好をさせてもらっています。
ちょうど父の法事があって、その服を着たままでおります。
今日は私の亡くなった父の十三回忌でございます。
親戚縁者が集まっておりますが、私だけ朝お参りをして、
失礼させてもらってきました。

まあ、何と親不孝な奴だなあと、お父さんは思っているかもしれません。
しかし、死んだ者が大事か、生きた方のほうが大事か、
たとえ親であっても、
死んだ者の前で分からない経文を唱えるのを一緒に聞いて、
ご馳走を頂いて―――というのは、
亡くなった方でけのものですね。

一方、
これだけ大勢の生きた方々が今日の日を楽しみにして
遠い所から来て下さっており、私はこのほうが大事ですから、
「これで失礼させてもらいます。
あと、よろしくお願いします」と、お断りを言ってきました。
私たちは、生きた人さまの中で生きさせていただくのです。
私の親しくしていただいいた友達が去年亡くなりましたが、
そのお葬式がちょうどよそでのお話会と重なりました。

お通夜は行かせてもらいましたが、
お葬式には行くことができませんでした。
しかし、ほんとうのことを思うのであれば、
一人でも生きた方が救われてくれるほうがありがたいですね。
たとえそちらを犠牲にしても。
だから、その重さを計ってみて、重いほうへ行きます。


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「御垂訓」

2020-12-12 00:47:07 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「講演集」より

              講演集、 三

       「真実」は目に見える「形」ではない


形の中にほんとうの真実があるのとは違います。
一休和尚さんが檀家の法要を頼まれて、墨染の衣を着て出かけていくと、
「お前のような乞食坊主を誰が呼んだか、帰れ帰れ」と言われて、
家に入れてもいただけなかったのに、
お寺に帰って金襴の衣に着替えて出かけますと、
今度は「よくおいで下さいました。どうぞ奥へ、大和尚さま」と言って、
奥に通されたそうですね。一休さんは仏壇の前にその衣を脱いで、
そこへ置いて帰ってこられたのです。

「そんなものを置いてくれても困ります。
お経をあげてもらわねばどうにもなりません」と、檀家の方が言われますと、
一休さんは、「私がさっき来ました時は、
家にも入れていただけなかった。ところが、衣を替えてきたら、
どうぞどうぞと入れてくれたのですから、
あなたが有難いのは、衣なのです。

だから、衣に拝んでもらって下さい」と言って、
ご自身は帰えってこられたそうですね。
これは、形に囚われているから、こういう間違いを起こすのです。
形の中に真実はありません。
流行歌にもありますように、
「ボロは着てても心は錦」、心に錦さえ着ていれば、
服装など姿形は関係ないのです。


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「御垂訓」

2020-12-11 00:08:21 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「講演集」より

             講演集、 三

       癌を克服し、悟って死を迎えた方の話


先の続き・・・

この体験を通して、病気というものについて学ばせてもらったのです。
ある宗教では、病気は心の影であると説いています。
心の影が肉体に病気として現れているというのも真理だと思います。
しかし、心の影が完全に消えた時、その人の病気は完全に消えたはずです。
それが骨に何の黒いところもないように変わってしまったのです。

そのように心が完全に浄化されますと、どんな病気もみな消えてしまいます。
では、なぜ死んだのか、ということになりますけど、人間は有限のもの、
限りあるもので、その限界を越えたら、いくら病気が治っても、
有限の肉体の命は消えます。

この方と同じ時期に、有名な大僧正と言われるお坊さんが癌にならました。
こんなに偉いお坊さんだったら、「あなたは癌だ」と知らせても大丈夫だと
思って、お医者さんが正直に癌であることを知らせますと、
「わあ、わしは死にとうないんや、死にとうない」と言って、
八十歳のお坊さんが気が狂ったようになって、自殺してしまったというのです。
これは醜いです。

しかも、この世的には大僧正です。
そんな僧職でなくても、僧衣を着ていなくても、又頭に毛が生えていても、
四十半ばで自らを悟って安楽往生された方が現実にあるのです。

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「御垂訓」

2020-12-10 00:20:56 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「講演集」より

             講演集、 三

      癌を克服し、悟って死を迎えた方の話


先の続き・・・

ちょうど同じ時期に、同業者の一人が癌で亡くなられたのですが、
この方は又とてもひどい苦しみようで息を引き取られたのですね。
「同じ癌といっても、こんなに違うのかなあ、あのSちゃんにはかなわん、
あいつ、さよならと言うて死によった」と、しばらくの間は、
近所で評判だったそうです。

「さよなら、これでお別れやで」と、にっこり笑って、
あの世に帰られたのです。
死後、八時間ぐらい経って、身体が硬くなるといけないので、
着物を着せ替えさせようとしますと、
身体が少しも冷たくなっていなかったそうです。

生きている人と全く変わらず、ふっと起こして着せ替えさせて、
その晩は布団に寝かせてお通夜をし、
二日目は納棺してお通夜をなさったのですね。
子供さんが夜通し、お父ちゃんは起きているのと違うかと言って、
棺桶を開けにいったということです。

交替で子供さんが見にいき、「やっぱり死んではるわ」。
すると、又別の子供さんが見に行くということで、
亡くなられて三日間は全く冷たくならなかったそうです。
もちろん、死後硬直は一切おきません。

そのお顔の安らかなことは、
たとえようもないほどの美しさだったそうです。
お葬式が終わって、お骨あげにいきました時、
火葬場の係りの方が、「この
人は一体どこが悪かったのですか、交通事故だったのですか」と、
聞かれたそうです。

実は全身癌でしたと言いますと、「そんなことはない、
わしらは骨を見たら、
どこが悪かったかは全部分かる」と言ったそうです。
まあプロですね。
病気をして悪かったところの骨は色がついて変色するそうです。

その方はどこも悪いところが無くて、
頭の先から足くびまで白くて綺麗なお骨だったということです。
私はこういうことを聞かせていただいて思いました。
何も知らない私が、教えてもらった通りをお伝えして、
私自身何もできておりませんのに、聞いて下さった方がそれを真剣に行じ、
教えの通りにしてもらった時、その方は悟られました。
お伝えした私は何も分からないのです。

よく話を聞かせてもらいますと、「この『心行』を読ませてもらうと、
涙が止まらなくなります」と言われるのですが、
私はちっとも涙など出ないという状態の時に話させてもらって、
それを聞いた方が真剣に命がけで反省に取り組んで下さったのですね。
その方は悟られました。



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「御垂訓」

2020-12-09 00:07:06 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「講演集」より

             講演集、 三

      癌を克服し、悟って死を迎えた方の話


先の続き・・・

初めて寄せてもらった時、奥さんが外まで見送って下さって、
「実はお医者さんからもうはらわたがみな腐っているので、
よくもって一か月、悪かったら今日か明日か分からないと
言われています。

そんな状態でも助けていただけるのですか」と
言われるので、「よう助けません、
人の命はこれは神様が持っていられるものであって、
そんなものを動かすことはできません。
人はそれぞて何歳までの寿命と神様と約束して
生まれさせていただいております。
寿命は宿命です。

これを避けることはどなたもできません。
もし助かって下さったら、それは、ご主人に寿命があったからです。
助からなかったら、寿命が無かっただけのこと、
それを助けることはようしませんが、
時どきこうして寄せてもらいますと、死ぬ時に苦しみが無いそうです」
とお答えしました。

すると、「そんな結構なことはございません。
癌で死ぬ時は七転八倒の苦しみをしなければ
死ねないのが相場のようです。
その苦しみなしにお迎えいただけるのでしたら、
こんな結構なことはありません。

もうそれで十分ですから、先生どうぞ来て下さい」ということで、
電話を頂いたらすぐ出かけていたのです。
行きますと、或る時はもう大声をあげて泣いていられます。
自分の過ちを知って流れる涙は法の雨です。
「この法の雨は心の曇りを洗い流していただけるから、
精いっぱい泣きなさい、
泣いて泣いて泣ききりなさい」と言いました。

或る時は、声を出さずに、涙を流して泣いておられました。
そんな生活が約半年続きました。
「もう一か月もたない」と、
お医者さんがおっしゃっていられた方がです。
そして、或る日行きまして「Sちゃん、どうですか」と
言葉をかけますと、
「もうどこも苦しくない。ありがたいことです」と
おっしゃるのですね。

しかし、からだを見せてもらえば、相当弱っていられます。
「全然苦しみがなくなりました。ほんとうにお陰様です」と言われて、
それから二日目の朝、実はこうこうでしたと、
電話がかかってきました。

「一昨日行った時は、あんなに元気だったのに」と言いまして、
すぐお悔やみに寄せてもらいました。
「申し訳ありません。お役に立てませんでした」と
挨拶させてもらいますと、
「先生、それは違うのです」と、
奥さんがつぎのように話されました。

昨夜十時頃に、親戚の者を呼んでほしいということで、
ご主人の兄弟、奥さんの兄弟の全部を呼ばれたそうです。
その一人一人に「ありがとうございました。
ほんとうにお世話になって心からお礼申し上げます」、

夫婦仲の悪い兄弟の方に対しては、
「夫婦の仲が良いところに幸せがあるのだから仲良くしてくれ」、
子供の心配のある兄弟の方には
「子供に対してはこのように思ってやらなくてはいけない」、
そして「おおきに、おおきに」と皆さんにお礼を言われて、
一番最後に奥さんに向かって、「長いことお世話になり、
ありがとうございました。

私が心残りなのは、あなたをしんから幸せにしなかったことだけど、
心からお礼を言います。これで最期だよ」と言って、
自ら合掌なさったそうです。
まだ笑っていて元気そうだし、安らかな話し方をされているので、
奥さんが何を言われのですかと、
その合掌されている手をパッと払った時もまだ笑顔をしておられ、
あんなことを言ってと、こちらを向いた時に、
息が切れたのだそうです。



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「御垂訓」

2020-12-08 00:06:23 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より

            講演集、 三

     癌を克服し、悟って死を迎えた方の話


先の続き・・・

人間は生まれますと、その人その人の器があるそうです。
ものすごく心の広い方、反対にすごく心の小さい方がありますが、
器以上にどれほど欲を盛っても入ることはできないのです。
一旦は自分のものにしましても、一合の容器なら一合しか入りません。
どんなに欲呆けして、一旦手に入れましても、
残るのは自分の心の器の量だけです。
「叔父さんはあなたの財産を売って、
それを持っていられますか」と尋ねますと、
「全部使って贅沢三昧をして、
今は何も残っていない」と言われますから、
「叔父さんは兄貴のものを取ってしまっても、
その方の心の器分だけしか残っていないはずです。

気の毒ですが、
又あなたもお父さんの財産を受け継ぐだけの心の器を持っていなかったのです。
心の器が広ければ、必ず自分に入っていたはずです」と、話したのです。
そして、「叔父さんが財産を取ってしまったという恨みや憎しみを持つよりも、
自分が幼い頃から叔父さんにしてもらったこと、自分がお返しできたことに
ついて、一度反省なさってみられたらどうですか。
されたことよりも、自分がしてもらったことに心を向けたら如何ですか。

そして、幼い頃、お母さんからしてもらったこと、
自分がお母さんにお返しできたこと、
又、心配をかけなかったか、口答えしなかったか、
或いは親に嘘をつかなかったかなどを反省の出発点として、
生まれた時から十歳頃までのことを振り返ってみて下さい。
そして自分がお母さんに対してどれだけのお返しができたかを、
思い出せる限りずっと振り返って下さい。
お母さん、お父さん、次にご兄弟、成長したら夫婦の愛について徹底的に、
今は時間があるはずだから、養生しながら一度振り返ってみて下さい」と話し、
この高橋信次先生の「心行」を一冊差し上げまして、読んでいただいて、
過去を徹底的に振り返っていただきました。

その方は法のご縁、救いがあったのでしょう。
まことに真剣に取り組んで下さいました。
この「心行」を読んで大声でワンワン泣いておられました。
奥さんは何のことか分かりませんから、「お父さん、
その本を読んでそんなに悲しいのだったら、
読むのを一服さらたらどうですか」と、
止めたそうです。
ご主人は、「今まで、私はこういうことを知らなかったけれど、
自分を振り返った時、私ほど罪の深い者はいないということが分かってきた。
よく今日まで罰も当たらず生きさせてもらったことだった。

申し訳ないことだった」と泣き続けておられて、
一週間もお目にかからないと、
「主人が会いたがっていますから、
一度来てやって下さい」と、奥さんから
電話がかかってくるのです。
それでハイハイと自転車で走っていくのですね。
「如何ですか」とききますと、「先生に会いたかった―――」と言われて、
私もいろいろ話をさせてもらって帰ってくるのです。


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「御垂訓」

2020-12-07 00:21:04 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「講演集」より

           講演集、 三

      癌を克服し、悟って死を迎えた方の話


先の続き・・・

それはどういうことかと聞かせてもらいますと、
そのご主人の家は、幼い頃、T町指折りの財産家で、
お父さんは町長もしておられたのです。
ところが、幼い頃にお父さんが亡くなられました。
道路をはさんで向かい側にお父さんの弟さんに当たる
叔父さんがやはり大きい家に住んでいて、Sちゃんの家、
つまり本家の財産管理をされたのです。
そのご主人は幼い頃から叔父さんの家の織屋の下働きをして
大きくなったのですね。

ところが、つい身内の者だから、人使いも荒く、
ひどい目に遭ったそうです。
その上、財産管理をなさった叔父さんがつぎつぎとSちゃんの家の
財産を売っていかれるのです。
本来なら、Sちゃんが引き継ぐ財産ですね。
それを叔父さんが勝手に売って栄耀栄華な暮らしをするものですから、
Sちゃんにしたら、その都度、腹が立って腹が立って、
叔父さんを憎み、「死んでも、わしは恨んでやる、
恨みを晴らさない限りは死んでも死にきれない」と、
ずっとおっしゃっていたそうです。

無理もありません。
自分の財産を人が売って、それを好き放題に使うのですから、
誰でも腹が立ちます。
ときによると、もう夜も寝ないで恨み、憎しみ、
お腹に固い塊ができてとれなかったと言われましたね。
それが癌になってしまったのです。
私との縁ができる二年前に胃癌の手術をされたのですが、
夜もよう寝ないで叔父さんを憎み、恨み骨髄に徹していられたわけです。
私にも一度だけ経験があります。

ああ、憎らしいなあとすごく憎みますと、胃のあたりに塊ができて、
それは痛かったです。
そんな思いを常に繰返しておりましたから、その方は癌になってしまわれて、
手術をなさいました。
私とご縁があった時は、もう全身に転移していました。
私は、習いたてのホヤホヤの正法をその方にお伝えしたわけです。


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「御垂訓」

2020-12-06 00:11:26 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より

           講演集、三

癌を克服し、悟って死を迎えた方の話


先の続き・・・

その頃、私の商売の同業仲間の方が病気になられたのです。
私と同年輩ですから、当時四十半ばの方です。
最初、Fさんという織屋さんが私に頼みにこられました。
「長尾さん、Sちゃんの足、えらいことになってるんやで。
象の足のように腫れて。あれを細うしてやって貰えないか」と。
それで、「変わった病気ですな。
治るか治らんか分からないけど行ってみようか」
と言って、行ったのです。

すると足は腫れ、睾丸がまるで提灯のようになっているのです。
その為、足が重くて歩くこともできないありさまです。
癌の末期で、もう亡くなる直前だったのですね。
有難いことに、足はお祈りさせてもらいますと、
見る見る細くなってきました。

もっと傑作なのは、大きく腫れた睾丸のことです。
「えらいことになったなあ」と言ったのですが、
パンツも穿けなくて腰巻をされていましたのを、
「一回見せてえ」と言って睾丸を見ますと、もうごっつい
ごっつい提灯のようです。

それに手を当ててお祈りしていましたら、
風船の空気を抜くようにシューと
凋んでしまったのです。
さあ、喜んでいただきましてね。
その方の喜びはもちろん、奥さんから家族の方達皆が
びっくりなさいまして、

えらい不思議なことがあるものだなあと言って喜ばれ、
ご本人は立ち上がって、
「もう歩ける」と言って、歩いてくれたのですね。
しかしお顔を見せてもらうと、もう相当弱っておられます。
「今、肉体は救われましたけど、心が苦しんでおられますと、
又肉体にも苦しみが起きてきます。

ですから、心と肉体と共に救われてもらわねばなりません。
どうか心が救われて下さい」と言いますと、
「心が救われるには、どうしたらいいのですか」と、
質問されました。

やはり、この方はご縁が深かったのですね。
その頃、私は「教え」にご縁を頂いてからまだ半年も
経っていなかったので、
私自身反省もできていませんし、正しい教えについての
理解も浅かったのです。

しかし、反省の仕方は教わっていましたので、
習いたてのホヤホヤの私が、
「心を救われるには、腹を立ててはならない、愚痴を言わない、
人を悪く思ってはならない、憎しみとか恨みとかそういう
思いを持ってはならない。

又、苦しみの原因になると思っていなかった中に、
要らない取越し苦労をしたり、
不要の恐怖に自分の心をゆだねるということがあります。
これらは、全部苦しみの原因になっていますから、
そういう思いがあれば、
私たちの心が病気をしてしまいます。

これを持たないように頑張って下さい」と、
そのように話しますと、側から
奥さんが「まあ、うちのお父ちゃんはみんな持っています」と、
おっしゃるのですね。

それで、「いえいえ、私も全部持っております。
人間として生まれたら全部持っている思いです。
しかしそれを持つことによって、人間は苦しみの中にもだえます」と
言いますと、
うちのお父ちゃんは特別に強いとおっしゃいます。


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「御垂訓」

2020-12-05 00:31:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「講演集」より

             講演集、 三

      癌を克服し、悟って死を迎えた方の話


先の続き・・・

私が高橋信次先生に御縁を頂きまして約半年ぐらい経った昭和五十年のことです。
その頃、この忠岡にSちゃんという方がおられました。
私はもともと織屋をしていまして、機械を置いてガチャガチャと毛布を織って、
問屋に卸していたのです。
過去の私は、何とか儲けて少しでも人より儲けを上げようと銭の亡者となって
走り回っておりました。

その愚かさに対して、信次先生から「あなたは足ることを知りなさい」という
言葉を頂いてから、足ることを知らないが為に、
こんなに苦しまなくてはいけないということ知りました。
決心すれば早いです。
すぐ実践に移し、事業のほうを十分の九ほど縮小しまして、外注をやめ自分の
所だけでするようにしました。
すると、十分の一以下になるのですね。
過去の仕入れで約一年間は原料を仕入れなくてすむのです。
そして、今まで十倍の製造をしておりました製品がありますから、
その製品を売れば、お金はどんどん入ってきます。

仕入れなくても売れるから、お金は余ってしようがないという状態でした。
「はあ、足ることを知るとはこんなことか」と思いまして、
もう過去のことですから白状しますけど、たくさん儲けさせてもらいました。
他の織屋さんは「ああ、あかん、あかん」と難儀していられる時に、私だけは
どんどん儲けさせてもらいました。
「私は頭がいいのだなあ、腕がいいのかなあ」と思っておりましたら、
何のことはない、ほんとうは天上界から今日の日に動けるようにちゃんと天の蓄えを
与えていただていたのです。
それは、すべて目に見えない世界からの導きであったことが、
あとから分かりました。


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「御垂訓」

2020-12-04 00:00:24 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より

              講演集、 三

        癌を克服し、悟って死を迎えた方の話


不思議なものでして、私は今この世にあって、
しかも全く別の次元にいる
自分を自覚することができるのです。
あの世この世ともに生き通しているという自覚ですね。

このことがはっきり分かった時、もうこの世の肉体へ
の執着など何も無くなります。
一切の恐怖もありません。
常に心は安らかです。

人として生まれた者は、どうしても死の恐怖、
いつの日か死ななくてはいけない、
死んだらどうなるのか、恐いのと違うだろうかと思いますが、
この恐怖を持ちますと、必ず苦しいです。
次の話を聞いて、ノイローゼが治ったり、
病気が治ったという例がたくさんありますので、
もう一度その話をいたします。

九十二歳になる私の母にいつもここで聞いてもらうのですね。
「今日の話は結構やった」と、良かったら褒めてくれますし、
同じ話を繰返しますと、
同じ話を二度聞くのは長いものや、気いつけや」と言われますけど、
「皆様からのアンコールでもう一度聞かせほしいと
言われますので、辛抱して下さい」と言ったのです。

別にネタ切れではありません。
話は無限に出てきますが、そういう病気で苦しいお方も
おいでになっているかと思いますので、
少しでも参考になさっていただければ有難いと思いまして、
敢えてそのお話をさせていただきます。

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「御垂訓」

2020-12-02 23:59:05 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より

             講演集、 三

         「癌」も心の持ち方で治る


この間、大阪駅前の第四ビルでのお話会の際、
すばらしいお話を聞かせていただきました。
今、お越しになっていたら、ちょっと手を挙げて下さい。
はい、ありがとうございます。

私が会場の入口の所でタバコを吸っておりましたら、
その方が「先生もタバコですか」と言って側にこられて、
私とは初めてお会いしたその方と話をさせていただいた時に、
「ああ、この教えこそほんものだと感じ入りました」と、
おっしゃって下さったのですね。

その方はあらゆる宗教を勉強なさったそうです。
二十年前に胃癌の末期で、
あと一週間も持たないという状態の時に、
たまたまいろいろな方の話しを聞かれて、
肉体と魂とは別だということを
悟られたそうです。

その瞬間から御飯が食べられたと言われます。
この肉体は神様にゆだねさせてもらったらいいと、
そのことを心の底から悟られた時、
今まで喉を通らなかった御飯がたべられるようになり、
どんどん回復して二十年経った今、
大変元気に活躍なさっています。

その後、医師のレントゲン検査の結果、
完全に癌がなくなっているのだそうです。
或るお方が、これは乳癌の方ですが、
又手術をしなくてはいけないかと、
ひどく悲観なさっておられましたから、
ぜひその方に会っていただいて、
体験ほど強いものはないので、
あなたのお話を聞かせていただけますようにと、
お願いしました。

私は癌の経験はないのです。
だから、癌にかかっておられる方の苦しい心は
理解することができません。
私が、いくら「あなたの心は分かります」と言っても、
相手の方には通じません。

それよりも、癌にかかってそれを克服され、
今健全なお方の口からお話を聞かせてもらったら、
大変参考になると思います。
是非会って相手の話を聞いてあげ、
又お話を聞かせてあげていただけますようにと頼みました。
思いによって、癌のような嫌な病気でも治ってしまうのです。

ですから、心と肉体とは別のものだということを
知るだけでは駄目ですね。
知識として知ったら、今度はそれを心の中の
知恵として分からせていただくように
精進することが大事かと思います。


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「御垂訓」

2020-12-02 00:24:29 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「講演集」より

            講演集、 三

      高橋信次先生のお導き、「心行」朗読


先の続き・・・

―― 「心行」の朗読 ――

ありがとうございました。
こんな素晴らしい言霊を不要だと言いながら、
先生の教えを伝えている方がありますが、
これはとんでもない間違いですね。

師を師として仰がない者にどうして師がその方のことを思いますか。
師をないがしろにする者を、どうして師が喜んで下さいますか。
師を称え師に報い、その師を乗り越えた時、
その師は心から喜んで下さるはずです。
イエス様もおっしゃいました。

「私の如く行った者は私以上の奇跡を現わすであろう」と。
高橋信次先生も同じですね。
信次先生のように行った時、先生以上の力が頂けるはずです。


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「御垂訓」

2020-12-01 00:18:09 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「講演集」より

            講演集、 三


      高橋信次先生のお導き、「心行」朗読


私の師匠であります高橋信次先生が書いて下さった「心行」を、
今いろいろに書き改めて、似た本を出していられる先生があります。
自分が学んだお師匠様の悪口を言う先生方、又、
御家族の悪口を言う先生方もおられるようです。
しかし、それは許されません。

縁あって師として学ばせていただき、
その師又は御家族をくさしたり排撃したりするのは、
人の道として外れる行為であると思います。
私は死ぬまで高橋信次先生の教えを守っていきたいと
常に思わせていただいております。

今の私が存在を許されているには、先生のお陰です。
先生にご縁を頂きませんでしたら、今の私の存在は絶対に無いのです。
と申しますのは、私は今こうして皆様の前で
お話させていただいておりますけれど、
以前は、目の前に二、三人いられてもお話をようしないような
人間だったのです。

初めて、「今日はあなたがお話しなさい」と言われまして、
「どうぞ許して下さい、私はとても話ができません」と辞退しました。
「では、次にしなさい」と言われて、
三回、四回目になってもまだそういうこを言っておりますと、
「それでは、あなたは一生、話をすることはできません。
五分間でいいから話をしてみなさい」と言われまして、
初めて人の前に坐らせていただきました。

すると、膝はガクガク震えますし、身体は硬くなって、
お話をする声は上ずってきて、そのうち泣き声になって、
五分間が無限に長い時間のような思いをしたことがあります。

今日、私が皆様の前でお話をさせていただきますのも、
信次先生にご縁があったればこそです。
ですから、このご恩は一生忘れることができません。
その上、お話をさせていただくだけとは違うのですね。

その話を聞いていただいて大勢の方が救われて下さいます。
東京で或る先生の所でお話させていただきましたが、
その時のテープでほんとうに多くの方が心救われて下さいました。
そして、又お便りを頂戴したり、電話を頂いたりして、
その喜びを頂いております。

こんな未熟な私がお喋りさせていただきましたことによって、
人さまの心が変わって下さいます。
私は知識として学んだものはほとんどありませんが、行いを通して、
自ら行った結果をお話させていただきます。
そうしますと、皆様の心の中に素直に入っていただけるのですね。
作りごともございません。

実際にあったことばかりでございます。
毎回、お話に先立って「心行」の朗読をさせていただいております。
こんな「心行」は駄目だとか、もうそんなものを読む時代は過ぎたとか、
おっしゃる方がありますが、私はそんなことは絶対にないと思います。
その証拠に自分の心が安まります。


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