生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

レスター市の思い出

2016年05月03日 10時45分39秒 | その場考学との徘徊
レスター市の思い出

今朝(5月3日)、朝一番のニュースは、イングランド・プレミヤリーグで岡崎慎司が所属するレスターが132年ぶりに初優勝したとのニュースだった。レスターは、ロンドンから北上する特急で1時間ほど、線路はそこで二つに分かれて、西へ行くと次の駅がダービー、東の次の駅はノッチンガムで、両市は昔から独自の強いチームを持っている。(ちなみに、英国は鉄道網というくらい線路が網の目になっていて、曜日によってルートが異なるのは、当たり前。はじめのうちは、行き先が心配になった。周りの人に確認をしても、返事はいつもI hope so.)

私が、Rolls-Royceとの新型ジェットエンジンの共同開発で、英国通いを始めたのは1979年、当初はロンドンの真西にあたる海岸の港町ブリストル。世界中のワインの集散地で、ワインフェスティバルの時は、1週間の間、町中が酔っ払いだらけだった。海賊フックのバーや、ブルマーというレストランでは、ウエイトレス全員が、本当に昔の女子生徒がはいていた、あの昔のブルマーをはいていた。西のセヴァーン・ブリッジを渡るとウエールズになる、面白い街だ。しかし、そこからすぐにプロジェクトはRRの聖地のダービー市に移った。そして、毎回レスターを通った。



サッカーの試合は、平日の終業後に行われることが多く、毎回ダービーの設計事務所からノッチンガム在住の友人の家へより、そこで軽いサパーを食べて出かけた。夕食のディナーは試合後なので、11時過ぎ。当時は、ダービーの2チームは弱く(Division2)、試合を見に行くのはいつもノッツ・フォーレスト(Division1の常連)だった。レスターは多分Division3。





約10年後には、次のGEとの共同開発エンジンのChief Engineerだったが、わが方の技術者が足りずに、GEの英国子会社の技術者を20人ほど借りることになった。その事務所がレスター市にあった。そこは、ジェットエンジンの聖地だったのだ。敷地内にはジェットエンジンの生みの親のホイットルが、初めてガスタービンの自立運転試験に成功した研究室があった。毎日のように、GEのメインチームがいる米国オハイオ州のシンシナティーとのテレコンで、エンジニアの作業内容の調整をしたことを思い出す。レスターは、いろいろな思い出のある街だ。