生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼(33)古代のインド―ヤマト文化圏(その4)

2017年06月30日 09時31分41秒 | メタエンジニアの眼
インダス文明の興亡   KMB3353
書籍名;「インド密教」[1999] 
このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

著者;立川武蔵 他 編  発行所;春秋社  発行日;1999.5.20
初回作成年月日;H29.6.14 最終改定日;H29.6.30
引用先;文化の文明化のプロセス  Converging 

 「密教シリーズ」の第1巻で、編者のほか12人の専門家が執筆をしている。
ここからの発想は、最澄や空海の時代に盛んになり始めた密教のもとが、弥生時代の古代日本にも伝わっていたことを思わせる歴史が存在するのではないか、といったことであった。

 なぜ今「密教」なのかを詳細に説明することを目的として、「はしがき」には次のように記されている。
『現代の社会は高度産業技術のますますの刷新をめざし、「合理」の名のもとに効率の良さにトップ・プライオリティーを置いている。生物学的生命体としてのヒトの精神・生理学的メカニズムを奪い去り、コンピュータ上で数値として操作できるデータとして人間は扱われ始めた。子供たちは、そして大人たちも、コンピュータのデイスプレイにたち現れる画像の動きと自分たちの生身の肉体の動きとを重ね合わせることによって十分な身体的刺激を得る、あるいは得ると思い込む、現代人はそのようなかたちの観念人間になっている。
 
 この観念人間を世界規模の市場経済はまるのみいしようとしているのが、グローバリゼーションであり、それは要するに世界中を均一の原理、つまり合理化された市場原理によって統括しようとすること以外の何物でもない。だが、それは人類自滅の道なのではなかろうか。』(pp.ⅱ)

『今日、宗教の課題はフロピーの中に組み込まれた「データ人間」を、肉体を持ち生理的反応を有し続けるヒトの中に取り戻すことであろう。安全な地球環境を取り戻すには高度の科学技術が必要だろう。だが、それは今日のあくなき利潤の追求がどこかで止められるか修正されない限りは不可能である。秘術は、それのみでは、いかに高度なものであったとしても、技術のめざす目的を変えることはできない。技術の目的を変えることができるのは、その目的あるいは結果の利用の仕方を決定する人間のみである。
 
 いま、宗教は技術の目的をいかに人間たちの生活の中で利用すべきか、その「利用の仕方」を環境・倫理等の諸条件の中で考える立場にある。この問題は決して科学・政治・経済などの中では解決しない。科学や経済が自己否定を通じて自己を超えて再生することは期待できない。』(pp.ⅳ)
 この書は、20世紀最後に出版されたが、21世紀に入り俄かに経済学の分野でも「自己否定」の議論が進み始めている。しかし、それは議論のみであって、「自己を超えて再生する」ことは、確かに期待できない。

『宗教とわれわれが名づけてきた精神的伝統の中から今日の問題を考える意義は十分にあると思うのである。なかでも密教の伝統が育んできたもろもろの要素は、実は近代合理主義が削ぎ落しおとしたものそのもののように思われる。それ故にこそ、この4半世紀において欧米、日本などにおいて密教が再評価されてきているのではあるまいか。』(pp.ⅴ)

 そして、アジア全域における宗教を考える場合には、ヒンドウー教における「密教」(タントリズム)を視野に入れるべきと主張している。

 『インドに赴いた宣教師たちは、自分たちの宗教とはまるで異なった宗教をまのあたりにし、素保宗教の経典をさす「タントラ」という用語を西欧に紹介した。1799年のことであった。その後、「タントリズム」という語は、ヒンドウー教、ジャイナ教、ア予備仏教に共通する特定の形態をさすようになった。』(pp.21)
 
『仏教やヒンドウー教は一応の展開を遂げた後、5,6世紀以降のインドの時代状況の変化によってそれぞれの救済の方法を変質させざるをえなくなる。その変質した結果としての形態をわれわれは「密教」(タントリズム)と呼んでいるのである。(中略)
 仏教が求めたのは個々の人間の精神的至福としての悟り、目覚めであった。このことは仏教史を通じて変わらない。しかし、問題はこれを得る手段である。初期仏教から6、7世紀までの大乗仏教中期までは、悟りを求める手段は業と煩悩の止滅があり、悟りを得るための主要な手段であった。しかし、5、6世紀以降、徐々にではあるが、業と煩悩の止滅によって悟りを得るという伝統的な方法に揺らぎが見えはじめる。つまり、業と煩悩は単に否定されるべき俗なるものではなくて、業と煩悩をむしろ聖化して受け入れることによって悟りを得ようという傾向が強く見られるようになった。』(pp.23)

 ここには、現代的な合理性が感じられる。

・インド仏教の観自在

 『一般に観自在は慈悲を、文珠は智慧を具現するといわれる。慈悲は迷える生類に対する共感を基盤とするのに対し、智慧は仏の悟りに到達するための基盤となるものである。観自在は、煩悩を有する生類の各々の能力や資質に応じて救済を行うが、特に現世利益において優れている。』(pp.132)

 『観自在はシヴァ等のヒンドウー神的特徴を積極的かつ友好的に包摂して多様な姿をとる。他方、文珠は悟りに邁進する勇者らしく、愚かさを断ち切る智慧の剣をふりかざしたり、智慧の象徴である般若経典などを持つ。ただし観自在ほどにはさまざまな姿に変化させない。観自在は異宗教の者も含めた生類たちを、各々のレヴェルに応じて救済するために変化に富んだ姿をとるのである。』(pp.132)

 観自在は、西暦2世紀後半に成立した。様々なかたちをとり、多様性に富んだ万能の神が現れたことになる。日本では、十一面観自在、不空羂索観自在、千手観自在など。


 『観自在の図像には時代を通して古くからみられる一面二臂で蓮華を手に執る姿がある一方、シヴァ等のヒンドウー神的特徴を数多く包摂する姿や多臂の姿もあり、多様性に富む。ただし、千手観自在ほどに様々要素を数多く統合したような図像は、日本やチベットに比べてインド密教ではあまり知られておらず一般的でない。むしろ各々に特色を持った個性的な姿の観自在が信仰されたようである。』(pp.146)

 このインドにおける、「むしろ各々に特色を持った個性的な姿の観自在が信仰された」は、西洋的な思考が入り込んでいるようにも考えられる。しかし最澄や空海の時代に盛んになり始めた密教のもとが、弥生時代の古代日本にも伝わっていたことを思わせる歴史は興味深い。