八ヶ岳の24節季72候
涼風至(H29)土偶の魅力 (立秋の初候で、8月7日から12日まで)
この時期、東京などでは猛暑が続くのだが、ここ八ヶ岳南麓では、朝晩には涼風を感じる。ヒグラシの声があちこちから聞こえればなおさらである。入道雲に代わって、秋空らしい雲も時々現れる。
都会での美術展はもっぱら秋に集中するのだが、この辺りの秋は収穫祭で忙しい。毎週末に数か所で行われるので、山梨と長野県の県境に近いここからは、どこへ行くかを迷ってしまうことも度々である。そこで、夏の時期に多くの博物館や美術館で特別展が催される。
今年は、北杜市考古資料館と長野県の井戸尻考古館、八ヶ岳美術館が3館合同で「ぐるぐる八ヶ岳、縄文時代の渦巻模様」という企画展だ。渦巻模様は、縄文土器が有名で「神」とか「蛇」を表していると云われるが、多くの土偶にも描かれている。最も有名なのは、国宝の縄文のビーナスの頭頂部だろう。また、山梨県立考古博物館では、「考古博の土偶、縄文王国の土偶大集合」なる企画展が催されている。そこで、涼をとるためも兼ねて、ここと北杜市考古資料館を訪ねた。
先ずは、北杜市考古資料館。
数年前に大幅な模様替えをして有料になってからは、初めての入場だ。縄文時代から戦国末期までの地方史が良く分かる。
先ずは、縄文土器の渦巻き模様。蛇の形が明確なものもある。大きな土器を目の前にすると、縄文自体が蛇を表すとの説も納得がゆく。
火炎土器の前進とも思える土器も、渦巻だらけだ。
しかし、今回の目的は土偶にある。当館発行の「北杜の土偶」(H27)によれば、市内で土偶が出土した遺跡は80か所以上で、総数は1000個に上るそうだ。しかも、縄文前期から、中期・後期・晩期のすべてが揃っている。
しかし、我が家から最も近い「金生遺跡」の出土物は見当たらなかった。そこは、大規模な集落跡と配石遺構が発見されて、一部は掘り出されたままの公園になっている。
そこで、山梨県立考古博物館にも出かけることにした。甲府市内は暑い日で、人影は皆無だった。
入り口から、特徴ある土偶が並んでいた。
その中に、お目当ての金生遺跡出土の土偶があった。「ちゅうたくん」という名前まで記されている。
お腹には、どうどうとした渦巻が描かれていた。
金生遺跡だけでも、233個の土偶が見つかって居るのだが、これだけが中空で、しかも完全な形で出土したとある。多くの土偶に囲まれてると、色々な空想が浮かんでくるのだが、そのことは別途「その場考学との徘徊(24)」で考えてみることにする。
涼風至(H29)土偶の魅力 (立秋の初候で、8月7日から12日まで)
この時期、東京などでは猛暑が続くのだが、ここ八ヶ岳南麓では、朝晩には涼風を感じる。ヒグラシの声があちこちから聞こえればなおさらである。入道雲に代わって、秋空らしい雲も時々現れる。
都会での美術展はもっぱら秋に集中するのだが、この辺りの秋は収穫祭で忙しい。毎週末に数か所で行われるので、山梨と長野県の県境に近いここからは、どこへ行くかを迷ってしまうことも度々である。そこで、夏の時期に多くの博物館や美術館で特別展が催される。
今年は、北杜市考古資料館と長野県の井戸尻考古館、八ヶ岳美術館が3館合同で「ぐるぐる八ヶ岳、縄文時代の渦巻模様」という企画展だ。渦巻模様は、縄文土器が有名で「神」とか「蛇」を表していると云われるが、多くの土偶にも描かれている。最も有名なのは、国宝の縄文のビーナスの頭頂部だろう。また、山梨県立考古博物館では、「考古博の土偶、縄文王国の土偶大集合」なる企画展が催されている。そこで、涼をとるためも兼ねて、ここと北杜市考古資料館を訪ねた。
先ずは、北杜市考古資料館。
数年前に大幅な模様替えをして有料になってからは、初めての入場だ。縄文時代から戦国末期までの地方史が良く分かる。
先ずは、縄文土器の渦巻き模様。蛇の形が明確なものもある。大きな土器を目の前にすると、縄文自体が蛇を表すとの説も納得がゆく。
火炎土器の前進とも思える土器も、渦巻だらけだ。
しかし、今回の目的は土偶にある。当館発行の「北杜の土偶」(H27)によれば、市内で土偶が出土した遺跡は80か所以上で、総数は1000個に上るそうだ。しかも、縄文前期から、中期・後期・晩期のすべてが揃っている。
しかし、我が家から最も近い「金生遺跡」の出土物は見当たらなかった。そこは、大規模な集落跡と配石遺構が発見されて、一部は掘り出されたままの公園になっている。
そこで、山梨県立考古博物館にも出かけることにした。甲府市内は暑い日で、人影は皆無だった。
入り口から、特徴ある土偶が並んでいた。
その中に、お目当ての金生遺跡出土の土偶があった。「ちゅうたくん」という名前まで記されている。
お腹には、どうどうとした渦巻が描かれていた。
金生遺跡だけでも、233個の土偶が見つかって居るのだが、これだけが中空で、しかも完全な形で出土したとある。多くの土偶に囲まれてると、色々な空想が浮かんでくるのだが、そのことは別途「その場考学との徘徊(24)」で考えてみることにする。