その場考学のすすめ(15) H29.8.14投稿
TITLE:原価企画と安全設計の関係
先月、痛ましい事故が発生した。宮城県で、溜池に姉弟が転落して死亡したニュースだ。
www3.nhk.or.jp/news/html/20170727/k10011076471000.html から引用すると、
『・ため池に姉弟が転落し小1の弟が死亡 宮城 7月27日 14時56分
27日午前、宮城県大崎市の農業用のため池に、祖母の家に遊びに来ていた小学生のきょうだい2人が転落し、このうち6歳の弟が死亡しました。27日午前9時ごろ、宮城県大崎市松山須摩屋で「ため池に釣りに行った子どもが落ちた」と親族から消防に通報がありました。
警察によりますと、ため池に落ちたのは美里町北浦の小学1年生、高橋理緒くん(6)と2年生の8歳の姉で、理緒くんは病院に運ばれましたが、およそ2時間半後に死亡しました。(中略)現場のため池は、大崎市と土地改良区が管理する、周辺の水田に水を供給するための貯水池で、関係者以外が立ち入らないよう1メートル余りのフェンスで囲まれているということです。警察は、きょうだいが誤って池に転落したと見て詳しい状況を調べています。』
夏場になると、必ずと言ってよいほどの事故だった。しかし、今回は随分と違った。記事を調べてゆくと、次のことが分かった。
それは、数年前に、同じ場所でその兄弟の姉が、同様な事故で亡くなっていたことだった。更に、これらの事故とは別に、過去に起こった溜池での児童の死亡事故に関する裁判として、こんな記事があった。
『安全対策を取らなかったためだとして、遺族が県や市、管理者の地元の土地改良区などに約3千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、高松地裁は24日、土地改良区に限り約1115万円の支払いを命じた。
判決などによると、池まで上るために設置されている階段の入り口には鍵付きの門があったが、門の横を通り抜けて階段に入れる状態だった。森実将人裁判長は判決理由で「5歳児であれば容易に上れる構造だった」と指摘。「麻弥ちゃんの事故で幼児が転落する危険性は明らかになっていたのに、安全対策が不十分だった」と述べた。』
つまり、事故の原因は、溜池に近づけないようにする設備の管理が不十分であった、ということなのだ。損害賠償の裁判ならば、これで仕方がないと思うのだが、どうもおかしい。本当の安全の確保とはかけ離れていると、考えてしまう。
27日の事故に関する、実証見分の様子がTV映像で流れた。当該溜池に大人が斜面からずるずると溜池に腹ばいで入っていった。首までつかると、その大人は自力で岸に上がることができなかった。斜面が急で、水面下はぬるぬるしている。水面上にも下にもつかまるところはなにもない。
こんな設計が、通常の溜池の設計だと云う。「コンクリートで、かなりの角度で一定の斜面をつくる」ただそれだけのことだ。斜面は平らで何の凹凸もない。これが、通常の設計であり、それに基づいて見積もりがなされて、予算が執行される。一体、だれがどの時点で、「万一、人が落ちた時に、容易に這い上がれるように、斜面に凹凸を付けよう」と決めるのであろうか。
概算予算が決められて、入札のための設計が行われコストが算出される。この段階ではもはや遅すぎる。競争入札のために、できるだけコストを切り詰めるためだ。私は、思考範囲を広げる決定は、当初の企画段階にあると思っている。現代の原価企画は、一旦具体的な作業に入ると、ひたすら余分なコストを切るために用いられており、安全のためにコストを増やすという発想は難しい。そこで考えられたのが、「メタエンジニアリング思考による新・原価企画」で、企画段階での思考範囲を人文科学分野に広げるということであった。
設計が、その中身をどこまで深く考えるかは、原価企画で決まる、と「新・原価企画」の中で述べた。そして、当初の見積もりの中身を決定する際の、思考の範囲を「専門分野から、人文科学的な分野へ広げなければ、長期間使用中に不具合が必ず起きる」とも述べた。また、再発防止の検討段階については、「不慮の事故が起きた際の再発防止対策は、大多数の場合に、設計にまでさかのぼることはない」とも述べた。(拙著;メタエンジニアリングによる新・原価企画 [2017] 日本経済大学大学院 メタエンジニアリング研究所)
新たなことやモノを始める場合に、長期的に使われて安全であるかどうかを決める「その場」は、「計画段階の原価企画」だと思う。その後の設計は、原価企画の範囲内でしか行われない。そうでなければ、採算が成り立たないからである。
TITLE:原価企画と安全設計の関係
先月、痛ましい事故が発生した。宮城県で、溜池に姉弟が転落して死亡したニュースだ。
www3.nhk.or.jp/news/html/20170727/k10011076471000.html から引用すると、
『・ため池に姉弟が転落し小1の弟が死亡 宮城 7月27日 14時56分
27日午前、宮城県大崎市の農業用のため池に、祖母の家に遊びに来ていた小学生のきょうだい2人が転落し、このうち6歳の弟が死亡しました。27日午前9時ごろ、宮城県大崎市松山須摩屋で「ため池に釣りに行った子どもが落ちた」と親族から消防に通報がありました。
警察によりますと、ため池に落ちたのは美里町北浦の小学1年生、高橋理緒くん(6)と2年生の8歳の姉で、理緒くんは病院に運ばれましたが、およそ2時間半後に死亡しました。(中略)現場のため池は、大崎市と土地改良区が管理する、周辺の水田に水を供給するための貯水池で、関係者以外が立ち入らないよう1メートル余りのフェンスで囲まれているということです。警察は、きょうだいが誤って池に転落したと見て詳しい状況を調べています。』
夏場になると、必ずと言ってよいほどの事故だった。しかし、今回は随分と違った。記事を調べてゆくと、次のことが分かった。
それは、数年前に、同じ場所でその兄弟の姉が、同様な事故で亡くなっていたことだった。更に、これらの事故とは別に、過去に起こった溜池での児童の死亡事故に関する裁判として、こんな記事があった。
『安全対策を取らなかったためだとして、遺族が県や市、管理者の地元の土地改良区などに約3千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、高松地裁は24日、土地改良区に限り約1115万円の支払いを命じた。
判決などによると、池まで上るために設置されている階段の入り口には鍵付きの門があったが、門の横を通り抜けて階段に入れる状態だった。森実将人裁判長は判決理由で「5歳児であれば容易に上れる構造だった」と指摘。「麻弥ちゃんの事故で幼児が転落する危険性は明らかになっていたのに、安全対策が不十分だった」と述べた。』
つまり、事故の原因は、溜池に近づけないようにする設備の管理が不十分であった、ということなのだ。損害賠償の裁判ならば、これで仕方がないと思うのだが、どうもおかしい。本当の安全の確保とはかけ離れていると、考えてしまう。
27日の事故に関する、実証見分の様子がTV映像で流れた。当該溜池に大人が斜面からずるずると溜池に腹ばいで入っていった。首までつかると、その大人は自力で岸に上がることができなかった。斜面が急で、水面下はぬるぬるしている。水面上にも下にもつかまるところはなにもない。
こんな設計が、通常の溜池の設計だと云う。「コンクリートで、かなりの角度で一定の斜面をつくる」ただそれだけのことだ。斜面は平らで何の凹凸もない。これが、通常の設計であり、それに基づいて見積もりがなされて、予算が執行される。一体、だれがどの時点で、「万一、人が落ちた時に、容易に這い上がれるように、斜面に凹凸を付けよう」と決めるのであろうか。
概算予算が決められて、入札のための設計が行われコストが算出される。この段階ではもはや遅すぎる。競争入札のために、できるだけコストを切り詰めるためだ。私は、思考範囲を広げる決定は、当初の企画段階にあると思っている。現代の原価企画は、一旦具体的な作業に入ると、ひたすら余分なコストを切るために用いられており、安全のためにコストを増やすという発想は難しい。そこで考えられたのが、「メタエンジニアリング思考による新・原価企画」で、企画段階での思考範囲を人文科学分野に広げるということであった。
設計が、その中身をどこまで深く考えるかは、原価企画で決まる、と「新・原価企画」の中で述べた。そして、当初の見積もりの中身を決定する際の、思考の範囲を「専門分野から、人文科学的な分野へ広げなければ、長期間使用中に不具合が必ず起きる」とも述べた。また、再発防止の検討段階については、「不慮の事故が起きた際の再発防止対策は、大多数の場合に、設計にまでさかのぼることはない」とも述べた。(拙著;メタエンジニアリングによる新・原価企画 [2017] 日本経済大学大学院 メタエンジニアリング研究所)
新たなことやモノを始める場合に、長期的に使われて安全であるかどうかを決める「その場」は、「計画段階の原価企画」だと思う。その後の設計は、原価企画の範囲内でしか行われない。そうでなければ、採算が成り立たないからである。