様々なメタシリーズ(73)
社会学系(20)
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
初回作成年月日;2022.2.6 最終改定日;
TITLE:メタ人文社会学誌
歴史書の中で、「アナール」という言葉が目に付いた。
Wikipediaには「アナール」という項目は無く「アナール学派」として、概要が次のように記されている。
『アナール学派(英: Annales School)は、20世紀に大きな影響力を持ったフランス現代歴史学の潮流のひとつ。「アナール」は「年報」の意味で、幾度か誌名を変えながら現在でも発刊が続くフランスの学術誌「社会経済史年報 」に集まった歴史家が主導したために、この呼び名がある。
旧来の歴史学が、戦争などの政治的事件を中心とする「事件史」や、ナポレオンのような高名な人物を軸とする「大人物史」の歴史叙述に傾きやすかったことを批判し、見過ごされていた民衆の生活文化や、社会全体の「集合記憶」に目を向けるべきことを訴えた。この目的を達成するために専門分野間の交流が推進され、とくに経済学・統計学・人類学・言語学などの知見をさかんに取り入れた。民衆の生活に注目する「社会史」的視点に加えて、そうした学際性の強さもアナール派の特徴とみなされている。』
そこで、伊東俊太郎編「アナールとは何か」(藤原書店(2003))で、その中身を覗いてみた。この書の副題は、『進化しつづける「アナール」の100年』で、まさに進化し続けていることが分かる。カテゴリーとしては、歴史雑誌なのだが、その学際性に加えて、進化し続けるところにもメタを感じる。つまり、メタ的な進化が行われてきた。
原流は、20世紀初頭の二つの雑誌から始まっている。アンリ・ベールの「歴史総合雑誌」と、エミール・デュルケームの「社会学年報」だ。この二つを統合しようとの流れが起こった。当初は、社会学者の歴史家に対する批判は強く、「歴史記述偏重」への異論が絶えなかった。
しかし、1920年に「人類の進化」という叢書(当初の計画では100タイトル)の刊行が始まり、多くの著名人が加わった。その流れは、次のように記されている。
『1931年、歴史総合雑誌」は守備範囲を自然科学にまで広げ、やがて「総合雑誌」と改名する。』(p.17)
その後、1929年に「社会経済紙年報」という雑誌が生まれ、この「年報」が「アナール」と呼ばれるようになった。以降、現在まで続いており、まとめて単行本が発行され続けている。
初期には、経済的・社会的な投稿が多く、マルクス主義的と言われた時代もあったが、幅広い文明論的な論文が多くを占めるようになり、中立性が保たれているように思われる。日本人の論文も、少数ながら、掲載された年がある。
雑誌に取り上げられた論文は、十数年ごとに単行本として日本でも発売されている。定価は¥8800と高価なので、個人向けではない。その中の第Ⅲ巻(1929-1945)の目次を紹介する。ここには、3人の日本人が登場している。
第Ⅲ巻序文 プ口ーデルの時代1958-19紹年 アンドレ・ビュルギェール
第1章 長期持続 フェルナンブローデル
第2章 オートメーションーいくつかの心理・社会学的局面と効果 ジョルジュ・フリードマン
第3章 アステカおよび古代エジプトにおける記数法の比較研究 ジュヌヴィェーヴ・ギテル -
第4章 歴史と気候 工マニュエル・ル・口ワ・ラデュリ
第5章 歴史学と社会科学一長期持続 ウォルト・W・ロストウ
第6章 中世における教会の時間と商人の時間 ジャック・ル・ゴフ
第7章 トリマルキオンの生涯 ポール・ヴェーヌ
第8章 日本文明とヨーロッパ文明 豊田尭
第9章 日本近代史についての異端的覚書 河野健二
第10章 貴族社会における「若者たち」一北西フランスの12世紀 ジョルジュ・デュビー
第11章 精神分析と歴史学→スパルタの歴史への適用 ジョルジュ・ドウヴルー
第12章 18世紀におけるイギリスとフランス ―両国の経済成長に関する比較分析試論 フランソワ・クルーゼ
第13章 女神の排泄物と農耕の起源 吉田敦彦
第14章 デモクラシーの社会学のために クロード・ルフォール 轟
第15章 イングランドの農村蜂起、1795-1850年 エリック・ホブズボーム
第16章 黒い狩猟者とアテナイ青年軍事教練の起源 ピエール・ヴィダル・ナケ
メタ指向の所以か、表題に統一性は見えないのだが、これを纏めてアナール学派と云われているようだ。ちなみに、日本の歴史家の網野善彦もこの派との記述があったが、彼の論文は見当たらなかった。
社会学系(20)
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
初回作成年月日;2022.2.6 最終改定日;
TITLE:メタ人文社会学誌
歴史書の中で、「アナール」という言葉が目に付いた。
Wikipediaには「アナール」という項目は無く「アナール学派」として、概要が次のように記されている。
『アナール学派(英: Annales School)は、20世紀に大きな影響力を持ったフランス現代歴史学の潮流のひとつ。「アナール」は「年報」の意味で、幾度か誌名を変えながら現在でも発刊が続くフランスの学術誌「社会経済史年報 」に集まった歴史家が主導したために、この呼び名がある。
旧来の歴史学が、戦争などの政治的事件を中心とする「事件史」や、ナポレオンのような高名な人物を軸とする「大人物史」の歴史叙述に傾きやすかったことを批判し、見過ごされていた民衆の生活文化や、社会全体の「集合記憶」に目を向けるべきことを訴えた。この目的を達成するために専門分野間の交流が推進され、とくに経済学・統計学・人類学・言語学などの知見をさかんに取り入れた。民衆の生活に注目する「社会史」的視点に加えて、そうした学際性の強さもアナール派の特徴とみなされている。』
そこで、伊東俊太郎編「アナールとは何か」(藤原書店(2003))で、その中身を覗いてみた。この書の副題は、『進化しつづける「アナール」の100年』で、まさに進化し続けていることが分かる。カテゴリーとしては、歴史雑誌なのだが、その学際性に加えて、進化し続けるところにもメタを感じる。つまり、メタ的な進化が行われてきた。
原流は、20世紀初頭の二つの雑誌から始まっている。アンリ・ベールの「歴史総合雑誌」と、エミール・デュルケームの「社会学年報」だ。この二つを統合しようとの流れが起こった。当初は、社会学者の歴史家に対する批判は強く、「歴史記述偏重」への異論が絶えなかった。
しかし、1920年に「人類の進化」という叢書(当初の計画では100タイトル)の刊行が始まり、多くの著名人が加わった。その流れは、次のように記されている。
『1931年、歴史総合雑誌」は守備範囲を自然科学にまで広げ、やがて「総合雑誌」と改名する。』(p.17)
その後、1929年に「社会経済紙年報」という雑誌が生まれ、この「年報」が「アナール」と呼ばれるようになった。以降、現在まで続いており、まとめて単行本が発行され続けている。
初期には、経済的・社会的な投稿が多く、マルクス主義的と言われた時代もあったが、幅広い文明論的な論文が多くを占めるようになり、中立性が保たれているように思われる。日本人の論文も、少数ながら、掲載された年がある。
雑誌に取り上げられた論文は、十数年ごとに単行本として日本でも発売されている。定価は¥8800と高価なので、個人向けではない。その中の第Ⅲ巻(1929-1945)の目次を紹介する。ここには、3人の日本人が登場している。
第Ⅲ巻序文 プ口ーデルの時代1958-19紹年 アンドレ・ビュルギェール
第1章 長期持続 フェルナンブローデル
第2章 オートメーションーいくつかの心理・社会学的局面と効果 ジョルジュ・フリードマン
第3章 アステカおよび古代エジプトにおける記数法の比較研究 ジュヌヴィェーヴ・ギテル -
第4章 歴史と気候 工マニュエル・ル・口ワ・ラデュリ
第5章 歴史学と社会科学一長期持続 ウォルト・W・ロストウ
第6章 中世における教会の時間と商人の時間 ジャック・ル・ゴフ
第7章 トリマルキオンの生涯 ポール・ヴェーヌ
第8章 日本文明とヨーロッパ文明 豊田尭
第9章 日本近代史についての異端的覚書 河野健二
第10章 貴族社会における「若者たち」一北西フランスの12世紀 ジョルジュ・デュビー
第11章 精神分析と歴史学→スパルタの歴史への適用 ジョルジュ・ドウヴルー
第12章 18世紀におけるイギリスとフランス ―両国の経済成長に関する比較分析試論 フランソワ・クルーゼ
第13章 女神の排泄物と農耕の起源 吉田敦彦
第14章 デモクラシーの社会学のために クロード・ルフォール 轟
第15章 イングランドの農村蜂起、1795-1850年 エリック・ホブズボーム
第16章 黒い狩猟者とアテナイ青年軍事教練の起源 ピエール・ヴィダル・ナケ
メタ指向の所以か、表題に統一性は見えないのだが、これを纏めてアナール学派と云われているようだ。ちなみに、日本の歴史家の網野善彦もこの派との記述があったが、彼の論文は見当たらなかった。
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