生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

その場考学との徘徊(14) 青銅器に記された絵

2016年12月07日 08時31分43秒 | その場考学との徘徊
青銅器に記された絵 場所;奈良  年月日;H28.11.28

 橿原考古学研究所博物館の次の日には、天理博物館を見学させてもらった。正式名称は「天理大学付属天理参考館」となっている。天理は、桜井から始まる山の辺の道の終点(昔の話で、現在は北に延びて、奈良の新薬師寺方面まで続いている)なので、過去50年間に何度か訪れているのだが、ここは初めて。
 橿原考古学研究所博物館の説明員の方に、「付近で発掘された絵付きの土器の一部は天理の博物館にあります」と言われて、出かけることにした。
建物もさることながら、展示の規模も驚くほどのもので、時間が足りなかった。説明書の冒頭には、
『当館は、海外に渡り、天理教を広めようとする人々が、諸外国の生活習慣や歴史などの知識を深めるため、中山正善天理教二代真柱によって、1930年(昭和5)に創設されました。(中略)また、当然のことながら日本の文化に対する知識も持っていなければなりません。』とある。
確かに、布教もそうだが、私には布教の時よりは、国際共同開発などのビジネスの世界のほうが、このことはより重要さが増すと思う。布教の場合には、宗教の内容自身に共通の価値があるのだが、ビジネスの世界の価値は複雑である。それだけに、相互の文化の理解は重要さが増すだろうというわけなのだが。

 

 ところで、肝心の日本の古代の遺物は、広々とした3階のスペースにふんだんに並べられており、先ずはその規模に圧倒された。お目当ての「絵付きの土器」はすぐに見つけることができた。

 

 残念ながら、実物の多くは収蔵庫にあるようだが、分かりやすい説明があった。ここは、博物県ではなく、参考館の趣旨からいえば、実物よりは説明文のほうが重要なのかもしれない。



 埴輪も、色々な種類が並べられており、思わぬ収穫だった。

 驚いたのは、中国の殷と周の時代の青銅器の展示だ。奈良の国立博物館や京都の泉屋博古館に負けない、精巧な遺物が展示されている。中でも驚いたのが、この青銅器に描かれた絵であった。



「戦国時代の青銅器に刻まれた」「青銅器を使った饗宴の光景」とある。古い青銅器の多くは饕餮紋と称する図柄と、それを変形したものが多いのだが、このような現実の情景を描かれているものがあるのは、驚きだった。青銅器の部分をよく見ると、3本足の鼎(食物を煮炊きする)も爵(酒を温めたり、飲んだりする)もきちんと使われている。

 

 受付にもどると、多くの小冊子が並んでいた。中には、「殷周の青銅器」と題するものがあり、早速購入して、中身を確かめた。1995年に催された特別展の展示物だが、残念ながらこの絵がついた青銅器の図は無かった。説明員の人に尋ねても、「多分、地下の倉庫にあるのでしょう」との返事だけだった。




 設立の趣旨にあるように、主にアジアからオセアニア・南北アメリカの展示が多かったように思う。古代朝鮮の瓦の図柄で、高句麗・新羅・百済の特徴ある文様(日本のものは、やはり百済風)、台湾の先住民族の複雑な分布(20種類以上に分割されている)など、私にとっての新発見がいくつもあり、是非、再びゆっくりと尋ねてみたいところだった。


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