生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアリングのすすめ 第15話の3

2016年03月13日 09時00分22秒 | メタエンジニアリングのすすめ
科学・メタエンジニアリング・工学(3)

第1章 科学と工学と技術を繋ぐ(その1)

1 科学と現代工学の最大問題 


 現代文明が崩壊の危機に直面しているといわれ始めて十数年が経過した。その原因の多くは、地球環境を破壊するまでに拡大した科学技術による唯物文明のグローバル化によるものと考えられている。地球温暖化による環境破壊の影響の甚大さに、世界中の全ての国で温暖化対策を実行するとの合意が、2015年12月12日にパリで開かれていたCOP21の会議で採択された。これにより、ようやく人類共通の危機感が共有されたことが証明された。ここまでに、21回もの大国際会議が必要であったことは、如何に難題であったかがうかがえる。
 その席での合意内容の重要な項目は、先進国から途上国への対策のための資金援助であった。これは、「科学と技術が問題を解決してくれる」との期待が込められている。しかし、これからの世界において、科学と技術というものが、問題を創り出すよりも多く かつ早く問題を解決してくれるという仮定は、はたして正しいと言えるであろうか。
 過去の環境破壊のスピードは、問題が発見されてから対策を講じることで、何とか破壊を免れることに成功した。フロンガスによるオゾン層破壊などは、好例であった。しかし、グローバル化と途上国の経済的発展のスピードが、過去の何れの時代よりも高速化しつつある現代において、その確信はない。新たな科学技術の創造物のImplementationは、より慎重でなければならない。即ち、潜在する課題の未然の発見である。
 現代の工学のあり方の大問題について、面白い論文に出合った。詳細は第3章の「欧米のメタエンジニアリング」に記すが、中身は以下の言葉で始まっている。
 『エンジニアリングは学会、職業、そして概念として進化し続けている。エンジニアリングの概念を記述することも、継続的に明確かつより正確に進化するプロセスであるとともに、それは常に、更により明確に、より正確になる可能性を持っている。
 そこで、我々はエンジニアリングの本質を見つけようとこのプロセスの小さな一歩を踏み出し、さまざまな種類のエンジニアリング活動に共通しているものを特定し、その定義の幅を広げることを試みる。任意のエンジニアリング活動の共通点として必要な条件を提案する。また、仮想的な定義として、メタエンジニアリングというコンセプトを提案する。
我々は、科学とエンジニアリングとを区別し、重要な側面で互いに対向していることを示す。お互いの方向は正反対でだが、両立しないものではない。両者の統合的な視点を識別し、サイバネティックループを介してそれらを相乗的に関連付けることができる。また、エンジニアリングと産業にも相乗的な関係があることも示す。これら2つの統合的な視点から、エンジニアリングの役割が科学と産業の「サイバネティックな架け橋」として、更にはそれらと社会との懸け橋であることを示すことができる。
 我々の提案した定義がもつ意味の帰結として、また、グローバル化現象により生じる新たな要請として、そしてグローバルエンジニアの養成の必要性が増すことにより生じる要請として、エンジニアリング教育でなされるべき重要な変更も示す。(中略)王立工学アカデミーのフェローのSir. Robert Malpas (2000) によると、「いわゆる新経済はエンジニアリングのプロセスを通じて形成され、かつ形成され続けてきた。エンジニアリングが社会と経済に浸透することが明らかになった。」(pp. 6-9) エンジニアリングが世界を変える上で重要な役割を果たしている、しかし、エンジニアリングは、それによって変えられている世界に適応して変わりつつあるのだろうか?』である。
 この論文に示されたメタエンジニアリングの定義は、我々のものとは異なる点もあるのだが、その発想は全く同じところにあるので、敢えて紹介する。

2 細分化された科学と工学のおおもと

 現代の科学と工学は、もちつもたれつの関係にある。工学が最新科学によって進化をするのは当然なのだが、科学もまた、最新工学の成果なしには、前に進むことはできない。そこで、科学と工学は文明という大木の枝であり、根っこは一つでなければならないとの考えが成立する。このような概念は、抽象的と言われるかもしれないが、何事によらず根もとはしっかりと固めておかないと いけない。
「文明の設計」という視点から考えると、現代の細分化された科学と工学は詳細設計に相当する。そこで、構想設計、基本設計に相当するものをしっかりと押さえておかないと、正しい製品を設計することはできない、ということである。
 この構想設計、基本設計に相当するものは、メタエンジニアリングである。「メタ」の持つ意味は、アリストテレスの形而上学では、「すべての自然学が出尽くした後で、そのおおもとを探る」であったが、最近の欧米では、「新たな物事を設計する際の設計の方法論」とのとらえ方が多い。メタエンジニアリングは、その両方の意味を含めた「メタ」を目指している。

3 工学の上位概念としての「場」

 工学(Engineering)は、従来「社会にとって必要とされるものをつくるためのもの」と考えられてきた。Wikipediaには次のようにある。
 『日本の国立8大学の工学部を中心とした「工学における教育プログラムに関する検討委員会」の文書(1998年)では、次のように定義されている。工学とは数学と自然科学を基礎とし、ときには人文社会科学の知見を用いて、公共の安全、健康、福祉のために有用な事物や快適な環境を構築することを目的とする学問である。工学は大半の分野で、理学の分野である数学・物理学・化学等々を基礎としているが、工学と理学の相違点は、ある現象を目の前にしたとき、理学は「自然界(の現象)は(現状)どうなっているのか」や「なぜそのようになるのか」という、既に存在している状態の理解を追求するのに対して、工学は「どうしたら、(望ましくて)未だ存在しない状態やモノを実現できるか」を追及する点である。あるいは「どうしたら目指す成果に結び付けられるか」という、人間・社会で利用されること、という合目的性を追求する点である、とも言える。』

 Engineeringのもう一つの意味である技術は、工学の成果を用いて様々な社会の要求に答えて現代社会を作り上げた。即ち、近代工業文明である。一方で、約2世紀間にわたるこの文明の発展により、地球環境問題をはじめとする多くの大問題が生じてしまった。
 現代では、世の中の全ての人間の活動は工学の成果なしには成り立たない。政治、経済、文化、宗教、生活等、すべてエンジニアリングの成果を用いて成り立ち、かつ持続的発展の可能性を保っていると云うことができる。そして、遂には地球の未来にまで影響を及ぼすことが明らかとなった。このことは、第2次世界大戦の前後にドイツの哲学者のハイデッガーが「技術への問い」という論文の中で述べている。近い将来に技術が世界の全ての人間活動のもとになるであろうとの説である。つまり、エンジニアリングというものが、社会の一部であったものから、世界全体を占めることになってしまったわけである。 
 そのような状態下で、エンジニアリングは従来の考え方だけで良いのであろうか。つまり、そのときどきの社会が求めるものを実現させるものを、単に作り続けることの危険性の増大をどのように排除してゆくかである。極端な言い方をすれば、社会がエンジニアリングの内にある、と考えた場合のエンジニアリングの定義の問題が生じる。

 もう一つの大きな問題は、グローバル化によるスピードの問題だ。現在のイノベーションは、スマートフォンなどに見られる如くに即日中に全世界に広がってしまう。もし、従来の数々の事例にあるごとくに、公害や副作用があった場合には、その影響は限られた地域に留まることはない。したがって、この様な状態は、エンジニアの責任の重大さが以前にまして数十倍、数百倍になったことを示している。

 このことを、古代ギリシャにあてはめてみた。ソクラテスやプラトンが社会現象を色々な見方で分析をした結果が、アリストテレスに引き継がれた。彼はその先を突き詰め、倫理的な考えを経て、全ての根源を考える学問としての形而上学を始めた。当時の自然学(Phisica)の元を解明するためのものとして、それはMeta-Phisicaと命名された。この形而上学は中世に至るまで学問と哲学の分野で進展をしたが、現実世界とのかい離が大きく近代社会では重要視されなくなってしまった。そして、現代社会は再び根本に戻らなければならない時を迎えているのではないだろうか。
 この様な経緯から私は、これからのエンジニアリングは、従来のEngineeringと並行して、Meta-Engineeringという考え方が新たに必要であると考える。メタエンジニアリングという言葉は、日本工学アカデミーから2009年に発信された。

 社団法人日本工学アカデミーの政策委員会から、2009年11月26日に出された「我が国が重視すべき科学技術のあり方に関する提言~ メタエンジニアリングの提唱 ~」という「提言」では、「社会課題と科学技術の上位概念から社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」を『メタエンジニアリング(英語では、上位概念であることを強調して Meta Engineering と表現)』と名付ける、としている。

 この提言に基づいて発足したアカデミー内の部会では、メタエンジニアリングの実装を目的とした議論が続けられているが、私はその内容がやや狭い範囲に留まっているという印象を持っている。すなわち、メタエンジニアリングの主機能を新たなイノベーションの発見と持続にのみ求め過ぎているように思われる。それ自身は必要かつ、特に現在の我が国にとって大切なことなのだが、メタエンジニアリングという言葉はもっと広義の新たなエンジニアリングでなければならない。私は、提言にある「上位概念から社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」という部分を強調してゆきたいと考えている。

 19世紀から盛んになった現代の工業化社会の文明は、20世紀終盤から一気に情報化社会、更には知識社会へと変貌をしている。知識社会文明という言葉はまだ一般的ではないが、早晩21世紀の文明の座を得るであろう。その中にあって、現代の工業化社会文明の最も基礎的な部分を担ってきたEngineering(工学と技術)は、従来のままで良いはずはない。知識社会文明に対応した新たなEngineeringが必要となるであろう。それをMeta- Engineeringと定義してみようと思う。

 この発想は、数年前に聞いたある先進的な学会での高名なパネリストの発言に端を発している。すなわち「私は自然科学者なので、社会科学者のおっしゃっている言葉が良く理解できません」というものだ。工学の多くは自然科学に依存している。そして、現代の全ての人間活動はエンジニアリングの生産物の上に成り立っているといっても過言ではないであろう。しかし、近年のグローバル化の急激な進展においては、エンジニアリングの特に広義の設計(デザインというべきか)の結果は、社会科学的、人文科学的かつ哲学的にも正しいものでなければならない。そうでなければ、人間社会の持続性が危ぶまれる事態になりつつある。過去における様々なEngineering Schemeが引き起こした、副作用や公害や更には地球の持続性を脅かすような経験は、もはやこれからのEngineeringには許されない場面がより多く存在することになるであろう。
 そして、知識社会文明における新たなエンジニアリングとしてのMeta- Engineeringは、先ずは、現在の社会に存在する様々なイノベーションの結果をMeta- Engineeringの眼で見なおしてみることから始めてはどうであろうか。
 例えば、便利さを求めてひたすらデジタル化を進めることにより連続的にものごとを捉えて深く考える習慣の欠落、日本の品質という名のもとに、ひたすら品質の完全性を求める姿勢、競争に勝つための技術的な進化の過程におけるWhat優先の弊害としてのWhyの伝承不足などは、「上位概念から社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」という見地から考察の余地が身の回りのそこここにあるように考える。
この例はごく卑近なものなのだが、技術の上位概念を人文科学、社会科学、心理学、生態学、さらには哲学にまで広げると、Meta- Engineeringに付託すべき新たな課題は現代社会に無数に存在しているのであろう。

現代の流れ

 科学 ⇒ 工学 ⇒ もの・ことつくり


メタエンジニアリング導入後の流れ

 科学 ⇒ メタエンジニアリング ⇒ 工学 ⇒ もの・ことつくり


(続きは、その4にて)

メタエンジニアリングのすすめ 第15話の2

2016年03月13日 08時52分34秒 | メタエンジニアリングのすすめ
 科学・メタエンジニアリング・工学(2)目次

 はじめに全体像を把握していただくために「目次」を紹介します。しかし、これは現時点のもので、まだ確定ではありませんので、ご参考程度にご覧ください。

第1章 科学と工学と技術を繋ぐ 
この章では、2世紀にわたって細分化が進んだ科学と工学が、現代の地球環境の悪化などの問題を引き起こした主原因と考え、その解決方法を探ります。           

  1 科学と現代工学の最大問題            
  2 細分化された科学と工学のおおもと        
  3 工学の上位概念としての「場」          
  4 メタエンジニアリングの主機能          
  5 比較文明学とメタエンジニアリング        
  6 地球環境問題とメタエンジニアリング       
  7 持続的なイノベーションとメタエンジニアリング  
  8 トランス・エンジニアリングとメタエンジニアリング

第2章 現代科学が生まれたとき
 この章では、暗黒の中世から抜け出して、イスラムを凌駕して西欧科学文明が始まった、初期からの推移を追ってみます。
            
  1 哲学からの分離                 
  2 自然科学と非自然科学の関係の変化        
  3 百学連環からの逸脱               
 
第3章 エンジニアリングとメタエンジニアリングの本質
 現代のエンジニアリングが変わらなければならない状態にあることを示した、欧米の権威筋の発言を紹介し、東洋的な考え方との対比を示します。
 
  1 欧米のメタエンジニアリング           
  2 日本のメタエンジニアリング           

第4章 科学の信頼性喪失と疑似科学の関係
 福島原発以降に急激に高まった、科学への信頼感の喪失の原因をさぐります。
       
  1 現代の疑似科学とは何か             
  2 メタエンジニアリングと疑似科学について     

第5章 エンジニアはどうしなければならないのか
 1960年代後半に起こった、東大紛争以来の工学の在り方についての、関係者の葛藤を振り返ります。
     
  1 「失敗の本質」より
  2 「工学部は何を目指すか」の場でのメタエンジニアリング(1)
  3 「工学部は何を目指すか」の場でのメタエンジニアリング(2)
                          
第6章 現代の自然科学と人文社会科学の関係 
 最近盛んになった、人文科学系との連携について、メタエンジニアリング的な考え方を示します。
     
  1 現代の人文社会科学の価値            
  2 文学はなぜ必要か                 
  3 科学と経済学の関係               

第7章 地球上での文明の持続的進化のために
  地球文明の持続的進化について、どのように変えてゆくべきかを考えてゆきます。
     
  1 文明の衰退の時期が近づいている         
  2 文明が衰退するのは何故か           
  3 文化と文明に対するメタエンジニアリングの役割 

補章 アリストテレスとメタフィジック
  なぜ、メタエンジニアリングの出発点が、古代ギリシャ時代まで遡ったかの説明です。  

(以下は、その3に続く)

メタエンジニアリングのすすめ 第15話の1

2016年03月13日 08時43分26秒 | メタエンジニアリングのすすめ
科学・メタエンジニアリング・工学(その1)はじめに

 私がメタエンジニアリングの研究を始めてすでに5年間が経ち、考えがだいぶ纏まってきました。それは、次の二つのテーマに絞られます。
第一は、現代の西欧型科学文明のままでは、地球環境や生活の満足度がますます悪くなるであろう、という懸念です。そのために「優れた日本文化の文明化のプロセス」というテーマを掲げました。
第二は、西欧型資本主義と現代文明の基となった、科学と工学と社会の関係への疑問です。グローバル経済とイノベーション指向に埋没して、世界中が唯物文化に急速に席捲されています。この状態が、第一の問題をさらに悪化させているのではという考えです。そこで、科学と社会の間にメタエンジニアリングという概念を置いて、科学と工学の関係を見直すために、「科学・メタエンジニアリング・工学」というテーマを設定しました。
 二つとも、大それたテーマであることは重々承知していますが、その場考学半老人の妄言として、しばらくのおつきあいを願えれば、幸せです。さらに、所謂各方面のベテランの方々が、このようなテーマをともに考えてくだされば、望外の喜びと存じます。

 この二つのテーマにつきましては、既に小冊子に纏めておりますが、今回からは、まず第二のテーマにつきまして、その「まえがき」から順次紹介をしてゆきたいと存じます。

まえがき

 一般の人からの科学に対する信頼が急速に低下している。福島第1原発の事故とその対応のまずさがそのことに油を注いでしまった。「科学技術の敗北」などという記事が散見される。もはや、科学者の言動をそのまま信じる人は皆無であり、社会全体としてこの傾向は当分の間続いてしまうであろう。

 その理由は大きく二つに分けられる。第1は、科学と疑似科学が混在していること。第2は工学の分野での科学の具現化に誤りが存在すること。詳細は本文で述べることにするが、インターネットの普及による広い意味での情報の混乱と、技術の進歩の急速化が、従来さして問題にならなかったこの二つの問題を顕在化させてしまった。特に複雑な技術の進歩の急速化が現代人の脳の進化を大幅に超えていることは、生物学的には種の絶滅への方向を示しているとも云われ始めている。

 この問題を根本的かつ持続的に解決するために、科学と工学(即ち、エンジニアリング)の間に、メタエンジニアリングという新たな学問分野を置いてみることを試みてみようと考えている。科学の成果は自然界に存在するあらゆる現象なりものごとを論理的かつ合理的に説明することであり、それ自身に悪は存在しない。なぜならば、この宇宙は125億年の歴史があり、この地球には46億年の歴史がある。その間に全体が最適になるように変化してきた結果が現在なのであるから、生物の食物サイクルなどにみられるように、全体が調和をしている。従って、純粋に正しい科学を信頼しないことは、明らかに不合理なことに思える。つまり、科学への信頼性の欠如は、正しくない科学を科学と信じてしまうか、科学の使い方(即ち工学)に誤りがあるかのいずれかであろう。
 その二つの事柄を、より明確にして間違えを正す方法を考えてゆくことに、メタエンジニアリングを適用する試みが、本書の狙いである。つまり、メタエンジニアリングの基本命題は、「人類の将来にとって、本当に正しいということはどういうことなのか。そのことを念頭に新たな創造を進めるためには、どのようなプロセスを行うべきか」などである。 そこで、「科学・メタエンジニアリング・工学」というテーマでメタエンジニアリングの主機能を提案しようと思う。
 
 工学は約2世紀に亘って様々な分野での専門化が急速に進んだ。そして、その細分化の弊害が顕著になり、学際的な新分野とか俯瞰的統合化や融合・連携など色々な工夫が実際に試み始められている。しかし、工学の基本が「人の役に立つものことを、広い意味で設計すること」とする限りにおいて、この傾向には聊か疑問を感じてしまう。それは、私が長年にわたって大型航空機用ジェットエンジンの国際共同の設計開発の現場で色々な変化を見てきたことから発している。
 世の中のもの作りの産業界は、随分前から技術指向(すなわちシーズ・オリエント)から顧客志向(ニーズ・オリエント)に急速に変化をした。もはや懸命な新技術の研究によるシーズ・オリエントで一時をリードしても、最終的にはニーズ・オリエントを徹底する企業に負けてしまうという事例には事欠かない状態にあると云えるであろう。
 この様な見方で工学の学問分野をみると、依然としてシーズ・オリエントに固執しているように見えてしまう。そこで、メタエンジニアリングの機能との関連が出てくる。最近の研究会や論文の傾向は、一見するとニーズ・オリエントに見えることが多い。しかし、ニーズの中身をメタエンジニアリング思考すると、聊かの疑問を感じる。それは、科学や工学という学問分野での「ニーズ」のとらえ方にある。産業界の「ニーズ」は、あくまでも顧客であるが、学問の「ニーズ」は、産業界のそれとは明らかに異なるべきであろう。それは、社会全体とか地球環境の保全とか、人類文明の持続的発展とかといった、社会全体を対象とした「ニーズ」であるべきではないだろうか。学問分野の細分化のせいで、「ニーズ」も専門領域の範囲にとどまっている傾向がみられる。

 メタエンジニアリングは、工学的な発想や創造を従来以上の範囲に広げてゆこうという活動である。ひと⇒人間⇒文明・文化⇒哲学⇒人文科学・社会科学⇒自然科学⇒工学⇒技術という流れの中で、現代のエンジニアリングは、末端の3つのステップに集中して進化を遂げてきた。しかし反面多くの公害や環境異変をもたらす結果となった。好むと好まざるとによらずに、この傾向はグローバル競争時代にはますます激しくなることが予測されている。そこで、それを正す一つ方法として考えられるのが、新たなもの・ことを創造するエンジニア自身の思考範囲を「文明・文化⇒哲学⇒人文科学・社会科学」という上流まで遡らせるという考え方である。
 つまり、工学の価値の原点を自然科学分野に求めるのではなく、「文明・文化⇒哲学⇒人文科学・社会科学」という場において、そこから生じる価値を上位に置いて括りなおしてみてはいかがなものであろうか。
 例えば、幸福度・安心度・地球環境の向上・文明の進化といった具合である。この価値は、便利とか安いとか簡単にとか、より合理的にといったものとは異なり「文明・文化⇒哲学⇒人文科学・社会科学」という場から生じるものである。工学は現状の延長上での発展を続けるものとして、科学と工学の間に思考の場を持つ新しい工学の考え方として「メタエンジニアリング」の主機能を定義する試みを、第2の狙いとしてみようと思う。

 現代科学は、近未来に向かって更なる分化と専門化が進み、また政治がらみのトランス・サイエンス(詳細は第1章の8)も盛んになるであろう。従って、いったん出来上がってしまった科学への不信を、科学自身の手で解消することは、ますます困難になるであろう。そこで、科学と実社会の間にメタエンジニアリングという緩衝材がますます必要になると想像している。

 重ねて申し上げますが、私のメタエンジニアリングは現代の科学や工学の在り方を否定するものでも、止めようとするものでもありません。これらは若手の現役世代に任せて、それと並行して、種々の経験を積んだベテランが、従来とは別の視点で現代を見直してみようという試みなのです。
 その意味において、あえて科学と工学の間に、「新しい場」を設けたつもりでおります。
(以下はその2に続く)