生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアリングのすすめ 第15話の6

2016年03月14日 13時05分36秒 | メタエンジニアリングのすすめ
科学・メタエンジニアリング・工学(6)

第2章 現代科学が生まれたとき(その1)
 
1 哲学からの分離

 人類が、将来にわたって科学を捨て去ることは無い。しかし、英国の産業革命に始まる現代の科学文明は、完全に唯物文明に変質してしまっている。当然のことながら、科学は物質だけのものではない。自然科学と人文科学とがあるように、物質と精神を同等に組み合わせた文明があるはずで、それが次の文明と考えられている。文明と文化の「文」は、宇宙の屋根(一)、その下に魂と物をX字に結ぶとも云われている。

・精神文明と物質文明、あるいは文化科学と自然科学



 精神文明と物質文明を十字に結ぶと本当の科学文明ができあがる。かつて、産業革命が佳境を迎えて、哲学から自然科学が完全に分離した時を迎えて、ドイツの哲学者ハインリッヒ・リッケルト[1939]は、「文化科学と自然科学」の中で、このように科学を定義していた。 
 『勿論科学の「統一性」は決して科学の全部門の一様性であってはならぬ。何となれば、あたかも世界が多様であるように、科学も多様な目標を立て、それに到達すべき種々の方法を完成するときに初めて此の世界の各部分を全部抱合することができるからである。(中略)科学の最上の統一はむしろ、多くの多様な部門を結合してそれ自身に完全な「有機體」とする統一であろう。この方向に本著の趣旨もまた動いているのであって、この意図から本著は理解されなければならぬ。』(pp.10)
 この文章は、哲学者の文章で多少分かりにくいのだが、考え方がメタエンジニアリングに通じる。つまり、哲学が多くの学問に分化して、大きく分けて自然科学と非自然科学に分かれたのちに、その包含する範囲と区別を明確にして、人間社会にとってそれぞれどのような結合により真に役立つものになるかといった問題を解こうとしている。彼は、非自然科学の代表を「歴史学」(つまり、人間の社会に現実に起こったこと)に置いている。しかし、各々の具体的な歴史は特殊であり、自然科学の目指す一般化とどのように結合するかを考えていたと思われる。

 この本との出会いは,「科学の本100冊」村上陽一郎[2015]だった。図書館の新刊本の棚で見つけて、読み始めた。1番目はアインシュタインの「自伝ノート」、簡潔にまとめられていて、ついつい読んでしまう。村上氏自身の科学知識の源を辿ることにもなるので大いに勉強になる、お勧め本だった。「文化科学と自然科学」[1939]は、第86番目。題名もさることながら、『この本の中のいくつかの項目で、私は、現在のような意味での「科学(自然科学)は、十九世紀ヨーロッパに誕生した、という意味のことをのべています。』以下、興味深い文章が続くので、もとの本をどうしても読みたくなった。
 1939年発行だが、岩波文庫の青帯本なので、何とかなるだろう。早速、世田谷区の図書館で検索したが、「なし」。次は、Book Offだが、これもNG。最後の手段はAmazonで、古本が8冊見つかった。値段が面白い。最安値は¥580で手ごろだが、次が¥3000付近に3冊、最後の2冊は何と¥18,900とある。貴重本は高値が多いが、これほどのバラツキは珍しい。早速に最安値を注文した。ちなみに、入手した第2刷の定価は、四十銭であった。勿論、横書きは右から左で旧漢字と旧仮名使いだった。引用は現用漢字と、一部を除き新仮名使いに改めた。

 冒頭の第6,7版の序には次のようにある。この記述を通じて、彼の論理が当時の様々な学者によって異論が出され、そのたびに彼が内容を見直し、改訂版を発行し続けたことがわかる。
 『本書のこの新版は、第3版(1915年)及び第4,5版(1921年)に対してと同様、ていねいに校閲せられ、若干の補遣が加えられている。(中略)それはこの、ロシア語、スペイン語及び日本語の翻訳さえ出ている小冊子に、どこまでも入門書としての特色を残さねばならなかった以上、是非もないことである。』(pp.8)

 科学に対する現代の価値観との違いが鮮明で、私は当時の文化科学と自然科学の価値観を支持する立場にある。正に、メタエンジニアリングだと感じたからである。本文を引用する。

 『私はむしろ、もし科学が文化生活の内実をあらゆる点で公平に取扱うと思うならば、文化生活は(その内容の特殊性のために)単に一般的にばかりではなく、個性化的にも(つまり歴史的にも)叙述されねばならぬといふ、その理由を示そうとするものである。そこからやがて個性化的手続きと価値関係的手続きとの必然的結合に対する洞察が生じてくる。』(pp.12)

 彼は、「非自然科学」を「文化科学」と命名した。現在の人文・社会科学であろう。そして、『文化科学の基礎が価値であるといふことは、多くの人には多分、もう殆ど「自明」のことと思われている。』(pp.16)と断言をしている。つまり、当時の自然科学は、自然をありのままに見つめるものであり、まだ社会に対して直接に価値を生み出すものとは考えられていなかった。

 彼は、「文化科学と自然科学の課題」として、次のように述べている。
 『非自然科学的な経験的諸学科の共通関心・課題及び方法を規定して、自然研究者のそれらに対して境界区画をなし得る概念を展開するという目標である。私は文化科学という語が最もよくかかる概念の特色を示すと思う。そこで我々は、文化科学とはどういうものであり、自然研究とどういう関係に立つものであるかという問いを提出しようと思う。』(pp.23)
 また、第2章の「歴史的状況」では、次のように述べている。
 『自然科学的時代(私は勿論17世紀のことを言っているのである)の哲学は自然科学とは到底切り離せない。この哲学―デカルトなりライプニッツなりを思い起こしていただきたいーは自然科学的方法の解明に従事して、これまた成功を収めている。そして結局18世紀の末にはもう近世最大の思想家(カントを指す)が、方法論にとって決定的な自然の概念を確立し、それを物事の「不変的諸法則にしたがって規定された限りに於ける」現存在とするとともに、自然科学という最も普遍的な概念を確立して、多分それを、見極める限りの将来に対して最後的なものにしたのである。』(pp.29)

 そのような思想は、第4章の「自然と文化」に、次の文章で より明確に説明されている。
『自由に大地から生じるのは自然産物であり、人間が耕作播種したときに田畑の産するのは文化産物である。これに従えば、自然はひとりでに発生したもの「生まれたもの」及びおのれ自らの「成長」に任せられたものの総体である。文化は、価値を認められたもろもろの目的に従って行動する人間によって直接生産されたもの、或いは(もしそれが既に存在しているならば)少なくともそれに付着せる価値のゆえにわざわざ擁護されたものとして、自然に対立する。』(pp.48)であって、当時の価値観からは、自然科学自体の価値は、非自然科学のなかでのみ生まれると考えられている。さらに、「自然に対立する」は、デカルトやカントなどの西欧的な自然観を強く感じる。
 そのことは、第6章の次の言葉で明白になってくる。
 『自然科学の諸成果を現実の上に適用するということ、換言すれば、その諸成果の助けを借りて我々の環境に通じ、それを計算するどころか、技術によって支配することまでできるといふことは不思議がる必要はない。』(pp.86)
つまり、「技術」もその特殊性において、文化の一部なのだろう。こうなると、現代の工学はおおいに困ったことになるかもしれない。
また、第11章の「中間領域」では、たとえば生物の進化の科学的な検証について、自然科学なのか、歴史学なのかといった問いに対して、中間領域の存在を認めている。
 『自然科学における歴史的要素に関しては、近代では主として生物学、殊に謂わゆる系統発生的生物学が問題になる。それは周知のごとく、地球上に棲む諸生物の一回的な発生過程をその特殊性に於いて叙述せんと試みるので、そのために実際もう度々歴史的科学と称せられて来たのである。』(pp.173)
 そうすると、工学も、中間領域と云えなくもない。
ここで、「技術によって支配することまでできる」と宣言していることは、西欧型文明の不幸の始まりとも思える。

(以下は次号にて)

科学・メタエンジニアリング・工学(4)

2016年03月14日 12時48分11秒 | メタエンジニアリングのすすめ
科学・メタエンジニアリング・工学(4)

第1章 科学と工学と技術を繋ぐ(その2)

4 メタエンジニアリングの主機能

 日本工学アカデミーが2009年11月に出した提言によれば、
「社会課題と科学技術の上位概念から社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」を『メタエンジニアリング(英語では、上位概念であることを強調して Meta Engineering と表現)』と名付ける、である。従ってその主機能は、「俯瞰的視点からの潜在的社会課題の発掘と科学技術の結合あるいは収束を根源的に捉え直す」との命題に答えるための広義のエンジニアリングの実践ということになる。

(この項は、以前にご紹介しましたので、以降は割愛いたします。必要な方は返信を頂ければ、個別にお送りいたします。)

5.比較文明学とメタエンジニアリング

「近代世界のおける日本文明、比較文明学序説」梅棹忠夫著、中央公論新社[2000]という著書がある。国立民族学博物館で1982年から1998年まで開催された谷口国際シンポジウム文明学部門での梅棹忠夫氏の基調講演の内容が纏められているものだ。
 第10回のテーマは「技術の比較文明学」であり、その中で興味深い記述がいくつかあったので、メタエンジニアリングの研究の一部として考察を試みる。



 その前に、比較文明学について少し触れておこう。梅棹は「比較文明学というような学問領域は、純粋に知的な興味の対象になり得ても、どのような意味でも、実用的な、あるいは、実際的なものにはならないであろう」と言い切っておられる。なんと工学と対照をなす領域ではないか。文明と文化の関係についての見方は『時間的な前後関係をもつものと考えてよいのかどうか、すこし違った見方をしています。(中略)文化というものは、その全システムとしての文明のなかに生きている人間の側における、価値の体系のことである。』としている。また、システム学とシステム工学の違いを、『システム工学は目的があるけれども、システム学は必ずしも目的を持っていない。「目的なきシステム」というものもあるのではないか』と記している。メタエンジニアリングの中に、目的のないエンジニアリングを想定すると、どんなことになるのであろうか、興味が湧く。

 本論に戻る。従来の技術論の在りていに触れたあとで、『工学的な技術論では、原理や材料、性能の評価に重点が置かれております。現実の社会に生活している人びととの関係からとらえるという観点が抜けていたのではないでしょうか。』とある。技術者はそんなことは無いと否定するだろうが、確かに20世紀の技術の生産物にはそのようなものが多かったように思われる。一方で21世紀には入ってからの所謂イノベーションと評価されるものには、「現実の社会に生活している人びととの関係からとらえるという観点」が深く盛り込まれているのではないだろうか。
 続いて、日本の文明と技術に対する欧米の見方を批判した後に、日本独特の事情についての評価が続く。そこには、工学者と異なる独特の見方が存在する。

 現代日本はベンチャービジネスが不得意とされている。その為に色々な政策や方策がとられているのだが、彼の見方は違う。『日本の場合、19世紀前半までに小経営体がひじょうに発達していました。(中略)小経営体というのは藩だけではありません。旗本領、寺社領などもあります。ものすごい数です。それによって組織の運営というものがどういうものかということを200年以上にわたって経験してきた。』とある。当時の社会では同じような傾向はドイツに見られるが、その他の国々では顕著ではなかった。現代でも日本の中小企業は健在だが、江戸時期の様な地域の殖産興業にはなかなか結びつかない。これは経営論だけの問題ではなく、工学と技術の力が昔ほど旨く社会に及んでいないからではないだろうか。
 また、総合技術についても、『日本の技術がうまく展開してきた背後には、総合技術の存在があったということも重要な要素ではないかと考えております。大仏建立や道路網の建設においても、総合技術がすすんでいたのではないかとかんがえます。』
 個人主義と集団主義についての見方は、『欧米と日本では個人主義のありかたがちがうのだと考えています。(中略)欧米の個人主義は豆つぶをあつめたみたいなもの。豆と豆との間には空気しかない。日本の個人主義は粒と粒のあいだを柔軟に拘束するものがあり、全体がゲル状態になっているのではないか。個人と個人をむすびつける文化的、心理的な要素がひじょうにたくさんあるのです。』

 技術の移転については、『部分的技術の導入はできます。しかし、全体の文明システムとして運転しようとおもったら、まずできないのではないでしょうか。』と断言されている。中国は、皇帝と官僚による長いい支配体制があり、インドのカーストと女性解放問題、韓国の両班組織の問題など、基本的な社会の伝統を較べて、日本が有利であると結論している。『中国のひとは人間操縦術みたいなものにたいへん熱心です。それは中国文化全体をつらぬくひとつのプリンシプルであると思います。人倫の話です。日本は人倫のことはあまり興味を持っていないようです。物をどうするか、これが日本技術の根底にあるのではないかとおもいます。』

 技術の情報化についても示唆に富んでいる。比較文明学の見方では『差異化とか付加価値化とかいろいろな表現がありますが、それらをすべてひっくるめて「情報化」ということばでくくれるのではないでしょうか。いまや技術は必要を満足させるという話ではなくなっています。(中略)技術の芸術化、あるいは技術の自己目的化が始まっている。日本技術はそこへきております。』である。1990年代の初頭にすでにこの様に技術のゆく先を見極めておられたことには驚きを感じる。
 
以上が、比較文明学者の日本の技術についての見方だとすると、メタエンジニアリングが取り組むべきいくつかの問題が見えてくる。
① 「現実の社会に生活している人びととの関係からとらえるという観点」
② 「目的なきシステムというものもあるのではないか」
③ 「技術の芸術化が始まっている」
④ 「技術の自己目的化が始まっている」
などのキーワードになると思う。これらをメタエンジニアリング的に捉えるならば、次のようになるであろう。

① 「現実の社会に生活している人びととの関係からとらえるという観点」
⇒人文科学や社会心理学などの見方を取り込み
② 「目的なきシステムというものもあるのではないか」
⇒工学の新分野になり得るのか?形而上学的な発想との関連を想定する。
③ 「技術の芸術化が始まっている」
⇒人間国宝の工芸家は、芸術の側で優れた工学を取り入れている。その逆を考える。
④ 「技術の自己目的化が始まっている」
⇒製造分野では、多品種少量生産がとうの昔に始まっているが、工学として考えると俯瞰的とは違った側面に注目する必要がある。技術の自己とは何か。


6 地球環境問題とメタエンジニアリング 

従来型のEngineeringとMeta Engineeringの関係を、様々な視点での世の中の動きと関係づけて考える。
この発想は、某大学院から国際学級向けの特別講義を依頼されて、国際環境問題についてメタエンジニアリングの立場から考えたときに得た結論である。現在生じている国際環境問題を、従来型のエンジニアリングで解くには、余りにも広範囲・複雑・長期間であり、改善の速度が悪化の速度に追いつくことはできないであろう。従って、新たなエンジニアリングであるメタエンジニアリングが必要になる。


① 環境問題の「社会問題化」とは、環境経済学、環境社会学などの発生と、それらの緩やかな連携の段階を示す。
 
② 環境問題の「国家としての問題化」とは、社会的な問題が国家としての組織的な問題に発展したことを示す。
 
③ 環境問題の「全地球的な問題化」とは、全ての国家のそれぞれの問題が組織的な統合をされなければ、根本的な解決が望めない段階を示す。

近代は偉大な時代であり、工業化社会は優れた世の中であった、と将来の歴史は評価をするだろう。たかだか百年か二百年ほどの間に近代工業社会の文明が人類と地球のすべてを急激に変えたと云えるからである。
しかし、この評価は現代が環境問題をどのように解決するかによって大きく変わってくる。人類社会における最悪の世紀だったとの評価を受ける可能性もある。従って、文明を語るには環境問題を避けて通ることはできない。このことについてメタエンジニアリングの考え方で現時点での考えを纏めてみようと思う。ここでメタエンジニアリングは、まだ学問的に成立したわけではないので、論旨が弱いことはご容赦をお願いする。

 先ずは、普遍的なものの代表として辞典から入ることにしよう。
「環境科学大辞典」講談社(昭和55年)という大きな辞典がある。その中の用語説明ではどのようになっているのであろうか。
「環境」の項目は、『生態学的には、環境はすべての外部要因と、生物の生命と発展に影響を及ぼす種々の作用との総体である、』で始まる。また、「環境工学」は、『人類の活動はどんなものであれ、その環境に多かれ少なかれ影響を及ぼす、』で始まる。つまり環境とは、もともとは生態学の問題であり、人としての活動の全てであるということのようなのだ。
昔からよく言われた、「環境決定論」や、和辻哲郎の「風土」を思い浮かべる定義のようだ。


・環境問題の歴史的推移
 

環境問題の学問的な歴史的推移を大雑把に追ってみよう。
環境問題の歴史は、①鉱害の時代、②公害の時代、③開発と自然保護の時代、④地球環境問題の時代とに分けられている。これは、学問面での主役が、自然科学(鉱害、公害)⇒法学、経済学⇒社会学の問題へと推移してきたように見える。しかし当然、社会学のみでは環境問題は解決できない。何故ならば、現代の地球環境問題は、加害源が複合的で特定化が困難であり、加害と被害の関係が不明瞭になっているという最大の問題が存在するからである。
 そこで、再び自然科学と工学の出番になるのだが、従来の範疇を超えた、「社会学⇒新たな工学(メタエンジニアリング)」という図式が見えてくるのである。

・工学から社会学への主役の移動は、なぜ起きたのか


この主題に不満な工学者は多いと思う、しかし落ち着いて反省をしてみよう。
『世の中には数え切れないほどの学問分野がある。「なぜ」を問うものは多くない。社会学はその数少ない学問の一つである。社会は私たちに影響を与えるこうした事柄にたいして、「なぜ」という問いを発して、時には批判し、時には新たな提案を行うのが社会学という学問である。』
『環境の社会学は、私たちがこの時代に、この社会の中に生きているということの意味を問うための学である。環境を考えることは生き方を考えることである。』
これらの文は、関、中澤、丸山、田中共著「環境の社会学」有斐閣、2009の冒頭の言葉である。

以前に、「物理学はなぜを問わない。なぜ万有引力が存在するのか。なぜ相対性原理があるのかは問わない。」と書いたことがあった。工学も近代機械文明の中にあっては、WhatとHowに夢中になり、次第にWhyが軽視されてきたように思える。そこに落とし穴があったようだ。
一方でメタエンジニアリングは、学問分野を超えた根本的な「なぜ」を問い直すことを一つの手段としている。

工学から社会学への主役の移動について、なぜそうなったかを考えてみる。この著書には、『信用されなくなった専門家たちは、「科学的知識が足りない」「ゼロ・リスク症候群にかかっている」といって大衆を攻撃する。リスクについて述べる場合には、われわれはこう生きたい、という観点が入ってくるのである。リスクというのは煎じつめると価値観と文化の問題であるとの指摘が古くからある。』とある。これが、社会学から見た工学への見方になる。

 社会学での言葉に「目的移転」という表現がある。『いったん技術とか制度が安定すると、それらの手段を使って達成するはずだった目的がどこかへ行ってしまい、手段の維持をめぐる問題にエネルギーがそそがれるということになりやすい。』ということなのだ。エンジニアリングでは、手段の目的化と云えることなのだろう。実は、エンジニアリングの世界ではこのことが頻繁に起こっているのではないだろうか。目先の技術的な成果に集中してしまい、本来の大目的からそれてしまうことがしばしば見受けられる。このことは、過去の環境問題ではしばしば見受けられたことであり、社会学への傾倒の一つの原因であったように思えてくる。

一般に、リスクが見つかる度に、それを新たな科学技術によって抑え込むと云うのが、20世紀後半の社会がとってきたやり方である、と社会科学者が指摘をする。しかし、原因が地球単位で複雑化をすると、自然科学者は不確実な予測を出さざるをえなくなる。そこからエンジニアリングのジレンマが始まっているのだ。

(長くなりますので、この続きは次号にて)