生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(206)日航123便 墜落の原因

2022年01月09日 07時04分26秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(206)
TITLE: 日航123便 墜落の新事実


初回作成日;2022.1.6 最終改定日; 
 有名な御巣鷹山の事故に関する著書がある。青山透子著(河出書房新社「日航123便 墜落の新事実」[2017] )である。
 著者は元日本航空国際線客室乗務員だが、事故当時は国内線担当で、事故機の生存者の一人の客室乗務員と乗務員女子寮で同じフロアーだったと記されている。しかし、内容から読み取れることは、ノンフィクション作家のそれである。



 事故は、1985年8月に起こったが、この書の発行は、その28年後で、既に細かい事実は忘れられている。事故調査の過程で、一部隔壁板の修理ミスに疑問を呈する記事も見かけたが、それは間もなく消えた。しかし、この書を読むと、また当時の記憶が蘇ってくる。
 内容は、著者の疑問が、年月を経ても消えないことから始まっている。
 ① 現場で事故に直接に携わった人たちには、腑に落ちないことが多数あり、心の奥底で渦巻いていた。
 ② 墜落現場の上野村に出向き、当時の村長と、地元消防団、遺体の監察医の話を、直接に聞いた。
 ③ 他の類似する航空機事故の事故原因と、辻褄の合わない部分が多いことに気づかされた。
 ④ 墜落原因に関する裁判が一切行われなかったことへの疑問。
 ⑤ 事故時に吹飛んだ垂直尾翼の海底調査が、早々に打ち切られた。しかし、他の部品が、2015年に、それほど調査困難ではない海底から、あっさりと発見された。
 ⑥ 国際民間航空条約上は、新発見があった場合には、調査を再開するとの期待があったが、それが行われなかった。再発防止の観点から、時効はないことになっているのも拘わらず。

 以上の観点から、本格的な検討を始めると、過去に葬られた事実が沢山出てきた。
A;墜落現場一面にガソリンとタールが混ざり合う臭いがあったが、そのようなものは民間航空機では使われない。(p.20)
B;本格的な事故調査が始まる前に、隔壁板が大型自動カッターで、5分割されてしまった。(p.20)
C;事故機の頽落現場を上空から視認した人達の事実は隠されて、事故現場の特定は、その10時間後だった。(p.21)
D;当日20時に「ただ今現地救助に向かった自衛隊員数名が何者かに銃撃され、死者負傷者が出た模様」との緊急ニュースがあった。数分後に「誤報」が出たが、2010年まではネット上にあり、その後削除された。(pp.71-72)
E;事故直後の遺体荼毘が早すぎることに、遺族が日航本社で高木社長と面談、その後抗議の為に首相官邸に向かおうとすると、「高木さんはぶるぶると震えだして、そうしたら私は殺される、といった」(p.82)
F;その後、向かった先は、知らぬ間に運輸省になり、「僕は、東大法学部出身です」という人に会わされた。遺体のとり違いも含めて、「一切、法律上の問題はない」と切り捨てられた。(pp.83-85)
G;元自衛隊員に確認すると、ガソリンとタールの混合燃料は、陸上自衛隊の携帯放射器として装備されていることが分かった。(p.158)
H;当日の夕暮れ時には、ファントム2機が、事故機を追尾していることが、地上から確認されているが、墜落現場は不明とされていた。(p.160)
J;その後、大型のC130輸送機が加わり、その機にはアントヌッチ氏が搭乗していたが、間もなくその機体は埼玉方面に飛び去った。(pp.160-161)
K;事故機は、当初横田基地へ向かっていたようだが、ファントム機が接近後に、進路を群馬県方向に変更したことが、視認されていた。(p.162)
L;搭乗中の乗客が寫した写真を解析すると、「円錐もしくは円筒状の物体が、オレンジ帯の方向から、機体に向かって飛んでいる」との画像解析結果だった。
M;新聞報道者と地元の子供の証言から、「ジャンボ機の腹部左側に付着して見える赤色のだ円、または円筒状のもの」が視認されている。(pp.165-166)
N;検視された遺体は、全員、異常な炭化状態だったとの、検視した医師の証言。(p.187)
P;当夜、東京消防庁が出動可能な準備が整っても、出動要請はされなかった。(p.188)
Q;習志野駐屯地の空挺部隊も、同じ状態に置かれた。(p.189)

 このような記述の読後感は、第一には、昨今も安倍政権下では、事件の握り潰しが行われたと思われていることで、当時は中曽根政権の最中だったこと。(文中には、このほかにも、当日軽井沢に滞在中の中曽根総理が、急報で総理官邸に戻る間に、空白の数十分があったことも記されている。)
 第2は、この書が、きちんとしたマスコミ会社(例えば、大手の新聞社)ではなく、一女性の名前で発行されていることへの疑問。
 この書は、偶然に図書館の書棚で目に入ったが、発行当時に評判になった記憶はない。