様々なメタシリーズ(67)
人文学系のメタ(18)
TITLE: 「メタ認知制御」
初回作成日;2022.1.14 最終改定日;
北尾倫彦著「深い学びの科学」(図書文化社 [2020] )は、博識者と思慮深い人のどちらが深い学びをしてきた人かの考察から始まっている。著者は文学博士だが、日本教育心理学名誉会員で、教育関係の著書を10冊以上出している。この書も、第1章は、「深い学びとはどういうことなのか」との題で始まっている。
そして、世間で役に立つのは、知識よりも思考力であると結論している。深い学びは、主体的・対話的の教育から得られるというわけである。(pp.8-9)
そこから、知識と思考の関係の話が始まり、子供の教育のあり方を語っている。そして、主題の「メタ認知」は、第3章で纏められている。
「メタ認知」という用語は、1980年頃から記憶や読解の研究において使われ始めた、とある。(p.36)
そして項目別に、「算数文章題解決におけるメタ認知」、「国語説明文読解におけるメタ認知」、「高校数学の学習相談におけるメタ認知」、「評価のフィードバック機能とメタ認知」などについての例を示している。成績の違いは、メタ認知力の差によって生じるのである。これらすべては、「認知」ということが、頭の中でどの程度論理的かつ具体的に行われているかどうかの議論になっている。(pp.37-44)
「メタ認知プロセスモデル」の図が示されている。(p.37) 教育現場のことのようだが、一般に適用できるので、それを解読する。
人の頭が、具体的な認知や思考のために使われているときに、その奥ではメタ認知が働いている。メタ認知の機能は、「メタ認知知識」と「メタ認知制御」の二つがある。
その図の説明として、「メタ認知知識」とは、認知を深めるためには、どのような要因や方略が影響し、それらを何時、どのように適用するかを知るもの。
「メタ認知制御」とは、認知知識の活動のプランづくりと、その監視と制御とある。(p.37)
随分と分かりにくい表現だが、メタ的に解釈をすると、認知は、通常の読み書きや問題解決のための思考の中で常に働いている。その場合に、頭の奥で、対象に対する理解がどこまで深く、広く行われているかが決定されるのが、メタ認知というわけであろう。
つまり、目や耳から入ってくる現象の認知において、頭の中でメタ認知がどの程度働くかによって、理解度が全く異なるというわけである。このことは、通常ではあまり意識されないが、例えば、数学や国語の試験中に、問題を次々に解かねばならない際に、メタ認知能力が働かないと、応用問題が解けなかったり、もっとひどい時には、問題の意味が分からないということが起こってしまう。つまり、これらは全て、頭の中で瞬時に行われている「メタ認知制御」の度合いによることになる。
例えば、数学の複雑な応用問題に対する態度は、成績の上位グループは、問題を一読した後で、『「もう一度問題を読んで確かめている」とか、「焦らずにゆっくりやった」など、自分の解決過程を意識的にコントロールしていたことが分かった。』(p.38)これは、「メタ認知知識」が正しく働いたことを意味する。
この書は、その後これらのメタ認知力をつけるための教育方法について述べている。一般的に社会で起こっていることに対しても、メタ認知をどこまで瞬時に発揮できるかは、その後の行動や思考に大きく影響することになるのではないだろうか。このことは、長年私が進めている「その場考学」に通じるものがある。
私のその場考学は、長期間にわたる新型のジェットエンジンの設計と開発時のChief Designerの経験から生まれた。1回のエンジン試験が終わると、エンジンは全分解されて部品ごとの状態を克明に検査する。すると、毎回百点以上の欠陥(Material Reviewと称する保留品の状態)が検査部門から報告される。担当者が初期判断をするのだが、最終的にはChief Designerが、そのまま使用、補修、追加工、新品と交換、設計変更などに区分した判断を下す。それらは、瞬時に行わなければならない。この時に必要なのが、まさに「メタ認知知識」と「メタ認知制御」だった。なお、この場合の「メタ認知知識」としては、過去の同様な経験と、様々な雑学(あらゆる工学は勿論、リスク管理や信頼性など)が含まれる。
従って、その場考は、「メタ認知知識」の追求と云えないこともない。現実の生活において、その場、その場で認知される目と耳から入る情報を、その瞬間にメタ認知知識が働いて、その情報をメタ情報に代えて,メタ認知制御をスタートさせる、それがその場考学である。
人文学系のメタ(18)
TITLE: 「メタ認知制御」
初回作成日;2022.1.14 最終改定日;
北尾倫彦著「深い学びの科学」(図書文化社 [2020] )は、博識者と思慮深い人のどちらが深い学びをしてきた人かの考察から始まっている。著者は文学博士だが、日本教育心理学名誉会員で、教育関係の著書を10冊以上出している。この書も、第1章は、「深い学びとはどういうことなのか」との題で始まっている。
そして、世間で役に立つのは、知識よりも思考力であると結論している。深い学びは、主体的・対話的の教育から得られるというわけである。(pp.8-9)
そこから、知識と思考の関係の話が始まり、子供の教育のあり方を語っている。そして、主題の「メタ認知」は、第3章で纏められている。
「メタ認知」という用語は、1980年頃から記憶や読解の研究において使われ始めた、とある。(p.36)
そして項目別に、「算数文章題解決におけるメタ認知」、「国語説明文読解におけるメタ認知」、「高校数学の学習相談におけるメタ認知」、「評価のフィードバック機能とメタ認知」などについての例を示している。成績の違いは、メタ認知力の差によって生じるのである。これらすべては、「認知」ということが、頭の中でどの程度論理的かつ具体的に行われているかどうかの議論になっている。(pp.37-44)
「メタ認知プロセスモデル」の図が示されている。(p.37) 教育現場のことのようだが、一般に適用できるので、それを解読する。
人の頭が、具体的な認知や思考のために使われているときに、その奥ではメタ認知が働いている。メタ認知の機能は、「メタ認知知識」と「メタ認知制御」の二つがある。
その図の説明として、「メタ認知知識」とは、認知を深めるためには、どのような要因や方略が影響し、それらを何時、どのように適用するかを知るもの。
「メタ認知制御」とは、認知知識の活動のプランづくりと、その監視と制御とある。(p.37)
随分と分かりにくい表現だが、メタ的に解釈をすると、認知は、通常の読み書きや問題解決のための思考の中で常に働いている。その場合に、頭の奥で、対象に対する理解がどこまで深く、広く行われているかが決定されるのが、メタ認知というわけであろう。
つまり、目や耳から入ってくる現象の認知において、頭の中でメタ認知がどの程度働くかによって、理解度が全く異なるというわけである。このことは、通常ではあまり意識されないが、例えば、数学や国語の試験中に、問題を次々に解かねばならない際に、メタ認知能力が働かないと、応用問題が解けなかったり、もっとひどい時には、問題の意味が分からないということが起こってしまう。つまり、これらは全て、頭の中で瞬時に行われている「メタ認知制御」の度合いによることになる。
例えば、数学の複雑な応用問題に対する態度は、成績の上位グループは、問題を一読した後で、『「もう一度問題を読んで確かめている」とか、「焦らずにゆっくりやった」など、自分の解決過程を意識的にコントロールしていたことが分かった。』(p.38)これは、「メタ認知知識」が正しく働いたことを意味する。
この書は、その後これらのメタ認知力をつけるための教育方法について述べている。一般的に社会で起こっていることに対しても、メタ認知をどこまで瞬時に発揮できるかは、その後の行動や思考に大きく影響することになるのではないだろうか。このことは、長年私が進めている「その場考学」に通じるものがある。
私のその場考学は、長期間にわたる新型のジェットエンジンの設計と開発時のChief Designerの経験から生まれた。1回のエンジン試験が終わると、エンジンは全分解されて部品ごとの状態を克明に検査する。すると、毎回百点以上の欠陥(Material Reviewと称する保留品の状態)が検査部門から報告される。担当者が初期判断をするのだが、最終的にはChief Designerが、そのまま使用、補修、追加工、新品と交換、設計変更などに区分した判断を下す。それらは、瞬時に行わなければならない。この時に必要なのが、まさに「メタ認知知識」と「メタ認知制御」だった。なお、この場合の「メタ認知知識」としては、過去の同様な経験と、様々な雑学(あらゆる工学は勿論、リスク管理や信頼性など)が含まれる。
従って、その場考は、「メタ認知知識」の追求と云えないこともない。現実の生活において、その場、その場で認知される目と耳から入る情報を、その瞬間にメタ認知知識が働いて、その情報をメタ情報に代えて,メタ認知制御をスタートさせる、それがその場考学である。