『タラント』 角田光代 中央公論新社
片足の祖父、不登校の甥、大切な人を失ったみのり。長年にわたり、祖父に届く手紙の差出人「涼花」とは誰なのか?祖父とどんな関係なのか?手紙から物語が動き出す。
多くの登場人物にさまざまなテーマ、時代の違う話をうまくまとめたなと作家の力量に感服。よかった。みのりなど、嫉妬もするし落ち込むこともある普通の人なので、身近に感じることができた。物語は時を生きつ戻りつするので、始めは戸惑ったが、重層的でいいかも。
ボランティアは欺瞞なのか、自己満足なのか?よかれと思ってしたことが、裏切りに会う。
「何をやってもやらなくても なんか言う人はなんか言うよ。やるって決めたら どんなひどいことを言われてもやるんだよ。そうじゃなきゃ、最初からやんないほうがいい」
「あなたのタラントは、あなただけに与えられたもの。活かし増やすことを考えましょう。・・・神のさまざまな恵みの善き管理人として、それをお互いのために役立てるべきである」
「比べたらだめだ。つらさの大小を苦しみの大小をうしなったものの大小を。比べた途端に私たちは想像を放棄する。そして、断絶してしまう」
「すごくきれいなものとすごくおそろしいものはつながっている。一点の疑いもなく心の底から神さまを信じるきれいな気持ちは、そのまますごくおそろしい武器になる」
かわいそうな助けるべき人から憎まれ口を聞いたら、ビックリしないか?私たちと違う世界の弱っている人は弱弱しくいてほしいって思っていないか?
深かった。
『消された信仰 最後のかくれキリシタン-長崎・生月島の人々』 広野真嗣 小学館
250年以上も続いたキリスト教弾圧のなかで信仰を守り続けた「かくれキリシタン」たち。その歴史に光を当てようとしたのが、2018年に日本で22番目の世界遺産となった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」だ。ところが、PRのために長崎県が作ったパンフレットからは、「最後のかくれキリシタンが暮らす島・生月島(いきつきしま)」の存在がこっそり消されていた。今も島に残る信仰の姿は、独特だ。音だけを頼りに伝承されてきた「オラショ」という祈り、西洋画と全く違う筆致の「ちょんまげ姿のヨハネ」の聖画……取材を進める中で、著者はこの信仰がカトリックの主流派からタブー視されてきたことを知る。一体、なぜ――。
う~ん。生月島の人々は、弾圧をすりぬけるために、口伝で祈りを伝えてきた。意味のわからない外国の言葉を必死で伝えたので、ラテン語の言葉などわりとそのまま伝わっていると思った。意味がわからないから、音を日本語の単語に置き換えて覚えたのもしょうがないだろうし、隠すために仏様やいろんなものとくっつけるのもしようがないだろう。変遷しながらも必死で信仰を守り通したのは、すばらしいのではないか?カトリックに戻らないからと切り捨てるのはどうかなと思う。
片足の祖父、不登校の甥、大切な人を失ったみのり。長年にわたり、祖父に届く手紙の差出人「涼花」とは誰なのか?祖父とどんな関係なのか?手紙から物語が動き出す。
多くの登場人物にさまざまなテーマ、時代の違う話をうまくまとめたなと作家の力量に感服。よかった。みのりなど、嫉妬もするし落ち込むこともある普通の人なので、身近に感じることができた。物語は時を生きつ戻りつするので、始めは戸惑ったが、重層的でいいかも。
ボランティアは欺瞞なのか、自己満足なのか?よかれと思ってしたことが、裏切りに会う。
「何をやってもやらなくても なんか言う人はなんか言うよ。やるって決めたら どんなひどいことを言われてもやるんだよ。そうじゃなきゃ、最初からやんないほうがいい」
「あなたのタラントは、あなただけに与えられたもの。活かし増やすことを考えましょう。・・・神のさまざまな恵みの善き管理人として、それをお互いのために役立てるべきである」
「比べたらだめだ。つらさの大小を苦しみの大小をうしなったものの大小を。比べた途端に私たちは想像を放棄する。そして、断絶してしまう」
「すごくきれいなものとすごくおそろしいものはつながっている。一点の疑いもなく心の底から神さまを信じるきれいな気持ちは、そのまますごくおそろしい武器になる」
かわいそうな助けるべき人から憎まれ口を聞いたら、ビックリしないか?私たちと違う世界の弱っている人は弱弱しくいてほしいって思っていないか?
深かった。
『消された信仰 最後のかくれキリシタン-長崎・生月島の人々』 広野真嗣 小学館
250年以上も続いたキリスト教弾圧のなかで信仰を守り続けた「かくれキリシタン」たち。その歴史に光を当てようとしたのが、2018年に日本で22番目の世界遺産となった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」だ。ところが、PRのために長崎県が作ったパンフレットからは、「最後のかくれキリシタンが暮らす島・生月島(いきつきしま)」の存在がこっそり消されていた。今も島に残る信仰の姿は、独特だ。音だけを頼りに伝承されてきた「オラショ」という祈り、西洋画と全く違う筆致の「ちょんまげ姿のヨハネ」の聖画……取材を進める中で、著者はこの信仰がカトリックの主流派からタブー視されてきたことを知る。一体、なぜ――。
う~ん。生月島の人々は、弾圧をすりぬけるために、口伝で祈りを伝えてきた。意味のわからない外国の言葉を必死で伝えたので、ラテン語の言葉などわりとそのまま伝わっていると思った。意味がわからないから、音を日本語の単語に置き換えて覚えたのもしょうがないだろうし、隠すために仏様やいろんなものとくっつけるのもしようがないだろう。変遷しながらも必死で信仰を守り通したのは、すばらしいのではないか?カトリックに戻らないからと切り捨てるのはどうかなと思う。