日本茶の美味しさに目覚めたのは、
香典返しでもらったお茶がとても美味しかったから。
それから、又その同じ様な味を求めて、
色々と試したが中々その時のような美味しいお茶に巡り遭えず、
意外と美味しいお茶というのはないものなんだな、、
とむづかしさを感じた。
無論、100gで1000円以上の銘柄の高級茶を買えば
きっと探している美味しいお茶は手に入るんだろう、
と思う。
でも、普段、自分で飲むお茶。
いくら美味しいものが飲みたいとて、1000円が限度。
それ以上は出せぬ。
そんな中で探すのは無理なのかな、
と思っていた矢先、たまたまインターネットのキャンペーン企画で見つけたお茶が
自分の正に求めていた美味しいお茶。
静岡のお茶屋さんの「あさつゆ」という新茶。
気に入って、毎日こればかり飲んでいたが、この会社のHPに
現在のお茶の半値のとても人気のお茶「さつまの風」というものがあった。
ちょっと気になり購入者のレビューを読んでみたら、
現在、私の飲んでいるお茶「あさつゆ」と、この半値のお茶もほとんど味が変わらないので、だったら、こっちのお茶で充分!
という内容のもの。
ふ~ん、半値で同じ味のお茶飲めるなら、その方がいいか、、、
と試しに買ってみた。
感想。
全然違うじゃん。
この「さつまの風」は確かにお茶の味はするし、不味くはない。
でも、お茶の味がする、ただそれだけの味。
美味しいお茶の要素である、わきあがる香り、舌に感じるほのかな甘さ、
喉を通ったあとの豊かな奥深い味、嫌味にならない適度な渋さ、
そして何よりも茶碗に注いだ時の美しいアサギリ色の美しい緑色。
全くベツモノ。
お茶の美味しさというのは、本来のお茶の味の上に前出のプラスアルファの要素が
どれだけ上積みされているかにかかっていると思う。
それが全くない、この500円のお茶には。
このレビューを書いた人の味オンチ度は、余計なお世話ながら、
この人の作った料理など絶対食べたくないです、
と思わせてくれます。
そうかと思うと、私が充分に美味しい!
と満足してるこの「あさつゆ」に全く満足できず、
所詮、1000円ぐらいのお茶ではこの程度のお茶しか飲めないんですね、、
と、嘆いている人もいる。
世の中の人の味覚は様々ですねぇ。
ただ私もOL時代、結構美味しいものは食べ歩いてきた実績?があるので、
味覚には少々自信あり。
こんなイメージの料理食べたい!
と、膨らんだイメージで簡単な料理なら作ってしまうし、
ドレッシングはその日の気分に合わせて毎回作る。
西川史子が料理教室に行き、
「ここで私が学ぶものは何もない」
と感じた感覚と同じものを私も持っている。
料理を教える人は、料理の技術より、
その人の持っている味覚のレベルが低ければ、そこまでのレベルの料理しか出来ない。
だって、本当に美味しいものの味を知らないんだもの。
肥えた舌、
それを西川史子はたーくさん美味しいものを食べ歩いてきて、
それを身につけた。
料理研究家の中には、
見ただけで、
レシピを読んだだけで、
それ、絶対、美味しくないだろ?
って料理をあみだす人がいる。
目の前の料理をあれこれ、ひねくりまわすだけが料理じゃないですよ。
その素材を素で料理したものより、美味しくならない料理だったら、
それは意味なし。
さんまの塩焼き以上に美味しくない料理なら、さんま料理をあみだす必要なし。
料理研究家の方、もっと上を目指すなら、
まず自分の舌を鍛えましょうよ、
って人がいたりする。
あら、なんか、どんどんまとまりのない話にどんどん流れてきてしまった。
ま、要するに味覚オンチの人のレビューに惑わされて、
美味しくないお茶を買ってしまったのがくやしくて、
味覚オンチをイジりたくなったんですね。
香典返しでもらったお茶がとても美味しかったから。
それから、又その同じ様な味を求めて、
色々と試したが中々その時のような美味しいお茶に巡り遭えず、
意外と美味しいお茶というのはないものなんだな、、
とむづかしさを感じた。
無論、100gで1000円以上の銘柄の高級茶を買えば
きっと探している美味しいお茶は手に入るんだろう、
と思う。
でも、普段、自分で飲むお茶。
いくら美味しいものが飲みたいとて、1000円が限度。
それ以上は出せぬ。
そんな中で探すのは無理なのかな、
と思っていた矢先、たまたまインターネットのキャンペーン企画で見つけたお茶が
自分の正に求めていた美味しいお茶。
静岡のお茶屋さんの「あさつゆ」という新茶。
気に入って、毎日こればかり飲んでいたが、この会社のHPに
現在のお茶の半値のとても人気のお茶「さつまの風」というものがあった。
ちょっと気になり購入者のレビューを読んでみたら、
現在、私の飲んでいるお茶「あさつゆ」と、この半値のお茶もほとんど味が変わらないので、だったら、こっちのお茶で充分!
という内容のもの。
ふ~ん、半値で同じ味のお茶飲めるなら、その方がいいか、、、
と試しに買ってみた。
感想。
全然違うじゃん。
この「さつまの風」は確かにお茶の味はするし、不味くはない。
でも、お茶の味がする、ただそれだけの味。
美味しいお茶の要素である、わきあがる香り、舌に感じるほのかな甘さ、
喉を通ったあとの豊かな奥深い味、嫌味にならない適度な渋さ、
そして何よりも茶碗に注いだ時の美しいアサギリ色の美しい緑色。
全くベツモノ。
お茶の美味しさというのは、本来のお茶の味の上に前出のプラスアルファの要素が
どれだけ上積みされているかにかかっていると思う。
それが全くない、この500円のお茶には。
このレビューを書いた人の味オンチ度は、余計なお世話ながら、
この人の作った料理など絶対食べたくないです、
と思わせてくれます。
そうかと思うと、私が充分に美味しい!
と満足してるこの「あさつゆ」に全く満足できず、
所詮、1000円ぐらいのお茶ではこの程度のお茶しか飲めないんですね、、
と、嘆いている人もいる。
世の中の人の味覚は様々ですねぇ。
ただ私もOL時代、結構美味しいものは食べ歩いてきた実績?があるので、
味覚には少々自信あり。
こんなイメージの料理食べたい!
と、膨らんだイメージで簡単な料理なら作ってしまうし、
ドレッシングはその日の気分に合わせて毎回作る。
西川史子が料理教室に行き、
「ここで私が学ぶものは何もない」
と感じた感覚と同じものを私も持っている。
料理を教える人は、料理の技術より、
その人の持っている味覚のレベルが低ければ、そこまでのレベルの料理しか出来ない。
だって、本当に美味しいものの味を知らないんだもの。
肥えた舌、
それを西川史子はたーくさん美味しいものを食べ歩いてきて、
それを身につけた。
料理研究家の中には、
見ただけで、
レシピを読んだだけで、
それ、絶対、美味しくないだろ?
って料理をあみだす人がいる。
目の前の料理をあれこれ、ひねくりまわすだけが料理じゃないですよ。
その素材を素で料理したものより、美味しくならない料理だったら、
それは意味なし。
さんまの塩焼き以上に美味しくない料理なら、さんま料理をあみだす必要なし。
料理研究家の方、もっと上を目指すなら、
まず自分の舌を鍛えましょうよ、
って人がいたりする。
あら、なんか、どんどんまとまりのない話にどんどん流れてきてしまった。
ま、要するに味覚オンチの人のレビューに惑わされて、
美味しくないお茶を買ってしまったのがくやしくて、
味覚オンチをイジりたくなったんですね。