1980年代は暴力刑事が花盛りのお祭り状態。『西部警察』『大激闘/マッドポリス'80』には暴力刑事しか出て来ないし、『警視庁殺人課』のミスター(菅原文太)は44マグナムで射殺三昧、一見爽やかな『走れ!熱血刑事』の松平 健さんですら、怒ると暴力に歯止めが効かなくなる狂犬サンバ男でした。
『大捜査線』の加納主任(杉 良太郎)も負けじとばかりに、丸腰で逃げる犯人を背後から射殺するなど朝飯前のやりたい放題。
第10話『誘拐』では、卑劣な誘拐犯を拳銃でホールドアップさせておきながら、わざと身体をぶつけて「お前、警察官に手を出したな? 工務執行妨害だ!」ってw、壮絶な体罰を延々と加えた挙げ句、被害者女性の前に突き出して謝罪を強要。
犯人は顔がボコボコで声が出せないのに「おいっ、聞こえねえぞ! さっさと謝れっ!」ってw、更に痛めつけて血ヘドを吐かせるというマッドぶりで、被害者女性を震え上がらせましたw
第12話『路上の結婚式』では親友を殺した犯人を追い詰め、脚を撃って動けなくしてから延々と殴る蹴るの体罰を与え、駆けつけた部下たちに羽交い締めされても尚、それを振り切って電話の受話器で殴り続けるという狂犬ぶり。そこに見えるのは熱い正義感ではなく個人的な怨念だけw
テレビのヒーローにあるまじき暴力行為として良識派には叩かれるワケだけど、相手はそれ以上に卑劣な犯罪者です。
例えば現在、スマホを見ながら車を運転する輩に子供が轢き殺された、みたいなニュースを見て、我々はやり場のない怒りを覚えるワケだけど、そのストレスを発散する方法が無いもんだから、ネット上で誰かを袋叩きにするような歪んだ「正義の味方(匿名)」が出て来ちゃう。
かつては、刑事ドラマや時代劇のヒーロー達が我々の怒りを代弁し、日頃の鬱憤を晴らしてくれたワケです。暴力は確かに悪だけど、これは必要悪なんだと私は思います。
現実では手が出せないから、せめてフィクションの世界で悪党を思いっきり成敗して、溜飲を下げる。それが我々のストレスを解消し、かえって現実世界における暴力犯罪を減らす結果に繋がるワケです。
それが今や、特撮ヒーローですら下手に暴力が振るえない。敵の怪人がわざわざ巨大化し、ロボットに倒される展開が定番になったのも、直接的な暴力描写を控えるテレビ局の自主規制なんですよね。
もちろん、必要以上にリアルに描く必要はありません。グロテスクな暴力描写は私も大嫌いです。そんなのは格好良くもないし。
必要悪はセックス描写にも言える事で、私がやたら女優さんに「脱げ」とか「乳を揉ませろ」とか言うのは、ただただ性犯罪を防止したい一心なのであって、そこにスケベ心は一切ありません。(乳首)
『ドクターX』や『半沢直樹』が大ヒットしたのも、大衆が勧善懲悪に餓えてる証拠ですよね。大門未知子も半沢直樹も、言葉の暴力で悪者をリンチし、視聴者の鬱憤を晴らしてくれるワケです。
だけど、わざわざ映像にして見せるなら、動けよ!……っていうのが私の意見。言葉だけならラジオで充分。口じゃなくて手足を動かせ!って事です。
私がエロとバイオレンスを推奨する裏側には、かくも高尚な志しがある事実を、お分かり頂けましたでしょうか?
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