ビタミンちょっぴり ときどき日記

ラジオビタミンのとりこだった暇人 
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お通りいただけたらうれしいです。

冬囲いはめる♪

2017-12-21 17:50:56 | 日記

2017.12.21(木)曇り晴れのち雨

日差しも出て青空も見えて、室内も暖かく洗濯物も乾いた。

午前、歯医者へ行く途中の信号待ちで、あら?園児らしき数人が、保育士と一緒にロープにつかまりながら歩いてきた。どう見ても、ぎーくん。窓を開けて「ぎーくん」と手を振った。ぎーくんは不思議そうな顔。保育士さんも私を見て笑顔で「あっ、ぎーくんのおばあちゃんだよ~」と。すぐに信号が変わったので出発。うれしい出来事だった(^。^)

昼に三男が弁当を食べに帰ってきた。夫と三男に、三男達が使っていた部屋に残っていた、小さい冷蔵庫をやっと外に出してもらった。出した後に、こんなに広かったのねぇ・・

三男に「○(長男)さんは、1、2、3と仕事だから、お正月帰ってくるかどうか考え中なんだって」と伝えると。三男は「・・・・・・」だった。

 

デッキの雪囲いをやっとした。簡単なはめこみ式にしてあるので30分ほどで終わるのだが、結束バンドが足りなくてホームセンターへ買いに行った。店頭には寄せ植えがたくさん。おぉ、値段を見て高いなぁ、先日買った500円の寄せ植えは、お買い得だったとニンマリ←いやらしいねぇ(^^ゞ

 

今日も地元BSNラジオへせっせと投稿。プレゼントは当たらなかった。残念。

 

いつもの山並み

50羽以上かなぁ?雪が降らないから食べ物に困らないねぇ♪

 

【夕方先読みニュース】

お子様へのインタビューで、お子様が質問「サンタさんはどうしてクリスマスプレゼントをくれるの?」と。

スタジオから北海道広尾町のサンタランドに、電話をかけて質問することに。「サンタの由来は、昔、貧しい家庭に3人の姉妹がいて、その姉妹に煙突から金貨を3枚投げ込んだ。その金貨が干してあった靴下の中に入った。その3姉妹は結婚をしたと。なるほどねぇ。北欧では厳しい冬に贈り物をやりとりする風習があった。など回答。

 

調べたらよそ様のHPにあったのでコピーして貼り付け 

「サンタクロースは、4世紀ごろ、小アジア(現在のトルコ)のミュラの司教であった、聖ニコラスだと言われています。

聖ニコラス(271~343年ごろ)は、現在のトルコのデムレ、かつてのギリシアの町ミュラの司教でした。彼は、日ごろから、困っている人や貧しい人を助け、自分の持ち物を惜しまず与えていた心のやさしい人でした。

あるとき、ニコラスの近所に3人の娘のいる家族が住んでいました。たいへん貧しくて、娘を売らなければならないほど、お金に困っていました。そのことを知ったニコラスは、その夜、その家の煙突から金貨を投げ入れました。ちょうどその金貨は、暖炉のそばに干してあった靴下の中に入って、そのお金で娘は救われ、後に結婚することができたのです。聖ニコラスは、同じことを下の2人の娘のときも繰り返し、その家庭を救ったと言われています。

クリスマスに靴下を下げておくと、サンタクロースが煙突から入って贈り物を入れてくれるという習慣は、ここから生まれたようです。

ニコラスにまつわる伝説や奇跡は、この他にたくさん残ってます。船乗りを嵐から救ったり、殺された子どもを生き返らせたという話も伝えられています。彼は、つねに子どもたちや貧しい人、弱い立場にある人と共に生きていたので、「子どもの守護の聖人」とされています。


プレゼント

彼は亡くなった後、聖人とされ、ヨーロッパでは彼の命日の12月6日に、聖ニコラス祭がはじまりました。この日、オランダやベルギーなどでは、子どもたちへのプレゼントを贈るようになりました。

聖ニコラスの伝説は、18世紀に北米に移住したオランダ人に伝えられ、子どもたちへのプレゼントの習慣が、オランダと同じ12月6日に引き継がれていきました。やがて、生まれたばかりのキリストに三賢者が贈り物をもって、ベトレヘムを訪れたという出来事と結びつき、アメリカ全土で「クリスマスにサンタクロースがプレゼントを贈る」という習慣が広がったと言われています。

聖ニコラスはオランダ語で、「ジンタークラース」と言い、それがなまって「サンタクロース」になったと言われています。


サンタクロースの着ている赤い服は、聖ニコラスが生きたころの、司教の儀式のときの服がもとになったと言われています。司教の赤い色は、自分の命をかけても、他の人を助けることを意味していて、血を流しても人々のために尽くすしるしでした。

しかし、今のサンタクロースの赤い衣装を考え出し有名にしたのは、1931年、アメリカのコカ・コーラ社が冬のキャンペーン広告のキャラクターとして、サンタクロースを起用したことから、サンタクロースの名前が急に、世界中に知られるようになりました

この広告のモデルは、1800年代後半に活躍した、アメリカの風刺漫画家トマス・ナスト(1842年~1902年)によって描かれたサンタクロースです。子どもたちのために、たくさんのおもちゃをかかえた、やさしそうなサンタクロース。白いふさふさしたひげをはやし、太った体形というアイデアは、彼によって生み出されました。

それまでの絵本や絵画の中に、サンタクロースは青い服を着たり、さまざまな色の衣装を着ていたそうです。今とはずいぶんイメージが違います。


日本では、いつごろサンタクロースが登場したのでしょうか。それは、1870年代です。日本でサンタクロースは、キャラクターとして、商業ペースに利用され、コマーシャル化され、歯磨き粉や醤油の広告などにも使われることになってしまいました。

商品の絵柄の広告には、恵比寿や大黒天、七福神のサンタクロースも表れ、親しまれたと伝えられています。

その後、だんだんと都会の中流家庭に広がって、おもちゃをもってやってくるサンタクロースとして描かれるようになりました。1951年ごろからは、デパートが一斉にサンタクロースを採用し、街はサンタクロースであふれるようになりました。

呼び方も、「サンタ」とか「サンタさん」などと親しみを込めて、呼ばれるようになり、サンタクロースは、すっかり日本の文化の中で、クリスマスにはなくてはならない存在となっていきました。」

 

サンタクロースが、子どもたちにも大人にも、平等に幸せを運んでくれる世界になりますように。

コメント (2)
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