古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『ゲゲゲの女房』を毎日見ています。

2010年07月21日 04時15分23秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
『ゲゲゲの鬼太郎』というマンガは、読んだこともアニメや映画を見たことはありません。しかし『水木しげる』という人には興味があって、彼のマンガ以外の本は読んだことがあります。このブログでも彼の『ラバウル戦記』を紹介しました。
 いまは角川文庫になっている『水木さんの幸福論』という本が手もとにあって、気楽に読むことがあります。彼は文章の中で自分のことを「水木さんは思います」というように「水木さん」と書きます。その味がいい。この本は「幸福論」といいながら幸福のことはあまり深く考えてなくて、自分の伝記みたいなものです。彼はずいぶん苦労していますから構えて書くこともできるでしょうが、軽妙な書き方です。その軽さがなんともいい。
 それに彼は鳥取県人です。(ぼくも)鳥取県の人はなんとなくいじけて、ぐじぐじしている、とぼくは思います。でも彼は裏ではぐじぐじしてるかもしれないけど、アッケラカンとした風を装っている。その味がまたいい。
 彼は敗戦後神戸の新開地の水木通りに『水木荘』というアパートを所有してたことがあります。(ペンネームの由来です)彼は神戸に住んで貧乏してたんだな、という親しみを感じます。
 それにぼくの祖母は水木さんと同じ境港の出身です。子どもの頃、おばあちゃんがいろいろ苦労した話を聞いたことがあります。どんな苦労か忘れましたが境港には親しみを持っていて、行ってみたいと思う地の一つです。
 ときどきテレビで紹介されますが、いまでは境港市にはゲゲゲの鬼太郎の電車が走り、妖怪ロードや妖怪神社があり、水木しげるのお陰で有名になっています。でも彼がこの地に住んでいたときはだれも見向きもしなかったでしょうね。
 そういえば島崎藤村が小説を書いていた頃、生れ故郷の信州・馬籠の人々は彼を、『郷土の恥さらし』と忌み嫌いました。彼は妻を亡くし、手伝いに入った姪を孕ませ、『新生』という小説を書いてフランスに旅立ちました。郷土の人々は作家の『業』を天下にさらして生きるしかない強い生き方をおそれました。いまでは観光地として、毛一筋でも島崎藤村と関係があれがでかでかと言い立てる根性と共通しています。
 というようなことで(どーゆーことか書いてる本人もわかってませんが)いまは朝の連続テレビ小説にはまっています。
コメント
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