きのうは昼の食事をすませてから、孫たちの一家と勇躍『蓮花寺』の『鬼踊り』見物に出発!
カメラは道子さんに渡し、ぼくはビデオを撮りました。実は「ビデオを買うのはやめる」とブログに書いていましたが、その後買ってしまいました。旅をしたり祭りを見たりしたとき、写真では動きが伝わらないし、以前 DVD テープで撮った旅のビデオを見て「やっぱりビデオは見るのがたのしい」と思い直したのです。いまのビデオはきれいに写るし、撮影は簡単にできると感心しています。
さて蓮花寺に着いてみると、もう車を止めるところがないほど。それでもなんとか止めて本堂に行ってみると人がいっぱい。撮影はちょっとだけにしてビデオカメラは肩掛けカバンにしまい、松明ゲットに備えました。去年はみんなで三家族分の松明をつかんだので、今年はおじいさんも一本くらいはゲットしようと手袋をはめ、松明投げを待ちました。
ところが待ち構える場所がわるかったようで、今年はどの鬼も中央の群集に投げています。そのうちこちらに投げてきそうな気がして鬼の踊るたびに構えましたが駄目でした。結局三家族で一本だけ。仕方がない。我が家の裏山で松明をつくってくすべ、それを撒いて拾うことにします。だれか負け惜しみで「世の中八百長ばやりだし、今年の鬼は松明撒きで八百長したな」とぼやいてました。
次は餅撒き。これはしっかりキャッチしようとカバンを空にして構えましたが、そんな甘いものでなく、餅が飛んでくると押されてよろよろ。一つもゲットできませんでした。カバンでなく手でキャッチすべきでした。あるいははじめから地面に落ちたのを拾うつもりで構えたほうがよかった。それでもみんなで拾った餅は一人一袋ずつありました。(紅白の餅がビニール袋にセットされていました)
家に帰ると、孫たちが「裏山の上にお墓つくったからお参りして」とたのみます。あの子たちが「お墓」というのは「拝むところ」ということです。萌ちゃんや大志くんに「畑に農業繁栄のお墓をつくったから拝んで」とたのまれたこともあります。そういう遊びをする時期でしょうか。おじいちゃんとおばあちゃんは途中で一息入れながら裏山にのぼり、拝んできました。
そういえばあの孫たちは、田舎のおじいちゃんおばあちゃんのところに来ると、裏山の祇園さん・愛宕さん、西中の山の龍神さん、大将軍神社、衣笠神社、篠原神社、あるいはお大師さんの祠、お地蔵さんの祠、と散歩を兼ねてよくお参りに連れていきました。「拝む」のがどんなことかわからなくても、大人が「拝む」姿を見て、子どもは子どもなりになにか感じるのでしょうか。
ふだんえらそうにしている大人が、真剣に頭を下げて拝む姿を子どもに見せることは、きっといいことなのでしょうね。
カメラは道子さんに渡し、ぼくはビデオを撮りました。実は「ビデオを買うのはやめる」とブログに書いていましたが、その後買ってしまいました。旅をしたり祭りを見たりしたとき、写真では動きが伝わらないし、以前 DVD テープで撮った旅のビデオを見て「やっぱりビデオは見るのがたのしい」と思い直したのです。いまのビデオはきれいに写るし、撮影は簡単にできると感心しています。
さて蓮花寺に着いてみると、もう車を止めるところがないほど。それでもなんとか止めて本堂に行ってみると人がいっぱい。撮影はちょっとだけにしてビデオカメラは肩掛けカバンにしまい、松明ゲットに備えました。去年はみんなで三家族分の松明をつかんだので、今年はおじいさんも一本くらいはゲットしようと手袋をはめ、松明投げを待ちました。
ところが待ち構える場所がわるかったようで、今年はどの鬼も中央の群集に投げています。そのうちこちらに投げてきそうな気がして鬼の踊るたびに構えましたが駄目でした。結局三家族で一本だけ。仕方がない。我が家の裏山で松明をつくってくすべ、それを撒いて拾うことにします。だれか負け惜しみで「世の中八百長ばやりだし、今年の鬼は松明撒きで八百長したな」とぼやいてました。
次は餅撒き。これはしっかりキャッチしようとカバンを空にして構えましたが、そんな甘いものでなく、餅が飛んでくると押されてよろよろ。一つもゲットできませんでした。カバンでなく手でキャッチすべきでした。あるいははじめから地面に落ちたのを拾うつもりで構えたほうがよかった。それでもみんなで拾った餅は一人一袋ずつありました。(紅白の餅がビニール袋にセットされていました)
家に帰ると、孫たちが「裏山の上にお墓つくったからお参りして」とたのみます。あの子たちが「お墓」というのは「拝むところ」ということです。萌ちゃんや大志くんに「畑に農業繁栄のお墓をつくったから拝んで」とたのまれたこともあります。そういう遊びをする時期でしょうか。おじいちゃんとおばあちゃんは途中で一息入れながら裏山にのぼり、拝んできました。
そういえばあの孫たちは、田舎のおじいちゃんおばあちゃんのところに来ると、裏山の祇園さん・愛宕さん、西中の山の龍神さん、大将軍神社、衣笠神社、篠原神社、あるいはお大師さんの祠、お地蔵さんの祠、と散歩を兼ねてよくお参りに連れていきました。「拝む」のがどんなことかわからなくても、大人が「拝む」姿を見て、子どもは子どもなりになにか感じるのでしょうか。
ふだんえらそうにしている大人が、真剣に頭を下げて拝む姿を子どもに見せることは、きっといいことなのでしょうね。