不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『口吉川町の山を歩く会』ウォークに参加しました。

2011年02月14日 23時14分03秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 口吉川公民館の『楽しい郷土史講座』受講生に声を掛けられて、きのうはちょっとしたハイキングをしました。蓮花寺から細川町の法輪寺までの往復コースです。声を掛けてもらった人は都合で参加されませんでしたが、講座の講師の方、地元の方、口吉川町に移住してこられた方とぼくら夫婦の五人でタラタラ山道を歩いてきました。
 竹の杖は前の日に5本つくって軽トラに積み、蓮花寺公民館にいきました。しかしみなさんそれぞれに杖を持っていました。杖の似合う年齢の人たちが集まったということです。一応タイトルに『口吉川町の山を歩く会』と書きましたが、そんなはっきりした会を設立したわけではなくて、講座をきっかけに二、三回山を歩かれたようです。
 きのうは蓮花寺の山門前から山道に入り、細川町の谷に出る山道を歩きました。口吉川町の谷と細川町の谷の間は300メートル足らずの山が連なっています。谷の向うに車で行くには、三木寄りの豊地まで行って細川の谷の道に入るか、殿畑まで北上してオリムピックゴルフ場のところで山を越えて細川の谷に出るかです。
 しかしむかしから、山を越えて向うの谷と交流はあったはずです。その山道はいまも健在でした。蓮花寺の山門前を通って山道を登ると尾根に出ます。落葉が降り積もっていますが、道幅は60センチ以上あり、倒木や枯れた枝のあまり落ちていない、歩きやすい道です。通る人はなくても地元の人が整備するのでしょうか。細川町の「下芝原」というに出るまでの数百メートルの山道は、両側の雑木林が10メートルくらい刈り込まれ、里山道として整備されていました。県の事業としてやったのではないか、という話でした。
 下芝原からは村の中の道を歩き、山の中腹にある法輪寺に着きました。立派なお寺です。ここにはおととし車で来ました。お寺までの登り道には竹薮があり、手入れされず荒れ放題で、太い孟宗竹が倒れて折り重なっています。(その竹薮の様子は一度紹介したことがあります。2009年12月5日ブログ)
 帰りは「鍛冶」というからちがう道を登って尾根に出ました。この道も歩きやすく、雪のちらつきはじめた頃には無事に蓮花寺に戻ってきました。3月は「東」というの公民館に集り、「山の神社」にお参りしようという話になりました。第一月曜日の3月7日午前8時集合で、だれでも参加できます。解説も交えておしゃべりしながらゆっくり歩きます。午前中に終る予定ですが、おにぎり程度の軽食を各自用意して参加することになっています。ぼくらは参加しようと思います。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする