古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

「母親」の「子ども支配」

2020年12月28日 03時06分18秒 | 古希からの田舎暮らし
 女優の松島トモ子が書いた『老老介護の幸せ』(母と娘の最後の旅路)という本を借りて、一気に読んでしまいました。ふだんそんな本は読まないのに。図書館の本棚から手にとったのは何かの縁かな。〈認知症/老老介護〉の実態を知りたいわけじゃない。松島トモ子のファンで関心があったのでもない。
 読んで、何を感じたか。「母親」の「子ども」を支配する〈すさまじい力〉を感じました。4歳のころから子役として映画に出て、70年超の間芸能生活をつづけてきた松島トモ子に、母親はずっとくっついていました。一卵性親子という陰口も。
 その母親がどんなふうに子どもを支配したか。次の文を読んでその凄さを思いました。母親が95歳になってから認知症になり、問題が出てきた頃の文を引用してみます。


 私は介護一年生で、一番体調の悪かった頃は、パニック障害、過呼吸、介護によるストレス障害、何も食べられないので7キロ減で33キロ。幽霊のようにふらふらしていた。
 あちこちから督促状が飛び込んでくる。見たこともないものだ。「何だ、これは?」なにやら「早く払え!」といっているらしい。自慢じゃないが4歳から仕事をしていた私、我が家の経済は祖母が握っていた。祖母が死んだ後はこの役割が母へ移行した。
 20歳過ぎ、おおいに売れていた私だが、お財布にはいつも3万円也、無くなるとまた3万円が入っていた。これより値段の高いものは母が買う。
 結婚のチャンスも無く、子どものいない私は70過ぎてからも全く我が家の経済状態を把握していなかった。母がどこの銀行へ行っていたのか、郵便局の扱いすら知らなかった。「お金はいったいどこにあるの?」悪いことに母の部屋は独立している。数年前から他人の掃除も断り、自分で片付けるといい張っているのだ。
 預金通帳はどこだ。土地の権利書、何とかファンド、ハンコ、カード。色々あるはず。まるで見当がつかない。

 このくだりを読んだとき、〈母親〉というものの「子どもを支配する凄まじい力」を思いました。ぼくにも「子供」のことを一生懸命に考えている母がいました。彼女は2019年に105歳で逝きました。彼女は文学少女に憧れて、生活力を身につけて、いつの日か都会で自活しながら文学を志す願いをもっていました。都会での生活手段として、彼女は「速記者」を目ざしました。「中根式」という速記です。
 高校3年のときぼくは盲腸の手術をして、予後がよくなくて2学期からずっと休みました。ぼくも母の願い通り、都会志向でしたが、病気でとりあえず地元の大学に進学することになりました。母の願いに沿って、ぼくも中根式速記を身につけることになりました。県議会の速記者が中根式速記だったのでその方に習い、速記練習のために、母はテープレコーダーを買いました。文章を読んで録音し、それを速記で書く練習をするのです。昭和31年当時テープレコーダーを持っている人はめったにいませんでした。「東京通信工業」という会社の、オープンリール/真空管のレコーダーです。(東京通信工業というのはいまの「ソニー」です)結局速記は、母もぼくも、モノになりませんでした。しかし母は「都会に出て文学を志し、同人誌に作品を載せ、作品集を出す」願いを果たしました。ぼくは83歳になってからこんなことが書けるようになりました。
 
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