古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

裏山には〈玉虫〉がいます。

2023年09月21日 21時05分21秒 | 古希からの田舎暮らし

 裏山で見た〈玉虫〉です。生きていませんが、道子さんはときどき「生きている玉虫を見かけた」といいます。玉虫のエサはケヤキやエノキだそうです。裏山の樹はクヌギ/コナラがほとんどです。知らないところにケヤキ、エノキがあるのかも。
 法隆寺の大宝蔵殿には『国宝・玉虫の厨子』があります。金具の飾りに玉虫の羽を敷き詰めるようになっています。いまは玉虫の羽は消えていますが、作られたときはきれいだったでしょう。我が家は、裏山で玉虫を見かけるというだけでうれしいです。

 今日した仕事に、「ウッドデッキのブランコにカバーをつけた」があります。道子さんが干していた胡麻はおしまいです。胡麻の木は裏山の焚火場に持っていきました。あそこで燃やします。隅に押し込んでいたブランコを引き出しました。これからは涼しくなるし、秋の空/秋の田んぼ/を見ながらブランコでゆらゆらできます。ブランコ・シーズンです。
 シートを切って、ブランコのカバーにしました。これで雨や夜露からブランコを守れます。

 加瀬俊一の『評伝アドルフ・ヒトラー』を読んでいます。昭和60年頃(1985年頃)二度しっかり読んだつもりなのに、最後の復習のつもりなのに、忘れていることがいっぱいあります。戦争をめぐる国家間のやりとり、それぞれの国の外交戦略、外交官の交渉のむずかしさ。いま読んでも、国の外交のしたたかさに感心します。
 
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〈最後の復習〉にしようと読んでます。 

2023年09月21日 04時57分58秒 | 古希からの田舎暮らし
 加瀬俊一の『評伝アドルフ・ヒトラー』を読みはじめました。小さい字で400ページの本で、読むのに時間はかかります。昭和53年(1978年)発行の本で、あの〈ヒトラーが戦争をした時代〉を「同時代の欧州の外交官」として体験したからこそ、ここまで描けるのです。
 一つ例をあげてみます。リッペントロップはヒトラーに外務大臣にしてもらい、独ソ不可侵条約とか重要な場面で活躍した人ですが、加瀬俊一はこんなふうに描いています。


 …… リッペントロップ外相がパーペン(ヒトラーの前にヒンデンブルグ大統領のもとで首相だった人)と連れだって入ってきた。リッペントロップはシャンペンの行商人あがりで、品格のない傲慢な人物である。私も会って知っているが、剝製人間のようにぎこちない。この時は外相になったばかりで、公式交渉に参加するのは初めてだった。彼はタイプした二枚の合意覚書を傲然と提示し、「これが総統(ヒトラー)の要求であって、一語の変更も許されぬ」と言い渡した。まさに裁判官が被告に刑を言い渡す態度だった。


 …… 英首相ネヴィル・チェムバレンは69歳、 …… 実業界に入ったが志を伸ばせず、やがて工業都市バーミンガムの市長になった。五十歳で下院議員になり、保険相・蔵相などを歴任したが、1937年ボールドウイン首相の後任に推された。名外相として盛名を馳(は)せた異母兄のオースチンに比べると、光彩に乏しく、いかにも実直な経営者という印象を与える。かなりのはにかみ屋であるが、一徹で強情な性格だった。経理に明るく、それだけに、浪費を嫌い戦争を恐れた。


 この本を読んでいると、知らかなった歴史上の人物が「生きた人間」として立ち上がってくるようです。
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