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くらぶアミーゴblog

エッセイを綴るぞっ!

連載小説『バイブレーション』最終回

2004-06-23 00:27:52 | 連載小説 バイブレーション
「とてもいい演奏だったわ。激しくて、音色が美しくて、思っていたより音が大きかった。はじめは、目の前にしている人たちがその音を出しているんだということが、なかなか認識出来なかった」
 鈴原さんはそう言って、自分の言い回しに笑った。
「実は、生でオーケストラを聴いたのは、今日が初めてなの。だから、すごく感動したし、不思議だった。ひょっとして、どこかで大きなスピーカーが鳴っているのかなと思った。あらためて、自分が視覚に頼りすぎているんだな、と思ったの」
 隣では町田先生がにやにやと笑っていた。彼女が気付き、軽く肘をつついた。
「町田さん、わたしがあなたを気に入っていると言ったの。そういうことはすぐ分かるんだって。まったくもう。それでいて、今日なんかは演奏の途中で寝てしまったのよ。いい演奏だったから良く眠れたんだ、なんて言い訳してたわ。まったく」
「ああ、それは僕のおやじもよく言っていたな。クラッシックに興味なんかないと言いながら、僕が指揮をするときには必ず聴きに来ていた。そしてすぐに寝てしまったらしい。でも演奏がまずい部分があると、良く眠れないと言っていたんだ。詳しく聞くと、それがうまく出来なかった楽章の部分なんだ。不思議だね」
「これから、予定は、ありますか?」町田先生が訊いた。
「打ち上げの飲み会があります。そうだ、よかったら、お二人とも来てくれませんか? メンバーに紹介したいし」
「いいんですか、メンバーさんの中に入れてもらって?」彼女が町田先生を見て、訊いた。
「もちろん。これからちょっと後片付けがあるけど、そのあとで大きな居酒屋に行くことになっている」
「恋の予感」町田先生が突然言って、肩をすくめてみせた。鈴原さんが赤くなり、彼の腕を強く叩いた。
「君の言うとおりなのかもしれない。僕や君は視覚に頼りすぎている。ちょっと試してみよう」
 僕は町田先生の左手を握った。反対の手で鈴原さんの手を握った。彼女はすぐに理解し、三人で手をつないで輪を作った。
「さあ、目を閉じるよ」
 それから暫くのあいだ、僕らは目を閉じていた。演奏会が終わったことの、興奮感と脱力感が交じり合った複雑な感情を、二人が受け取っているような気がした。鈴原さんと町田先生からは、種類の違うバイブレーションを受けた。町田先生からは単一で強い波長、鈴原さんからは太く暖かい波長。それらが三人のあいだを回っているようにも思えた。
「みんな、ひとつになっている」町田先生が呟いた。
「こんなのって、初めて。養護学校で仕事をしているのに、大切なことを忘れていたような気がするわ」
 目を開けると、視覚が脳を支配した。町田先生は敏感に感じ取り、手を放した。鈴原さんも目を開けた。
 何となく気まずい雰囲気になった。町田先生がそれを破った。
「あとでまたやりましょう。楽団の人も入れて全員でね」

 おわり
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連載小説『バイブレーション』その6

2004-06-22 01:20:52 | 連載小説 バイブレーション
 ステージの上には、四十人程度の生徒たちが、背筋を伸ばして整列していた。瞼を閉じている生徒が何人かいる。鈴原さんが袖からステージに上がっていった。
 校長がやってきて、深々とお辞儀をした。僕の手をとり、ステージに上がった。二人で親たちを前にした。
「この先生が校歌を作曲してくれました。とても良い曲です」
 拍手が起こった。親たちは非常に真剣な表情で、自分の子供を眺めていた。校長が、あそこに座って下さいと囁いて、ステージの真正面の席を指した。席をとっておいてくれたようだった。
 席からステージを見上げると、指揮台には町田先生が上がっていて、生徒たちのほうを向いていた。その右手には指揮棒が握られていた。
 ステージの、向かって左端にアップライトピアノがあり、鈴原さんが座っていた。Cの音を一度大きく鳴らした。町田先生は首を敏感に動かし、指揮棒を上げた。生徒たちは緊張が増したようだ。額に汗をかいているものが多かった。
 やがて町田先生が指揮棒を四拍子で一回振り、二回目のアフタクトで鈴原さんが前奏を弾き始めた。町田先生は全身で何かを感じとろうとしているように身体を動かしながら、指揮をした。歌が始まる章節では、生徒たちに大きく指揮を振った。
 僕は口を開けたまま、すべての動きが止まってしまった。生徒たちは指揮とピアノに正確にリズムを合わせて、歌い始めたのだ。言葉が聴きとりづらいが、音程は完全に合っている。しかもアルトとテノール、バスの三重唱だった。僕の書いた譜面を、そのまま歌っているのだ。
(聾唖とは耳が聞こえない人のことだ)
 その言葉が頭の中をくるくる回りながら、合唱に引きこまれた。まったくみごとな合唱だった。町田先生の、身体をくねらす指揮も、決して無様には見えなかった。彼はまさに全身で指揮をしているのだ。
 三番まで歌い終わると、待ちかねたように大きな拍手が起こった。それはおざなりなものではなかった。僕も思わずブラボーと叫んだ。町田先生が聴衆を振り返って、目を閉じた顔にひまわりのような笑顔を浮かべた。彼も指揮棒を脇に挟み、拍手をした。
 喉の奥のあたりから熱いものがこみ上げてきた。堪えきれずに、涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。
 鈴原さんが軽々とした動作でステージを降り、僕のところに来た。慌てて立ち上がった。彼女は僕の手をとり、高々と挙げて親たちに向かった。大きなどよめきと、激しい拍手が起こった。
 ほとんどの親たちが泣いていた。顔をくしゃくしゃにしながら、両手を顔の前まで上げて拍手を送っていた。
 生徒たちを振りかえると、もう緊張してはいなかった。身体を右に左にくねらせながら、拍手を楽しんでいるようだった。
 市民オーケストラの秋の定期演奏会は、無事終了した。楽団のメンバーは、持てる力量を充分に発揮してくれた。『断頭台への行進』も、金管楽器と弦楽器が絡み合った、パワーのある演奏だった。小手先のテクニックに逃げない、良い演奏が出来たと思う。
 鈴原さんと町田先生が聴きに来ていて、楽屋に来てくれた。僕はメンバーと握手をかわしながら、ステージ裏の狭いスペースで二人と会った。

 つづく
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連載小説『バイブレーション』その5

2004-06-21 00:23:46 | 連載小説 バイブレーション
 それから二ヶ月が過ぎた。セミの合唱は少なくなり、夕方にはコオロギの声が聞こえるようになった。
 空はブルーが薄くなり、雲が高い位置に出るようになった。僕は秋の定期演奏会に向けて、オーケストラのメンバーと一緒に、ほぼ毎日遅くまで練習を続けた。
 今回の演奏の目玉は、ベルリオーズの幻想交響曲、作品十四だった。この曲はオーケストラがある程度実力がついたところで必ずと言っていいほど演奏する、いわば登竜門のような曲だ。第四楽章の『断頭台への行進』がやはり難しい。金管楽器のファンファーレと弦楽器のうねる波のようなパートが、一つに溶け合わなければいけない。それに後半のテンポが速くなる部分では、全員がどうしても突っ込みがちになる。僕はしばしば指揮棒で譜面台を叩き、リズムを正確にとらせることにかなりの時間を使った。
 先月入ったばかりの女の娘が、トロンボーンのセカンドを担当することになった。テクニックはまだ未熟だが、音質はずば抜けていい。思い切りが良く、迷いのない音だ。
 定期演奏会の二週間前の水曜日、いつものように夜遅く家に帰ると、様々な郵便物の中に、手書きの封書が一通あった。見覚えのある字だ。
 他の郵便物は、ほとんどが保険の勧誘のようなものだった。それらをピアノの上に放り上げ、封書を開いてみた。サーモン・ピンクの便箋に、先々月来てもらったことのお礼と、その校歌の発表会を行うのでぜひ来て下さい、といった内容が書かれていた。
 その発表会は土曜日の夕方からだった。暫く迷ったが、行くことにした。オーケストラには指揮の巧い部員もいることだし、各パートごとに詰めの練習をさせてもいい。
 その日は、羊雲が空高くに整列していて、涼しい西風の吹く気分のいい日だった。養護学校の駐車場は満車だった。車通りのほとんどない側道に車を駐め、斜面を登り、正面玄関を入ってスリッパに履き替えたところで、鈴原さんが事務所から出てきた。前回のときとは違った、心を開いたような笑顔で迎えてくれた。
「お疲れ様です。お忙しいのに、ごめんなさい」
「大丈夫だよ。自分の曲の発表会なんだから来なくちゃね」
 僕はそう言ってから、自分を訝しんだ。付き合いの浅い人に、このように気安く話すことは今までなかった。彼女も僕の態度に少し驚いたようだが、顔には笑みが広がった。
「合唱隊を呼んだのかな?」
「ううん、違うわ。歌うのは全員この学校の生徒よ」
「ええ、何だって?」
「みんな、今日までものすごく練習したの。ピアノはわたしが弾くのよ」
 僕は混乱したまま、彼女のあとをついていった。大きなスライドドアーを開けると、こぢんまりとした講堂だった。席には生徒の親らしい人たちが座っていた。

 つづく
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連載小説『バイブレーション』その4

2004-06-20 00:50:06 | 連載小説 バイブレーション
 事務所までゆっくりと歩いていった。窓からさっきの女性が顔を出し、すぐにドアを開けて僕たちのところへやってきた。
「これが譜面です。どうぞ」
 差し出した譜面を彼女は受け取り、胸のあたりに抱くようにした。腕を伸ばして町田先生の肩を触った。彼は右手に持っていた杖を持ち直して、軽く振った。中にはゴムが通っているようで、すぐに一本の杖の形になった。僕のほうに顔を向けて会釈し、床に杖を当てながら階段を上がっていった。
「ご足労さまでした。またご連絡させていただきます。それから、この曲の作曲料金というのかしら、それは銀行に振り込むようにしたほうがいいですか? それとも直接お渡ししてしまったほうが面倒がなくていいかしら」
「ええと、あなたのお名前は?」僕は訊いた。
「やだ、ごめんなさい。わたしは鈴原涼子といいます」
「鈴原さんと、町田先生か。今回の作曲は無償でけっこうです」
「でもそれじゃあボランティアだわ。お金は用意してあるんです。国から助成金も受けています。ですからこれを仕事のひとつとしてやっていただいたと考えて下さい」
 彼女の茶色い瞳が僕の目をとらえた。僕はまばたきをして、彼女に言った。
「鈴原さん。どう言ったらいいのか分からないのだけどー」
 彼女は待った。
「たぶん、お金では決して買えないものを、今日、与えられたような気がする。実はまだショックから覚めていないんです。だから、仕事の報酬は、充分受け取ったと思う」
 彼女は目を見開き、僕の顔を見詰めた。その視線は、心の奥まで見透かされそうな、まっすぐな視線だった。後ろで一つに束ねてある黒い髪が、陽光を反射して輝いた。
「あなたのような人もいるのね」
「僕は、今までに知らなければいけなかったことを、あなたや町田先生に教わったんだと思う。だから、僕は決して特殊な人間じゃない」
「ありがとう」
 彼女は譜面を左手で抱き、右手を差し出した。僕たちは握手をした。彼女の手は暖かかった。夏の気温の中でも、それは心地良かった。
 事務所から五十代の小柄な男が出てきて、僕に深々とおじぎをした。校長だと名乗った。
「それじゃあ、また」
 ギターケースを提げて車に戻った。バックミラーを見ると、彼女が外に出てきて僕を見ていた。運転席の窓を開けて、右手を大きく振って走り出した。彼女の姿が暫くのあいだ、ミラーに映っていた。

 つづく
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連載小説『バイブレーション』その3

2004-06-19 00:21:51 | 連載小説 バイブレーション
 僕は彼を観察した。聾唖の人とこれだけ正面から向き合ったのは、初めてのことだった。また、全盲の人としても、初めてだった。
「作曲、ありがとうございました。この学校にもやっと校歌が出来て、本当に嬉しいです」
 彼の口調はたどたどしく、聞き取りにくいところがあったが、低音で柔らかい声だった。
 僕は知らないうちに緊張していたらしい。ためていた息を吐き出すと、彼が不意に笑った。いい男の笑顔だった。
「私を気遣ってくれていますね。よく分かります。あなたは優しい人なのですね。でも、私のことを扱うのは、そんなに緊張しなくてもいいんです。リラックスして下さい」
 正面にいる彼の右肩を、そっと一回叩いた。
「さあ、これであなたとのコミュニケーションが出来た。早速曲を聴かせて下さい」
 僕は、何となく周囲を眺めた。部屋には彼と僕だけだった。開け放たれた窓から、セミの合唱が聞こえている。
「さっ、聴かせて下さい」
 彼が促した。僕は頷き、ケースからギターを取り出した。彼は顔を小刻みに動かしていた。まるで何かの音を聴き取ろうとしているように。
 脚を組み、ギターを構えた。彼がゆっくりと右手を伸ばしてきて、ギターの側胴に触れると、掌を当てた。僕は伴奏から弾きはじめた。彼は右に首を傾げ、何度か頷いた。やがて曲が終わると口を開いた。
「とても良い曲ですね。素晴らしいです。もう一度、聴かせて下さい」
 僕は二回目も同じように、その校歌を丁寧に弾いて歌った。彼は時折頷きながら、やはりギターに手を当てていた。いったい、どうなっているんだろう?
「いやあ、これはいい曲ですね。本当にありがとうございました。譜面は事務の人に渡して下さい。きっとまたご連絡することと思います」
 彼はそう言って、椅子から立ち上がった。僕は慌ててギターをしまい、譜面とともに持った。ぎこちない動作で彼の左腕をとった。
「ありがとう。あなたは私のような人間に会ったことがないのですね。盲人を案内するときには、こうするんです」
 彼は僕の右手をそっとほどき、かわりに僕の肘の辺りをつかんだ。右手に持っていた白い杖を折りたたんだ。 

 つづく
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