
地震直後の我が家の様子(東京・港区)
東日本大震災は、これまで誰も想像できなかった規模の地震だった。
震源域が三陸沖から鹿島沖まで、南北に500km、幅200kmという大きさだ。4つの震源域が連動したともいわれている。
そんな地震が起こるなんて、いったい誰が予想できるだろうか。
この震災では多くの人が犠牲になっている。地震から10日を経た今でも、救出と遺体収容が続いている。
僕の妹もまた、犠牲者のひとりとなってしまった。
妹は岩手県釜石市に住んでおり、地震後は住民と一緒に防災センターへ避難したらしいが、そこへ津波が襲ってきたのだという。
200人ほど集まった人々は流され、そのうち20人ほどが奇跡的に助かった。
妹は助からなかった。昨日、遺体が確認されたのだ。
一緒に流された義母は、まだ行方不明だ。
地震後、妹が行方不明と分かってから、僕はネットを駆使して捜索を始めた。
Googleが提供したパーソンファインダーに名前を登録し、毎日更新される避難者リストを調べるのが日課となった。
twitter、facebook、mixiなどにも写真入りで実名を載せ、「見かけたら情報をください」と呼びかけた。
すると、驚くべきことが起こった。
友人知人をはじめ、一度も会ったことがない人までが励ましの言葉をくれ、捜索に協力してくれたのだ。
あの膨大な避難者リストに目を通してくれたのである。
これには本当に勇気づけられた。災害のときこそ他人を気遣い、協力を惜しまないという思いやりの心。
これは日本人の素晴らしさだ。世界に誇れる社会的資産だと思う。
このブログを書き始めたのは2004年のこと。
古い記事には妹がよく登場している。なかでも『憧れはグラハム・カー』というシリーズものにはよく出てきた。これは幼少時を想い出して書いたエッセイで、妹と一緒に記憶を辿ってネタを探したこともあった。
今後はひとりで想い出さないといけない。妹の供養のためにも、想い出したらぽつぽつ書いていこうと思うのだ。