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くらぶアミーゴblog

エッセイを綴るぞっ!

ワイキキ寸景

2012-01-20 15:27:40 | 

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 オアフ島ワイキキでは、こんな風景がよく見られる。
 いかにも南国的なパームツリーの幹に、鉄板が巻き付けてあるのだ。
「これは何のために?」
 疑問を抱いた僕は、現地の人に訊いてみた。すると
「○×が登って木の実を食べるのを防いでいる。茎のところを囓られると、実が地上に落ちてくるから危険なんだ」
 とのことであった。
 ○×というのは知らない単語だったから聞き取れなかった。説明を求めると、ネズミの仲間だとか、そんなことであった。
 つまり、彼の地のネズミちゃんが幹を登れないように、途中につるつる滑る鉄板を巻き付けたわけだ。
 なるほど。




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 今ではこんな鉄板も登場している。
(無垢の鉄板じゃつまらないから、アートにしてしまおう)
 こう思ったのに違いない。
 さすが観光地である。
 しかしこれでは表面がざらざらになって、ネズミちゃんが登りやすくなるんじゃないかと思ったりするが、どうなんだろう。

 





宮城・福島ぐるぐるマジックショー&缶詰料理ショー その3

2011-08-27 11:20:01 | 

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世界初のマジック&缶詰料理ショー!

 車は東北自動車道を下りて県道へ入った。
 最初に見つけたコンビニエンスストアで、予備のマスクや軍手を購入する。
「これから先、精神的に相当ショックを受ける光景が待っています。僕自身、1回目に訪問したあとは、しばらくショック状態から抜けられませんでした」
 せんとくんが語る。
「それをどうやって克服したかというと、僕はすぐに2回目の訪問に来ました。ようするに慣れさせたわけですね。今回はとりあえず感じたことを話し合って、感覚を共有するようにしましょう。話すことでだいぶラクになりますから」
 やがて車が石巻港に近づくと、せんとくんの言葉が現実となって現れた。
 逆さまになり、数台が折り重なったままの乗用車。
 燃えたあとの黒い家屋群。
 布団や服、鍋など家の中にあるべき物が、往来に散らかって濡れている。
 外壁が残っている建物も、中を覗くと空っぽだ。津波がすべて流し去ったのだ。
「うわっ...」
 言葉が出てこない。
 僕も、コピーライターのせんとくんも、作家でもある小石師匠も、普段は言葉を紡ぎ出すことで仕事をしている。それなのに、その悲惨な光景を表す言葉が一切出てこない。
 ただ、
「うわっ」
「ウソだろ」
 感嘆符ばかりが口から出てくる。
 テレビの映像で見たはずの光景が、目の当たりにすると、まるで印象が違う。現実のこととは思えないほどの惨状が、本当に起こったのだと、実感するのであります。

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頑丈な大型トラックも破壊し尽くされていた




 港付近を一周した後、木の屋石巻水産の鈴木君が雑居ビルに案内してくれた。
 そこは満潮時でも冠水しないエリアだ。そのビルに入っているスナックで1回目の慰問公演を行うのであります。
 まずは前座の缶詰料理ショー。
 コンビーフを使った『コンビーフ・タルタル』、サバ味噌煮缶を使った『サバ味噌ごま油』など数品を作りながら、缶詰や食べ物に関するトークをしていく。出来上がった料理はどんどん試食してもらうが、好評をいただいたのでほっとした。

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 次は小石師匠のマジックショーだ。
 話のキレが素晴らしい。ひと言ひと言で笑いが起こる。さすがプロの芸人なのであります。
 最後は全員集合で写真を撮った。
 あとで見てみると、慰問に行った我々より、被災した方々の笑顔のほうが数段輝いていた。




 つづく
 ひとつ前へ
 第1話へ





宮城・福島ぐるぐるマジックショー&缶詰料理ショー その2

2011-07-10 12:24:41 | 

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僕に出来ることは缶詰料理ショー

 いつになく早起きした僕と家人は、世田谷の経堂という町へ向かった。
『さばのゆ』という飲食店で待ち合わせしていたのだ。
 夜更かしばかりしている2人にとって、考えられないほど早い時間であった。
「眠いね」
「だるいね」
 中年夫婦の会話は簡潔を極める。
 その横を、颯爽と、中高生が通学していく。
「我々にもあのような時代があったのだ」
「今じゃ想像もつかないけど」
 中年夫婦の会話はシニカルだ。
 やがてさばのゆ前に、ゴトーさん改めせんとくんとドライバー、さばのゆオーナーの須田泰成さんがやってきた。やあやあと握手を交わす。
 せんとくんが手配してくれた車はロケバスと呼ばれる大型のものだ。そこにガスカートリッジや衛生用品など支援物資を積み込んでいく。
 支援物資の中には2ドア冷蔵庫もあった。
「冷蔵庫はたいてい、家の1階に置いてありますね。だから津波で流された家庭が多く、冷蔵庫の需要は高いんですね」
 せんとくんの説明は明瞭だ。
 東京に残って采配をふるう須田さんと分かれ、我々は車に乗り込んだ。途中でパルト小石さん(小石師匠)をピックアップし、師匠のマジック道具を積んで、いよいよ首都高へと乗り入れた。




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石巻でお渡しした冷蔵庫
車が大きいからタテに積んで行けた

「ええとですね」
 せんとくんが口を開いた。車は首都高から東北自動車道へ乗り入れたところだ。
「しばらくは普通に走っていけます。でも福島あたりから悪路になります。地震で道路が歪んで、まだ直ってないんです」
「そういえば、飲み物なんか気をつけないと、こぼしてしまうらしいね」と小石師匠。
「車から降りても、振動でしばらくはふらつきます」とせんとくん。
 それから福島に入るまで、僕らは長い時間、くだらない話題で笑い合った。酒を飲むと人はどう変わるか。今まで会った一番の大虎はどんな人か。ひどい想い出は何か、などなど。
 小石師匠とせんとくんの話は面白く、僕ら夫婦はげらげら笑い続けた。
 しかし、これはあとで聞いたことだが、小石師匠は
「あのとき、何を話していたか憶えてなくてねェ」
 こう話していた。
 どんなマジックをすれば被災地の人たちに喜ばれるか。そのことばかり考えていたのだという。
 そういう気持ちを表にまったく出さないのが、小石師匠の素晴らしいところだ。




 つづく
 ひとつ前へ





宮城・福島ぐるぐるマジックショー&缶詰料理ショー

2011-06-10 13:35:40 | 

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津波で打ち上げられた大型船(画像右側が海)
右がパルト小石さん、左が筆者

 宮城で育った僕にとって、漁港の匂いは珍しいものではない。
 漁港はたいてい魚の生臭い匂いと、それが乾いた干物様の匂いがする。そこに潮の匂いも混ざっているから、臭いと言えば臭い。
 しかし有機的な匂いなので、すぐに慣れることが出来るのだ。
 ところが先月末、宮城県の石巻漁港に行ったときには、あの臭くてもどこか懐かしい匂いはしなかった。
 腐った魚の匂いに、揮発した重油の刺激臭、ヘドロ、下水などの匂いが複雑に混ざり合っていて、本当に臭い。地元の人でさえマスクをしてるのだ。
「マスクしたほうがいいですよ。少しは匂いが防げます」
 石巻の缶詰工場、木の屋石巻水産の鈴木君が言うのである。
 もっとも、マスクは風で舞い上がる有害物質を吸い込まないためにも必須だという。
「今まで嗅いだことのない匂いだね」
 マジシャンのパルト小石さん(小石師匠)が言う。
「ここで復興作業をしている地元の方はホント、大変だと思います」
 コピーライターの後藤さん(ゴトーさん)も言う。

 コトの発端は、4月のある夜のこと。
 世田谷のバー『bar-closed』で、小石師匠とゴトーさんと呑んでいたときだった。




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津波で流され防波堤に乗り上げたJFの重油タンク
こんなタンクがいくつもあり、中身が流失しているのだ

「阪神・淡路大震災のときは、5回くらい慰問公演に行ったのですよ。でも、今回の東日本大震災ではまだ一度も行けてなくてね」
 小石師匠が語る。
「現地でショーをやらせてもらって、辛い思いをしている被災者の方々に笑いを届ける。これも大事な支援のひとつだと思います」
 ゴトーさんが言う。
 ゴトーさんはすでに今回、大きな被害を受けた石巻市に3回行っている。
 ふだんは深夜まで仕事をしていて、その合間に復興支援活動を行っているのだ。バイタリティ溢れる素晴らしい人物なんであります。
 しかしそのお顔は、奈良のゆるキャラ「せんとくん」にそっくりである。
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 そのご尊顔で静かに語りかけてくるので、言葉には不思議な説得力がある。
「僕は缶詰博士だから、缶詰を使ったエンタテイメントなら出来る。師匠のマジックショーと組み合わせて、慰問公演をやりませんか」
「いいね。行きましょうか!」
 師匠が言う。
「行きますか。往復のアシは手配しますよ」
 ゴトーさんあらためせんとくんが言う。
「よし、みんなで行こう。僕らに出来ることをやろう。被災地の方たちに笑いをお届けしよう!」
 こうして、宮城県石巻市と、福島県福島市への慰問公演ツアーが決定したのであります。
 果たしてどんな旅になることだろう。

 つづく




八ヶ岳ずだ袋紀行 その2

2009-10-20 10:09:18 | 

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東京と山梨の県境付近を走る
車窓からは中央フリーウェイが見えた

 ずだ袋とはなーにか?
 ずだ袋とは、例えば形の崩れたナップサックなど、汚れてくたびれたバッグを指す。
 すなわちこの旅行に行った時期の僕は
「まるでずだ袋みたいだ」
 と言われてもいい状態でありました。
 目は充血が取れず、腱鞘炎で左腕がしびれたまま。自分の身体をケアする余裕が全くないほど、疲労がピークに達していた。




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山梨県の小淵沢で小海線に乗り換える
小海線はハイブリッドの車輌が走っていることで有名だ
(この車輌は残念ながらディーゼルだったけど)

 ところで、精神的な疲労には
「遠慮しないで愚痴をこぼすといい」
 という。
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 確かに、溜め込まないで誰かに話すと、けっこうラクになる。
 というより、話さないと人はおかしくなる。
 そういう意味ではブログなんか、愚痴をこぼすのにいいアイテムではないだろうか。
 実際、愚痴で埋め尽くされているブログもたくさんある。
 でも僕は、そういうことは書かないのだよなァ。
 それは「格好つけている」だけではない。どうもその、「辛い」とか「苦しい」とか、そういう直接的な表現が好きではないらしいのだ、僕は。
 ひと捻りした婉曲的な表現が、自分にはぴったりくる。あとで読み返したときも、それだと不満がないのだ。




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 ともかく、心が重く沈んでいるときには、こういう景色を見たくなる。
 本当はヒコーキに乗って高度1万メートルくらいを飛びたいが、しょっちゅう出来ることではない。
 つまり、僕には“高さ”が必要なのだ。
 月や星を眺めたり、標高2000メートル以上の山の嶺を眺めると、いくらか気持ちがすっきりしてくる。
 この作業を僕は
「心を高い軌道上に上げる」
 と称しております。




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そのあとは斧で薪を割ったり



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チェーンソーで丸太を挽いたり
自然の中で身体を動かすのは、何というか“安心感”がある
「今、確かに生きてるんだな」という安心感だ




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 美しい紅葉には1週間早かった八ヶ岳高原。
 しかし夜には気温が5度まで下がり、薪ストーブの火が何よりもありがたかった。
 2泊3日の、貴重な休暇でありました。




 おわり