
正月明けの連休にまち歩きをしてきた。
JR山手線の鶯谷駅から西へ出て台東区谷中へ。まずは言問通りを歩いてみる。

岡埜栄泉(おかのえいせん)という和菓子屋さん。

ここの豆大福が有名らしいが、この日はすでに売り切れていた。
しかたもないので、別の種類を6つチョイス。
これがうっとりするような美しさなのだ。
さすが老舗の和菓子司であります。

番地表示のプレートが、古くて懐かしい。

Y路地の真ん中に巨大な銀杏の木。
下から見上げると、生い茂った枝のあいだを電線が走っていた。

人だかりがあると思ったら、ネコがいたのであった。
下町散歩にネコは欠かせないのだ。
ここはネコグッズを売るお店のようだった。

警備は“ネコム”に任せているとのこと。
細かいとこまで凝ってますなァ。
この辺りの路地には古い民家が多いが、そこに新しく移り住んできた人々が、イベントスペースや飲食店、ギャラリーを開いている。そして、それを目当てに人も集まってくる。
だから、一見して何でもない裏路地なのに、人通りが多くて活気があるのだ。

不忍通りに出ると、住所は文京区根津となった。
不動産の看板一つとっても味があって、ちょいと魅力的に思えてしまう。
ここから再び言問通りを西に向かうと、道は上り坂になる。ここを弥生坂という。

そしてこれは弥生土器の出土地付近を表す碑。
つまり弥生土器とは、文京区弥生の地名にちなんで命名されたんであります。
ここでつかの間、我が国の古代史に思いを馳せながら、弥生坂を上り切って本郷通り(国道17号)を左折する。
この17号を北上すると中山道となり、その先をずっと西にたどれば、やがて滋賀県の草津へ続いていくのだ。
しかし本日は旅支度をしていないので、そっちとは反対に本郷通りを南下する。

門をくぐると、そこは東大であった。
正面に見えるのは、かつて全共闘と警視庁機動隊が闘った安田講堂だ。
こうして僕は東大の敷地に入ったことになる。
これを省略すると、
「僕は東大に入った」
ということになる。
他意のある表現ではあるが、言葉としては間違ってないと思う。
もっとも、入ってから出るまでの時間はわずか数分と、超超短期入学であった。

最後に
東大の赤門を写真に収めると、早くも冬の日は傾いていた。
ここはもと加賀藩前田家の上屋敷だったそうな。
江戸時代の地図を見てみると、その加賀藩上屋敷の敷地はすべて、現在の東大本郷キャンパスに収まっていることが分かる。
それどころか、お隣の水戸家の中屋敷までもキャンパスになっているのだ。
「さすが東大!」
と言わねばならない。
赤門の向かい側には専門書店がずらりと並び、またしても
「さすが東大!」と思わせられる。
しかしその合間には、いかにも学生たちが好みそうなカレー屋、ラーメン屋などがひしめいていたので、僕は安心して帰途についたのであった。