
チェルシーからの帰途、西14丁目通りから見えた
エンパイア・ステート・ビルディング
こういう写真をパッと撮るにはやはりデジカメが便利
この連載も第6回目となった。このまま年を越すことになりそうです。読者諸賢よ、来年はみなさんにとって素晴らしい年でありますように。
さて、ニューヨーク市(NYC)滞在4日目の朝。 親しみのわいてきた『ザ・タイムホテル』をチェック・アウトする日がやってきた。
タイムズ・スクエアまで徒歩5分という立地で、マンハッタン見物の拠点としては実に便利だった。
その分、値段も2人で1泊約3万円と安くはない。これが相場なのであります。
次の滞在先は東99丁目通りと東100丁目通りの間、3番街に面しているレンタルアパートの『RoomA』というところ。
NYCは北に行くほど丁目の番号が大きくなる。つまり西50丁目通り沿いにあるザ・タイムホテルよりもずっと北に移動することになる。 チェック・アウトを済ませた我々は地階に降りた。折しも外は雨。しかし、早朝よりは小降りになっている。
顔馴染みとなったポーターがドアを開けてくれたが、彼は誰かと話をしていたところだった。目の前に黒いキャデラックのリムジンが止まっており、その運転手と世間話をしていたようだ。
「タクシーを呼ぼうか?」陽気なポーター氏がいう。
「お願いします」と僕。
「何ならこのリムジンを使ったらどうだい?」彼が提案する。脇ではドライバーがニコニコと笑っている。
「値段も安いんだよ。なあ、そうだろ」と彼はドライバーにも視線を送る。 その率直さ。フランクな態度。これが米国人の良いところだなあと思う。
「ま、この次にしておこう」と僕。リムジンを使うなんて、いかにもおのぼりさんみたいで恥ずかしい。
イエローキャブを呼んでもらい、我々は荷物とともに北上した。ビルの間から見える空は雲が切れ、陽光が輝いてきた。

商業地区から住宅街へ
北上するにつれ、建築も高層から低層へと変わる

RoomAのある地域は、このような立地
目の前の公園ではいつも子供が遊んでいる
セントラル・パークの東側には、アッパー・イーストサイドと呼ばれる高級住宅街がある。
しかし通りを1、2本も北に上がればハーレムに入る。ハーレムとは昔から黒人や低所得者層が多く住んでいる地域だ。
RoomAはちょうどその狭間にある。だから北に向かって歩いていくと、中古のような雑貨品を売る怪しい万屋があったり、スーパーに入っても食品や飲料水が安く売られている。反対に南を下ると、チーズや生ハムなど輸入食品を売る高級スーパーがあり、品の良い美術学校があったりする。
その差があまりにもはっきりとしているのが面白かった。

RoomAの部屋内 久々にバスタブに浸かれた!
RoomAは、日本人スタッフがほぼボランティアで経営しているところ。「日本人にもっとニューヨークを知ってもらうために、気軽に泊まれる宿を作ろう」という思いで誕生したアパートメント・ホテルであります。
鍵を渡しに来てくれたA氏はニューヨーク在住十数年という人。この人もフランクで、話し好きで、完全にニューヨークっ子になっていた。
部屋の説明以外にもいろんな話をし、たっぷり1時間は部屋にいた。

ニューヨークの地ビール アルコール度数は高め
値段も一本約12ドルと高かった
「NYは2001年の9.11事件以降、大きく変わったんです。人々の連帯感が強くなって、犯罪率もずっと下がりました。それは大きな変化でしたよ」とA氏。
9.11以降、何かと人々は公園に集うようになった。
“夜の公園は危険”なのが常識だったが、それが変わった。
「人々はお互いを思いやるようになった。それを僕は目の当たりにしてきたんです」
例えば2003年8月14日の大停電。日本では被害報道ばかりがされていたけど、現地では感動的なことがいくつもあったらしい。 「以前だったら暴動が起こって、あちこちの商店が襲われたはずです。しかしあのときは暴動は起こらなかった。逆に店主が通りに出て、アイスクリームや飲料水を配ったりしていた。なにしろ暑い夏でしたからね」
A氏の話を聞いていると、こちらも胸が熱くなった。
今回のニューヨーク旅行、思わぬところで収穫がありましたよ。

世界貿易センタービル跡地
巨大な空間がすっぽりと空いていた