
夏の盛りも過ぎようとする頃、マサルブロログのマサル氏がご来訪されました。
こちらでセミナーがあり、その参加がてらお寄り下さったのであります。

これは彼がお撮りになられたお写真。セロリがお気に召したやふです。

これも彼のお手によるもの。気の抜けたビールが、夏の終わりを予感させます。外ではコオロギの合唱であります。
写真というのは、現実の風景を複写するモノだと、ずっと思っておりました。いわば記録手段なのだと。
しかし、そうではないということが分かってから、俄然面白いものになりました。
記録するのは間違いないけれど、その過程で技術的な手を加えると、まるで現実とは思えないような世界が展開していくのですね。
写真でありながら、絵のようでもあり、心理の奥底に潜む風景のようでもある。
決定的ではなく、示唆的である。
そういう写真が、一番好きです。そういう写真を撮っていきたい。
だから、僕が写真を撮ろうとするときの過程は、絵を描くときとかなり似ている。
ある風景を撮りたいという動機が起こる前に、心の中には茫漠とした理想の風景が浮かんでいる。
“動機”以前の状態、いわば“静機”とも言える状態があるのです。
(※この心理状態を、開高健は見事に文章化していました)
その風景を再現するためのロケーションハンティングがあり、露出があり、プリントがある。
カメラを持って外に出れば、どうしても撮りたくなるような光景もたくさんあります。しかしそれよりも、写真を使って作り出してみたい風景が、心の中にあるのです。
そして、その実現に最適なのが、モノクローム。
想像の幅が広くて、あたりが柔らかい。時間の感覚が無限大で、どこかに優しい郷愁がある。
スピードと能率を要求される今の世の中で、僕はますますモノクロームの世界に入り込んでいくようです。