
ヤフオクで木太刀を落札いたしました。
これでクイックルワイパーのへなへな素振りから卒業であります。

さっそくに振ってみたけれど...。
重いのなんの、こりゃ簡単には振れませぬなあ。
これは素振り用に作られた木刀で、重量はおおよそ980g。素振り用ということで、重めに作られているらしいです。
しかし、重いとは言っても、たかだか1kgでしょう。
本当は、3kgとか5kgのものにしようかと思っていたのであります。
そんなものを買わなくて、良かった。
生来のせっかちと無茶が出なくて、本当に良かった。
まず、振り下ろしてから、ぴたりと止まらない。思ったより沈むし、左右にブレる。
百回やったところで、握力がなくなってきました。
さらに50回やったところで、左手親指の付け根の皮がむけそうになりました。
なんとなく身体的危機感を感じ、本日は撤収。
「ふん、今日はこのくらいで、勘弁してやろう」
息も荒々しく、捨てぜりふであります(誰に?)。
ともかくも...。
毎日やろうっと。
東京新聞の占いに夢中であります。
十二支別の『運勢』というものだけど、ふつうの占いとは違っている。一寸、ことわざとか故事成語に近いもので、すごく示唆的なのであります。
例えば、
『一生学んでも尽きない道を発見して、努める人に凶運はない』
とか。
『人に応酬するときは、1人いるときのごとくして順調』
とか。いちいち腑に落ちることが多くて、毎朝が新鮮な気持ちなのであります。
一番感心したのは、
『気にくわないことがあるからこそ、心の大きさの大事を知る』
というやつ。
逆説的なことだけど、気に入らないことがあるのは、決して悪くないということなんですねえ。
いやはや、言葉の重みはまさに千金に値しますね。
十二支別の『運勢』というものだけど、ふつうの占いとは違っている。一寸、ことわざとか故事成語に近いもので、すごく示唆的なのであります。
例えば、
『一生学んでも尽きない道を発見して、努める人に凶運はない』
とか。
『人に応酬するときは、1人いるときのごとくして順調』
とか。いちいち腑に落ちることが多くて、毎朝が新鮮な気持ちなのであります。
一番感心したのは、
『気にくわないことがあるからこそ、心の大きさの大事を知る』
というやつ。
逆説的なことだけど、気に入らないことがあるのは、決して悪くないということなんですねえ。
いやはや、言葉の重みはまさに千金に値しますね。
さて、前回の続きともなるエントリーであります。
歌謡曲というもの、聴いているときには確かに「いいなー」と思っているわけです。
しかし、聴いているときの精神状況というと、一寸複雑なものがあります。
「いいなー」という感じは、あくまでも等身大の自分か、少し下の自分のような気がする。
あくまでも気分のお話なんですが、どうもこの、前向きな気持ちにはなかなかならないんです。
あるいは、後ろ向きの気持ちのときに、好んで歌謡曲を聴いているとも言えるかも。
演歌なぞ、その典型であります。
これがクラッシックを聴いていると、まったく逆の気分になる。たとえ陰気なピアノソナタであっても、気分はあくまでもフラット。もしくは上昇傾向にあります。
(音楽的なコーフンはちゃんとありますが)
気分をフラットに保ちたいときに聴くと、いつでもその効果を発揮してくれるわけです。
これは何故か知らん? まことに不思議なことではあります。
他の音楽はどうかと思えば...。
ジャズは、歌謡曲とクラッシックの両方を有している。落ち込みもすれば、上昇もします。
民謡は、若干の懐かしさもあるけど、ほとんど無関心。すなわちフラット。
ワールドミュージックは、その土地の想い出がないと、ピンとこないです。
聴く(選ぶ)音楽によって、どのように気分が変わるのか、まったく不思議で興味深い問題であります。
育った環境とかでも変わってくるのかな?

素敵だ
この画像、三年前にも使っておりました。うひひ。
歌謡曲というもの、子供の頃はよく聴いたものです。
ベストテンという番組があって、それはほとんど毎週観ていたと思う。
「昨日のベストテン、観た?」
「松田聖子ぶりっこだよな」
「渡辺徹の“約束”は、かっちょいいよなー」
中学生の頃の会話は、こんな感じ。
その後、洋楽を知るようになってから、歌謡曲は聴かなくなるのであります。
歌謡曲=ダサい
という思考が芽生えるのであります。
そうして、またまた時は流れて...。
40歳を過ぎてから、歌謡曲が好きになった。あろうことか、演歌も悪くないと思うようになったんであります。
あんなに忌み嫌っていたはずの演歌まで。
とはいえ、聴いているのはみんな昔の曲。
『わな』なんて聴くと、小学校の卒業式あたりを想い出して、すごく面白いんです。
つまりは、想い出を聴いているようなものですね。
歌は世につれ、世は歌につれ。
「昔の曲は良かったなあ」
なーんて言いたくなるけど...。
そういうセンチメンタルな感傷も、何十年も昔から、誰でも口にしているのでしょうね。
うひひ。