
眼をこすります。
どうしても、小さい字が見えないのです。
顔を洗います。ついでに眼のやにも落とします。
それでも見えないのです。
やれやれと思いながら、メガネを拭きます。
あれ、まだ見えるじゃない。
眼鏡が曇っていたんだと気づきます。
何度もワイパーを回します。よく見えないのです。
いやいや違うと、外人社長が言います。
ウィンドウの内側が汚れているんだと笑っています。
先輩達が、白内障の手術をします。
一時的に見えるようになったことよりも、
皆さん、保険金が下りたことを喜んでいました。
毎年、人間ドックのあとポリープをとる先輩は、
その都度保険金が下りるのを楽しみにしています。
医者に、「お前は、ポリープを飼っているんじゃないか」と言われたそうです。
円地文子さんは、「眼鏡の悲しみ」で、実際はよく見えないのが良いと言われていました。
眼が悪くなり、細かく皺やあばたが見えないのが良いと言われていました。
今日の主題は、「曇りガラス(艶消しガラス)」です。
「金剛砂などで面をすり、または弗化水素酸で腐食させて光沢を消した不透明なガラス」と
広辞苑に出ていました。ガラスが腐食するとは驚きでした。
眼だけではなく、心の曇りが心配になります。
ほおばっても、どこかの痛い歯にかかり、物が美味しくありません。
味の決め手は塩加減です。塩梅とも言います。
私達の身体は、常に退化していきます。上手につき合わなくてはなりません。
心の曇りはどうでしょう。こちらは、ますます磨かれていくような気がします。
困ったものです。
嘘も嫌なことも御見通しです。
息子に騙されてやるのも、朝飯前になります。
自ら、曇るように見せかけるガラス(こころ)です。
ちょっと哀しいことなのです。
見えても見えないふりをする。
これが大事なことなんだと、自らに言い聞かせる年齢になりました。
志村けんのはまり役のばあさんの演技がそれです。
聞こえていても、聞こえぬふりがパロディーなのです。
実際に聞こえないこともあるぎりぎりの演技なのです。
知らんぷり 出来た爺婆 思いやり
2015年8月6日