故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

人智を越える

2016-10-27 01:21:38 | プロジェクトエンジニアー

職人がよく言う言葉に、「長くやっていても納得がいくものをいまだ作れない」とある。
死ぬまでやっても作れないことになります。
それほど、情熱を込めているということでしょう。

飽きないものづくりがあるように思いました。
プロフェッショナルという番組で
デザイナー皆川明さんの「人生に寄り添う一着をー」を視ました。

地道にやることが良いともとれました。
自由であるが故に責任をとらなければならない。
懐かしい中にも新しいものがある。

皆川さんのものづくりは、そんな風に私には残りました。

今日のテーマは、「人智を越えて」です。
人智とは、人間の知恵。(広辞苑より)
爆発のようなものではなく、静かな自分が好きなものを追求するスタイルがある。
いつも思っていなくては、すらすらと一見爆発のような表現は出来ないとも言われていました。
「人智を越える」ということは、自由な中での責任の取り方ではないだろうか。
それ以上は考えられない。今の自分のすべてというような。
考えているうちは、作為が出て思う方に進まない。
顧客が喜ぶものではなく、自分が楽しいと思うものづくり。
迷いなく、自分そのものを表現することになります。

あきらめのスイッチを切る。
どこまでもあきらめないで自分の好みを追求する。
だから、いつまでも納得いくものができない。
ここまでは、皆川さんのコメントの反芻です。

毎日、お母さんが料理を作ります。
歳を重ねてもお袋の味が忘れられない。
どんなにすばらしい料理を食べたあとでも、お袋の味が懐かしい。
いたしかた無いことです。
お母さんは、毎日子供に美味しいものを食べさせてやりたいと
自分の舌を信じて料理をしています。
もちろん、隣のお母さんが作る料理も食べて勉強します。

私は、工場の改造をすることがありました。
改造後は、働いている人に「昔からこうだったよな」と思ってもらえるような
工場づくりを目指しました。周りに調和した違和感のない改造です。
今でもそうです。草刈りをした後も、「あれ昔はどうだっけ」と
思ってもらえれば本望です。草刈りをしたくてもなかなかできません。
他にやることがいっぱいあるというのは、人に言うことです。
本当は、身体がきしんでそれ以上はできないのです。

ここら辺のお母さんは、朝早くから夕方まで自分の力が及ぶ限りの野菜作りをされています。
手を抜かれませんが、休みながらの仕事です。毎日されます。 
地道といえばそうです。美味しい野菜を作りたい、それを食べさせたいし食べたい。
よって、畑は常に整然としています。
ただ夢中になって作り過ぎてしまうし、できてしまう。人にあげて喜んでもらいます。

「人智を越えて」とは、常に思っていることを一気に表現したとき、
爆発のように見えたり突然変異に見えたりするのでしょう。
実にシンプルで、自由で、面白いを追求した結果です。

今度ある交流会で中学生に、「お利口さんになるより、変人になれ」と
言おうかと考えていました。でも止めました。
それは、中学生が考えることであり、選択することです。

漬物を 作って食べて また習う

2016年10月27日
コメント
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