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いまいちです。
作為的なこころが見え隠れしています。
素直な気持ちが表現できませんでした。
私は、この娘ののびやかな足が好きでした。
ずんぐりむっくりになってしまいました。
またの挑戦です。
今日のテーマは「作為」です。
邪心でいこうと思いましたが、少し違います。
よって、作為としました。
作為とは、
ことさらに手を加えること。こしらえること。
(法律)積極的な行為・動作または挙動。金銭を渡す、人を殺すなどがその例。
(広辞苑より)
迷いがあります。自分の正直な描き方ではない。
何か受けを狙っているような絵の描き方になってしまいました。
ひたすら素直で正直になること。自分のこころのおもむくまま。
これがなかなかできません。
私は、なにかの団体に属して生きてきました。
自分の正直な気持ちより、その団体での保身にこだわってきたように思います。
給料が安いと転職をしました。こんな仕事じゃ満足できないと転職をしました。
要は、欲張りでした。「作為」を捨てきれなかった。
だから、どこに行っても苦労し、満足できませんでした。
もう良いはずです。
親の役目も終わったし、会社のために働かなくてもよくなりました。
それでも、保身の癖が抜けません。染みついているんです。
作為的なこころとは、この絵でいうと足を描かないで、
全体的な美に関心が移ってしまったことです。
それが良くない。バランスが崩れてしまいました。
覚悟が足りないとも言えます。
自由な中での責任が果たせていない。
自分が思うことを全うできていない。
先は長くない。もったいないですよね。
やっと気づいてきたのに、後戻りなんてしたくありません。
ひたすら正直に正直に生きたい。
鐘を突く 寒い日は嫌 人が待つ
2016年10月28日
2015年3月25日投稿記事「けち」も参照してください。
けちであるが故に、「作為」にこだわるのではないでしょうか。