故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

作為

2016-10-28 06:27:18 | よもやま話

いまいちです。
作為的なこころが見え隠れしています。
素直な気持ちが表現できませんでした。
私は、この娘ののびやかな足が好きでした。
ずんぐりむっくりになってしまいました。
またの挑戦です。


今日のテーマは「作為」です。
邪心でいこうと思いましたが、少し違います。
よって、作為としました。
作為とは、
ことさらに手を加えること。こしらえること。
(法律)積極的な行為・動作または挙動。金銭を渡す、人を殺すなどがその例。
(広辞苑より)
迷いがあります。自分の正直な描き方ではない。
何か受けを狙っているような絵の描き方になってしまいました。
ひたすら素直で正直になること。自分のこころのおもむくまま。
これがなかなかできません。

私は、なにかの団体に属して生きてきました。
自分の正直な気持ちより、その団体での保身にこだわってきたように思います。
給料が安いと転職をしました。こんな仕事じゃ満足できないと転職をしました。
要は、欲張りでした。「作為」を捨てきれなかった。
だから、どこに行っても苦労し、満足できませんでした。

もう良いはずです。
親の役目も終わったし、会社のために働かなくてもよくなりました。
それでも、保身の癖が抜けません。染みついているんです。

作為的なこころとは、この絵でいうと足を描かないで、
全体的な美に関心が移ってしまったことです。
それが良くない。バランスが崩れてしまいました。
覚悟が足りないとも言えます。
自由な中での責任が果たせていない。
自分が思うことを全うできていない。

先は長くない。もったいないですよね。
やっと気づいてきたのに、後戻りなんてしたくありません。
ひたすら正直に正直に生きたい。

鐘を突く 寒い日は嫌 人が待つ

2016年10月28日

2015年3月25日投稿記事「けち」も参照してください。
けちであるが故に、「作為」にこだわるのではないでしょうか。
コメント
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