故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

田舎自慢

2016-10-24 04:21:54 | よもやま話

出来映えはいまいちです。
怪しげな雰囲気を出せませんでした。
モデルはきれいな人なんだけど。
腕がいまいちでした。ごめんなさい。


今日のテーマは、「田舎自慢」です。

私の田舎は、広島県の一つの島です。
海上自衛隊学校のカッターが、若者の掛け声と共に抜けていきました。
その航路と交錯するように向かいの江田島市に小さな定期船が向かいます。
二つの航跡が交錯する波間に木の葉のような定期船が波をかぶります。
カッターの作る波に洗われ、海面すれすれの定期船の窓には塩がこびりついていました。

遠く望む呉の山より高く鳶が回っていました。
ひばりは、太陽めがけてどこまでも昇っていきました。
江田島湾に静けさが戻り、鏡のようでした。

魚売りの声が響きます。
天秤棒をかついだやじろべえが、よたよたと坂を見え隠れしていました。
「今朝採れた魚はいらんかのう」とのんびりした声が聞こえてきました。
坂道を小さな塊が天秤棒を追い越して上がってきました。
昼飯を食べに家に帰る子どもでした。

田舎には何にもありませんでした。
あるのは何十年も変わらぬ暮らしでした。

東北のこの地に来て、半年が過ぎました。
ここにも何にもありませんでした。
あるのは森とたんぼの繰り返す風景ばかりでした。
車で走っているとよく迷いました。どこも同じような風景でした。
看板も表札も地名表示もありませんでした。
道を聞こうにも道を人が歩いていませんでした。

「つ」が「づ」に聞こえました。
あとからわかりました。
言葉の初めの「つ」はそのまま言えるが、言葉の2番目の「つ」は「づ」になりました。
話し言葉の最後に付く「ぺ」と「ぱい」の違い。
「ぺ」は先輩が使い、「ぱい」は後輩が使います。
「ぱい」は「そうでしょう」と後輩が先輩に同意を求めているのでした。

私の田舎もこの地も何にもありません。
ただ、昔からの暮らしがあるばかりです。

四季折々の花をながめて季節を感じ、旬のものを食べて暮らしています。
どちらがどうと言えません。海と里の違いです。
何にもないのが良い。
迷ってばかりいた道の違いが判るようになりました。

どこでも余るほど作ります。
いっぱい取れた魚は近所に配られました。
筍を食べるかい。
「はい」と答えた1時間後に「かごいっぱいの筍」が玄関先に置いてありました。

ここでは呼び鈴を押すのは、奥の間から呼び出すため。
玄関の戸を勝手に開けて入ります。話をするのは家の中。
都会では、「はいどちら様」と扉が開くまで外で行儀よく待っていました。
この違いです。
田舎では、外と内の境があいまいです。
玄関も縁側もどちらでもない。
「上がったらよかっぱい」の声にいつしか玄関の間に座っています。

「おぶう(お茶)でも」と誘われたら、「帰れ」だなと察する都とは違います。
「そのまんま」が田舎です。
「それでもいろいろあんだよ」と内緒話が始まりました。
「ほうほう」と聞くも半分も理解できません。耳が遠いのではありません。

どこまでも同じ風景が田舎です。
そのまんまです。
田舎自慢でした。

ばあちゃんが おめかし入る コンビニに

2016年10月24日
コメント
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