故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

なくしたものを数える

2017-02-06 02:50:32 | よもやま話

タイトルは、「まだまだこれから」です。
自信があるようなないような。
しっかりした顔立ちです。
そう、まだまだこれからです。


今日のタイトルは、「なくしたものを数える」です。
なくしたものとは、あれこれあるような気がします。
あの時こうしていれば、今は違ったことになっていたかもしれない。

しなかったというより、できなかった。
金がなかったというより、知恵が足りなかった。
努力しなかったというより、どうしたら良いか分からなかった。

あれがなくすということだったのか。
あの時失くしたけど、いずれは失くしたように思う。
抱えている荷物が重すぎた。
抱えるだけの覚悟もなかった。
ただただ、足りないと思っていた。
今、思うと足りなくはなかった。
十分備えていた。
でも自信がなかった。

失くしたものというより、掴もうとしないだけだったような気がする。
自信がないから。常に自分にNG(No good)を出していた。
諦めるように忘れて、次のことに夢中になり、それも続かない。

続かなくても良かった。
無駄なようでも続けたから、見えるようになった。
見えるようになってから、失くすことが怖くなくなった。

得ることがあれば、必然的に失くすものがある。
失くしても良いと思うから、得ることができる。

「失くしたものを数える」
失くして、ポキンポキンと折れたような失意(リセット)の連続かと思いきや、
今は、すべてつながっていることだと気づいている。
失くしたから、得られるような。
得られることが嬉しい。ありがたい。

今は辛いけど、我慢して続けてきたから得た時の喜びがある。
得ていると実感がある。
失くしてばかりの頃は、得たことに気づかなかった。
いや、あることに気づかなかった。
生かされていることに気づけば、もっと良かった。

失くしたものを数えています。
「失くす」と考えること自体、傲慢のように思う。

戦争で故郷を破壊された時、愛する妻を亡くした時、
そんな悠長なことを言ってはいられない。
それでも受け止めざるを得ない。
現実からは逃げられない。生きる努力をしなければならない。

生きている限り、エネルギーを消費する。
その消費が、失くすことでもある。
だから補充する。その繰り返しである。
生きること自体、余力なんてない。
精一杯となる。

腹が空いては、戦はできぬ。

胃袋を 掴んでみても みえぬもの

2017年2月6日
コメント
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