タイトルは、「まだまだこれから」です。
自信があるようなないような。
しっかりした顔立ちです。
そう、まだまだこれからです。
今日のタイトルは、「なくしたものを数える」です。
なくしたものとは、あれこれあるような気がします。
あの時こうしていれば、今は違ったことになっていたかもしれない。
しなかったというより、できなかった。
金がなかったというより、知恵が足りなかった。
努力しなかったというより、どうしたら良いか分からなかった。
あれがなくすということだったのか。
あの時失くしたけど、いずれは失くしたように思う。
抱えている荷物が重すぎた。
抱えるだけの覚悟もなかった。
ただただ、足りないと思っていた。
今、思うと足りなくはなかった。
十分備えていた。
でも自信がなかった。
失くしたものというより、掴もうとしないだけだったような気がする。
自信がないから。常に自分にNG(No good)を出していた。
諦めるように忘れて、次のことに夢中になり、それも続かない。
続かなくても良かった。
無駄なようでも続けたから、見えるようになった。
見えるようになってから、失くすことが怖くなくなった。
得ることがあれば、必然的に失くすものがある。
失くしても良いと思うから、得ることができる。
「失くしたものを数える」
失くして、ポキンポキンと折れたような失意(リセット)の連続かと思いきや、
今は、すべてつながっていることだと気づいている。
失くしたから、得られるような。
得られることが嬉しい。ありがたい。
今は辛いけど、我慢して続けてきたから得た時の喜びがある。
得ていると実感がある。
失くしてばかりの頃は、得たことに気づかなかった。
いや、あることに気づかなかった。
生かされていることに気づけば、もっと良かった。
失くしたものを数えています。
「失くす」と考えること自体、傲慢のように思う。
戦争で故郷を破壊された時、愛する妻を亡くした時、
そんな悠長なことを言ってはいられない。
それでも受け止めざるを得ない。
現実からは逃げられない。生きる努力をしなければならない。
生きている限り、エネルギーを消費する。
その消費が、失くすことでもある。
だから補充する。その繰り返しである。
生きること自体、余力なんてない。
精一杯となる。
腹が空いては、戦はできぬ。
胃袋を 掴んでみても みえぬもの
2017年2月6日