「色つけすぎた」というタイトルの絵です。
確かに盛大に朱色を塗っています。
そんなに言われても、自分にはそう見えたんだからと開き直る始末です。
タイトルを決めようと、毎朝の格闘が始まりました。
病みつき、鬱陶しい、懸念とネガティブな言葉ばかりが浮かびます。
結果、「懸念」としました。
懸念とは、(仏)執念(しゅうねん)。執着(しゅうじゃく)
気にかかって不安に思うこと。心配。(広辞苑より)
今の気持ちは、執着に近いようです。
毎日続けているブログをなんとか継続したい。
しかし、レベル(なんとなく)は下げないようにしたい。
ここまでしなくてもと人は言います。
自分でも思います。
囚われるような気持ちは、確かにあさましいし見た目によくありません。
今までの経験から、
酒におぼれる。
ギャンブルにはまる。
女に惚れる。
といとまがない執着心です。
これからは、「生」にも行きつくことでしょう。
こだわる。
さわる。さしさわる。さまたげとなる。
些細なことにとらわれる。拘泥する。
些細な点にまで気を配る。思い入れをする。
故障を言い立てる。なんくせをつける。(広辞苑より)
なんとか、この気持ちから救われたいと書き始めています。
カフェを開店するにあたり、心配事が次から次に出てきました。
一番は、資金繰りです。
借りた蔵の不調(正常ではない箇所が多い)です。
一からの挑戦です。
孤独です。
私には強い味方がいます。妻です。
しっかりとコントロールしてくれます。
多くの助言をくれます。
いや、一緒に苦労してくれていると言ってもよいでしょう。
地域のためとは言え、自分の仕事です。
私のやり方は、いつも「大ぼら吹き」から始まります。
こうだったら良いよね。
そうだそうだ。そして「できるんかい」と言われます。
苦悩の始まりです。こだわりを続けます。
何年かして、「昔からこうだった」と人が気付かない心地よさを創りあげます。
同じように悩み、同じように経験した方と少し話します。
すぐに友人となります。分かり合えるからです。
とはいうものの、友人を巻き込みたくない。
友人に喜びを分かち与えたい。
どうしようもなかった「懸念」が和らいでいくから不思議です。
独りじゃなかった。と気づきます。
奥山の 水をすくいて また歩く
2017年2月27日