故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

親友

2015-09-20 05:37:47 | よもやま話
  「ぴょんぴょん」の使いまわしです。

   
言葉を選んで、書くことに挑戦します。

今日は、「親友」です。

親友とは、親のような友と書きます。
親について考えてみると、かけがえのない人で、信頼できる人のことです。
いつも、私の味方になってくれる人のことでしょうか。

心友は幾人もいないのです。

喜びも哀しみも分け合える人のことでしょうか。
時には厳しく叱責をうけることもあります。

仮にパートナーを選ぶとしたら、親友のような女性が良いと考えます。
包み隠さずなんでも話せる人のことです。
まずいことも話せる人です。弱い部分もさらけ出せる人です。

私の親友は、決まって少し馬鹿な人です。
何かが高じて、少し世間から外れているように見える人が多いのです。
私も馬鹿だから、きっと馬が合うのでしょう。

こうしたら儲かるとお互いに知恵を絞って話したことがありました。
酒のつまみには最高の話題でした。
過去のことはすべて糧でした。お互いに未来しか見ていませんでした。
その話は、延々と続きました。2升の空瓶をあとに店を出たものです。

私は、親友のために何ができるでしょう。
いつも自問自答しています。
全財産を投げ打てるでしょうか。
身体が疲れ切るまで尽くせるでしょうか。
そんな関係ではないようです。

親友と言えど、他人です。
節度を持って付き合わなければなりません。

親友とは、竹馬の友のことでしょうか。
長い付き合いの点からは、類似しているように思います。

親友はいつ会っても、何を話しても、
「お前相変わらず馬鹿だね」と言える人のことです。
相手の話を聞き、こだわりを理解しなければその言葉は出てきません。
相手の気持ちが分かるから、どうしようもないやりきれなさがわかるから。

今日も心友たちと飲み会です。
なんでもないいつもの馬鹿話です。
しかし飽きないのです。不思議です。

なぜ、言葉を選び書くことに挑戦するのか二週間後に、種明かしをします。

商社マン 裸足の人に 靴を売れ

2015年9月20日


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生き馬の目を抜く

2015-09-19 05:52:53 | 思い出話
    2012年の上海です。


    
ちんちんマッサーいかっすか。

上海の目抜き通りを歩いていて、若い女から声をかけられました。
日本人として見えたのでしょう。

なんて日本語を教えているんだと、顔の見えない日本人を恨んだものでした。

冒頭の絵は、上海を流れる大河を航行する大小の船です。
背景は、スモッグの中にそびえたつ摩天楼です。
どの船も、使い古した感じでした。

しかし、エネルギッシュでした。
人も、車も、船も溢れ落ちんばかりでした。
観光目的の人々は、のんびり散策しているのでした。
かつての外人街が河畔に軒を連ねていました。
風景ものんびりしていました。

騙され、神経をすり減らし生きのびる中国の人たちを見ました。
私達だけではないのです。中国の人たちも同じなのです。
休まることがないのです。

安心・安全?寝惚けたこと言ってんじゃないよ。
とにかく生き抜くんだ。騙されるほうが馬鹿なんだ。
とでも言ってるようでした。

そんな中国、暮らしている中国人の方さえ嫌いです。
でも仕方がないんです。追いつき追い越せの真っ最中でした。
ほころびは至る所に見えました。ぎすぎすしているようでした。
本来の中国の良さが、スモッグにかすんで見えました。

枠にはめるべきではないと感じました。
体制が違います。
日本だ、中国だと思うからどうしようもない閉塞感に陥るのだと感じました。
もっと早くから、アジアとか世界とか地球とか考えるべきでした。

横浜の中華街のほうが美味しいよ。
と聞くことがあります。
日本人好みに味を調えているからだけではありません。
騙されるんじゃないかと思って食べなくても良いのです。
何か変なものが混じっているんじゃないかと心配しなくても良いのです。

中国の方が作られた中国料理が美味しいのです。
そんな旅がしたいと思いました。
事実、田舎の中国料理店で食べた料理は、
とてもボリュームがあって、安くて旨かったのです。
残念乍ら、上海の料理店の1/10の値段で、10倍美味しかったのです。
のんびりとした接客も、リラックスできて良かったのです。

また行きたい国のひとつです。

青の山 親から孫と 登り継ぐ


2015年9月19日

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息子

2015-09-18 06:23:11 | よもやま話
息子を描いたのですが。


ありゃりゃと言う感じです。
息子が、少し太り気味です。
私の若い頃によく似てるようでもあるし、違うようでもあります。
親子とは不思議なものです。

初めての感覚です。

他の親子を見ることがあります。
どちらかの親に似ているものです。
他人の方が、気付くかもしれません。

似ていると思うと、なんとなく書きにくいものです。

息子だけでなく、どの子も今のところ優秀ではありません。
2年前に家を出てからは、子供と言えど少し距離があるようです。
それは良かったことと思います。
母に倣って、「さん」付けで呼んでいます。

息子は、しっかりしている妹が姉のようでした。
この頃、その関係が少し変わってきているようでした。
息子は、息子なりに大人になってきました。
理屈っぽくて、ひがみがちであった性格が少し寛容になっていました。
彼なりに苦労したのでしょう。良いことです。
かみさんが、初めての男の子でとまどいながら育てたのです。
甘やかしたと言っても良いかもしれません。

世間は甘くないのです。
母はもういないのです。
父は、遠くに行ってしまったのです。
頼るのは、自分と考えるようになったのでしょうか。

親離れ、子離れは進んでいます。
私が家を出たのは良いきっかけだったかもしれません。
新しい妻は、まだ子供達に受け容れられません。
この先もそんなことが続きます。

家族と離れて暮らす人は多いことでしょう。
家族と一緒に暮らしたくてもできない人達も多いことでしょう。

故郷は、遠きにありて想うものとは少し違う感覚です。
いつでも会えるのです。そして笑いあえるのです。
一緒にいなくても良いのです。
仮に私が家に居ても、彼らはいずれ巣立つのですから。

家は息子に譲ることにしました。
私は、終の住処探しです。

空き家情報を見ました。
田舎に行くほど、不便な場所になるほど好条件の物件があるようです。
出来ればそんなところに住みたいものです。
どうなりますことやら。

親巣立つ 砂丘の向こう 月明かり

2015年9月18日

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楽しいこともある

2015-09-17 06:41:33 | よもやま話
  ことさらに無邪気な弟です。

   
この続きは、みるのをやめようと、
夢を中断しました。

自分の醜い部分を見せつけられたような夢でした。
次から次に顕われる夢は、どれも話せない内容でした。

冒頭の絵は、昨日のお姉ちゃんに続き、
弟の笑顔です。
こちらは、無邪気に「笑って」に応えてくれました。

よく話し、よく笑うのです。

二人の笑顔が、
亡きかみさんの供養になったと思います。

プロジェクトは、工事が終了しましたが、
残工事と完成図書で忙しいのです。
それにつぎのプロジェクトの準備も始まりました。
やれるところまでやっておこうと、懸命です。
自分のことは、その後です。

懐かしい人から電話がありました。
「僕を覚えているかね」と電話の向こうで語っています。
忘れるわけがありません。

「あんたは、馬鹿か鈍いのか」と言われた本人です。
仕事を取りたい一心に、
この方の次から次に繰り出す難しい課題に挑戦し続けたのです。
この方は、あんたには仕事を出す気はないのだよ。
と言い続けていたのです。
最後の言葉だったのです。
そして、長い付き合いが始まる最初の言葉だったのです。
この方は、認めてくれたのです。

新しい妻と、来月沖縄を訪ねます。

相変わらず馬鹿だねと言われるでしょうか。

今日も雨です。
長雨で、せっかく実った稲が発芽しなければよいのですが。
稲は、かたい籾殻で保護されています。
晴れたら、あちこちで刈り取りが始まるでしょう。

孫2人。
すくすく育って欲しいのです。

空高く 綿毛がふたつ 風に乗り

2015年9月17日

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平凡こそ非凡

2015-09-16 05:26:40 | プロジェクトエンジニアー
   
いつまで、こんな笑顔を見せてくるのでしょう。



妻が、美味しそうにぜんざいをすすっています。
ずずっーと飲み込んでいます。好きなのですね。

冒頭の絵は、孫娘6歳の笑顔です。
やはり、無邪気とはいかなくなりました。
少し照れが入ってきました。
それでもありがたい。

平凡な毎日のようです。
昨日と今日とでは何にも変わらないようです。
つまらないと思われますか。
そうですね。そうかもしれません。

子どもの成長を見た時に、その考えや感慨は吹き飛んでしまいます。
やれやれと思うのです。いつの間に。

不満を持っていると、楽しいことも嬉しいことも見失ってしまいます。
日々、刻々と変化しているのです。
なんでもいきなりできるようにはならないのです。
こうして、ああしてと繰り返すうちにできるようになります。
「こうして」がなければ、「ああして」もないのです。
平凡をなめてはいけないのです。

非凡な才能もすぐには産まれないのです。
血のにじむような努力からそうなるのか、
好きなことが高じてなるのか。

毎日、体調も変わるし、気分も塞いだり高揚したり様々です。
今日の感触は、やはり今日しか感じないのです。

毎日、日々を切り取っています。

確かに昨晩のごはんのメニューは忘れてしまいました。
そのうち、食べたのかも忘れるような気がします。
その変化が楽しめるようになりたいものです。

あれっ、できるようになったは若い時に何度も感じました。
悔しいけれど、今は頭の中でしかできるようにはならないのです。
しかたがありません。腰が今日は少し伸びるかな。
それでも良いのです。

あの野郎に頭に来なくなったでも良いのです。
どうせ怒りも喜びも長続きしないのです。

なになにちゃん、また笑顔を見せてね。

酔っぱらい 癒しどころで 無口なり

2015年9月16日

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