地球にあしあと

地球の色々なところに足跡をつけてきました。

カミーノにあしあと 29

2010年11月11日 | Weblog
【29日目】7/24(土) Trabadelo → Hospital de la Condesa
愛する息子夫婦と孫に会えて興奮冷めやらぬのか、スィナが結構早く起きたので、いつもより早めの7:00出発。

今日はもう一度、クリスたちとカミーノ上で軽く会う予定。
従ってスィナは昨日と引き続き、ソワソワ落ち着かない様子で人の話を聞かない。

Trabadeloを出発して最初に出て来たLa Portela de Valcarceという村にて朝食。
バルは国道沿いにあり、駐車スペースも十分にある場所。
もしクリスたちがやって来ても大丈夫なロケーションだ。

スィナは相変わらず舞い上がった様子でウロウロし、「クリスたちが車で通りがかった時にすぐに分かって、車を停める場所があるところがいいわね」って、だからここがまさにその場所ですってば


電話で確認したところ、クリスたちは起きるのが遅かったようで、今私たちがいるバルにやってくるには間に合わない。
従って、私たちはここで朝食を済ませると先へ進み、昨日と同じくカミーノ上のどこかで合流しようということになる。
車だとすぐに追いついてこれるから大丈夫。


ところで私は昨日レストランのオーナーからもらったワインを背負っている。
ハーフサイズとは言え、ガラスのボトルでかなり重い。
イライラしながらも我慢して背負っていたが、だんだん両腕がしびれるまでになってきたので、出発から6.6km地点のVega de Valcarceでついにギブアップした。

スィナに「ねえ、このワイン本当に必要?重すぎてもう耐えられないんだけど」と言うと、「そうね、ワインは重すぎるわね。アナマリアのお父さんへのプレゼントとして持って帰ってもらいましょう」ということになり、そしてアナマリアと合流するまでの間、スィナが代わりにワインを背負ってくれた。

有り難い…。
本来なら若いほうの私が持つべきだろうけど、スィナの方がどう考えてもパワーがある。
本当に助かった。


クリスたちとは、Vega de Valcarceからさらに2.2km進んだ先にある、Ruitelánという村で落ち合うことにした。

Ruitelánの入口付近にあるバルで到着を待つ。
その間、ワインボトルにアナマリアのお父さんへのメッセージを書き込む。
さらにスィナは、孫のノアを「小さな巡礼者」に仕立てるために、子供用のリュックとサングラスを用意していた。
ノアに巡礼者の格好をさせ、歩かせるのを楽しみに、ワクワクしている。


ずい分待って、ようやくクリスらが車で到着。
スィナは一緒にお茶を飲んで別れを惜しむ。

最初は寝ていたノアも起きだして、みんなに愛嬌をふりまく。
かわい~





ところで昨日からしつこくスィナに言われて困っていることがある。
「ねえねえ、ユウコ、例の歌をノアに歌ってあげてくれない?」



こういうことを言ってはいけないが、、、














ウザイ









例の歌とはもちろん、「モシモシカメヨ」である。

いやだと言っても、「ノアがあの歌を聞いてどんな反応するか見たいのよ。お願い!」と、しつこい。

ウザイ。
真剣にウザイ。


別に特別な反応は示さないと思うよ。
しかし、あんまりスィナがしつこいので、ノアを抱っこしつつ、ちらっと歌いかけてみた。



…。
案の定、たいした反応ではない。


話しかけられたり、歌ってもらったりすると、それなりに嬉しそうな顔をするが、別にそれが日本語だからって特別な反応は示さないのである。
そもそも幼児に言葉の違いなど、大きな意味をもたないのである。
特にノアの場合は、元々マルチ・カルチャーな環境に住んでいるのだから。



そろそろお別れの時間が来たので、スィナがワクワクしながらノアに帽子、リュック、サングラスを着せる。

ノア、嫌がる。

それでも写真を撮ろうと無理に歩かせると、ノア、号泣。

通り過ぎる巡礼者たちもその愛らしい姿に笑顔になるが、ノア本人にとっては地獄。
気の毒に…。


クリス、アナマリア、ノアにお別れを告げ、再び歩きだす。
今度スィナが家族に会うのは、巡礼を終えた8月中旬、アナマリアの実家に集まる予定だそうだ。
それまで孫とはしばしのお別れ。



ところで昨日、アナマリアにSantiago到着後の予定を聞かれ、「9日にパラドールに予約を入れてるけど、それ以外は全く予定が決まってないので、あまり早くつきすぎても時間を持て余す」と答えると、「それならスィナと一緒にうちの実家に来れば?うちのお父さんの作るパエリアは絶品よ!」と言ってくれた。

う~ん、パパのお手製パエリア。
なんとも魅力的なお誘いだ。

「パラドールの予約なんて、キャンセルすればいいじゃない。うちに来なさいよ」と、かなり熱心に誘ってくれた。
おお、スペイン北部の一般家庭にお邪魔できるチャンス!
(というか、パパのパエリアが食べられるチャンス!)

と、結構気持ちがそっちに傾いていたのだが、アナマリアから「ユウコをうちの実家に誘ってたのよ」と聞かされた時のスィナの反応がイマイチだったので、没。

これまで散々、「息子が結婚式を挙げた教会」「息子家族とのディナー」「息子家族とのお茶」と、家族のプライベートなことに私を参加させておきながら、嫁の実家行きには反対なのですね。
がっくり。




さて、気を取り直して先へと進む。
Ruitelánのアルベルゲでは、確か日本人のIさんという若い女性がこの夏オスピタレラとして働いているはず。
もしタイミングが合えばごあいさつしたいなと思っていたのだが、ちょうど通りがかったのがアルベルゲが閉まっている時間帯だったので会えず。
そのまま素通りする。

ちなみに私は今朝から何回も、「Ruitelánに日本人の女の子がいるはずだから、会えれば会いたい」と言ってたし、村に着いてからも「ああ、アルベルゲ閉まってるから会えないわね」とか言ってたのに、舞い上がっていたスィナは全く私の話など聞いておらず、右から左へ素通りだったらしく、Ruitelánを通り過ぎてずい分経ってから「ええ?!あそこのアルベルゲに日本人の女の子いたの?アルベルゲが開くまで待って会えばよかったじゃない!」とのたまった。



Ruitelánから森の中を通る道にそれ、道はだんだんと傾斜を増していく。
本日は、カミーノの難所のひとつである、O’Cebreiroという峠を越えなければならない。
現在いる場所の標高は705m。
O’Cebreiroは1,300mである。

延々と上り坂が続き、暑くてしんどいが、景色はとても美しい。
ナッツやみかんで栄養補給しつつ、上る。

途中、La Fabaという集落にあった小さなTienda(商店)でコカコーラとポテトチップスを買い、店の前のベンチで食べる。
どんなにジャンクフードを食べようとも、巡礼中は全く太らない。
何よりも、消費したカロリーを取り戻そうと、体がジャンキーなものを欲するのである。


La Fabaからさらにちょっとだけ上ると、今度はLaguna de Castillaという村にバルが登場する。
当然、休憩。

さっきポテチとコーラを消費したにもかかわらず、改めてオレンジジュースとエンパナーダ(パン生地の中にツナなどの具材が入って焼かれている、おかずパン風のもの)をがっつり。



お腹も満たされ、O’Cebreiroの頂上目指して出発。
と、そこへ牛の群れ。




放牧から帰ってきたようである。
牧羊犬ならぬ牧牛犬?がしっかりと仕事をしている。

巡礼者にとっては珍しい光景なので、みんなで喜んでパチパチと写真を撮っているが、酪農家の人には何でもない日常なので、二コリともせず、牛を追いたてている。


さあ、あともう少し。
しんどいけど、景色が良いのがご褒美。





そしてようやく、石畳が風情あるO’Cebreiroの集落へ到着。
ここはケルト文化の名残がある場所らしく、建物も他の場所とは違う。

が、疲れていたので、伝説が残る銀の聖遺物があると言われているサンタ・マリア教会もさくっと見学のみ。
聖遺物を見たかどうかも分からない。

私はともかく、敬虔なカトリック信者であるはずのスィナが、そういった重要な場所や物に興味を示さないのはいかがなものか。


お土産物屋にすら興味を示さない私ら2人は、バルへ直行して昼間っからSidra Manzana(リンゴシードル=リンゴ発泡酒)をあおる。
だってもう、暑さと坂道で疲れきってるもん。

多くの巡礼者がそうするように、ここで宿泊してもいいんだけど、スィナが足にマメがいっぱいできているにも関わらず、まだ歩きたがるので先へ進むことにした。
こうやって私たちは、いつも有名な場所を素通りする。
O’Cebreiroにいたっては、写真すら撮っていない。


さて、O'Cebreiroを過ぎると比較的平坦な道が続く。
次のアルベルゲがある、Hospital de la Condesaという村に至る手前、小高い丘があるSan Roqueという場所に巡礼者の銅像があった。
私は疲れていて機嫌が悪かったので、無視して通り過ぎようとしたのだけど、スィナに「写真撮ってよ~」と呼び止められ、不機嫌に銅像の場所まで戻る。

不機嫌ながら、スィナに「この銅像と同じ格好で撮ろうよ」と誘われ、撮ったのがこの1枚。




意外とこの旅のナンバーワン・ショットと言っていいぐらいの出来映えだ。
私がポーズを取ってる時、すぐ横の道路を観光バスが通り過ぎて行き、バスの中の全員の視線が集中したのがちょいと恥ずかしかったが。


17:30頃、ようやくHospital de la Condesaに到着。
どうやらアルベルゲは1軒しかないようだ。
それほど大きなアルベルゲではないが、ガリシア州政府運営のこの施設は小奇麗で、運よくベッドもまだ空きがあった。

O'Cebreiroのような有名な場所では、早く到着しないとアルベルゲもすぐに埋まってしまうが、こういうマイナーな場所だと夕方に到着してもまだ大丈夫。
そうやって今までどうにかこうにか、ベッドだけは確保してきた。
これからSantiagoが近づくにつれ、人も増えるし、ベッドの確保が難しくなることが予想されるが、なんとかこの調子で野宿だけは避けたい。

このアルベルゲで、久しぶりに韓国人夫妻に会う。
相変わらず膝に不安を抱えているものの、お元気そうだ。


ここは村というより集落といった感じの小さな小さな場所。
散策しても、周りは農家ばかりで、これと言ったものは見つからない。
相変わらず放牧から帰ってくる牛の風景とか。






これだけ牧畜が多い地域を歩いて来ているので、当然カミーノは臭う。
家畜の糞のにおいが蔓延している場所が多く、そして大量のハエが飛んでいる。


教会は閉まっているし、ここにはバルが1軒しかないらしい。
ひとまずバルでコーヒーなど飲んで、暇をつぶす。

このバルの裏手のドアに、思いがけず四国お遍路ステッカーを発見。
四国巡礼路1周1,200kmと書いてある。
初めて知った。
もっと早くにこのステッカーを見ていれば、いや、出国前にちゃんとそれぐらい調べておけば、これまでのお遍路に関する数々の質問に答えられたのに。
「日本のアルベルゲは2段ベッド?」という質問をされるとまでは想定していなかったが。


バルは1軒しかないので、必然的にここでの夕食となる。
Menú del díaの第1皿はシーフードスープをチョイス。
出て来たものは、パスタが入ったシーフードヌードルスープだった。
もうこれだけでお腹いっぱいである。

2皿目に選んだ牛肉の煮込みはおいしかった。
安い店で牛肉を食べるなら、ステーキじゃなく煮込み料理が正解。


食事を終え、することもないのでアルベルゲへ戻る。
後からどんどん巡礼者が到着し、もうベッドは全て埋まっている。
人が多く、携帯電話で長電話するスペイン人がうるさく、そして臭い…。


しばらくベッドでアナマリアからもらったSATCの本を読む。
やはり、出だしからめちゃ面白い。
しかし、電気は暗いし、巡礼中はさほど本を読む気になれないので、第1章のみ読んで就寝。



そういえば今日、スィナがデンマーク人のポールにSMSを送ってみたら、今Ferreriosあたりを歩いているとのことだった。
Ferreriosと言えば、Santiagoまで100km地点のSarriaよりさらに先。
2日ないし3日分の差をつけられている。
恐るべし、ポール。
一時はマメと股ズレで凹んでいたのに、いつの間にか調子を取り戻してガンガン進んでいる。
ポールは30日には帰国するとのことなので、残念ながらもう会えない。












本日の歩行距離:約23km
本日の歩数:39,158歩