地球にあしあと

地球の色々なところに足跡をつけてきました。

カミーノにあしあと 30

2010年11月13日 | Weblog
【30日目】7/25(日) Hospital de la Condesa → Samos
朝7時台に出発。
今日は標高1,300mの地点をしばらく進み、その後一気に600mあたりまで下降する。
ちなみに昨日、O’Cebreiroに入る前に、州境を越えているので、今いる場所は巡礼最後の州、ガリシア州だ。


歩き始めて小1時間で、少し急こう配を上ったところにあるAlto do Poioという場所で朝食休憩。
バルが2軒あるが、1軒は巡礼者でいっぱい、もう1軒は巡礼者の姿が見られない。
どうしたことか。

繁盛している方は、上り坂を上りきってすぐのところにあるので集客しやすのは分かるが、もう1軒もちょっと道を渡ったところに見えているのに。

スィナと2人で「繁盛してない方」のバルを偵察に行った。
全く客がいない。
朝食は出しているのかと聞いてみたら、「出せるよ」とのことだったが、結局私たちも他の巡礼者たちでにぎわっている方のバルへと流れた。



ここのバルは人手が足りず、注文するのにも、注文した品を受け取るのにも、かなり待たないといけなかった。
例の韓国人夫妻や、アメリカ人のキム、オーストリア人のエリザベスなど、見知った顔がたくさんいる。

キムは割と元気そうにしていたが、今日はエリザベスが不調なようだ。
「もう私、巡礼を中断したいぐらいよ」とぼやく。
スィナが「せっかくここまで来て、Santiagoはもうすぐなんだから、がんばって続けるべきよ」と励ます。

前にも書いたが、カミーノでは精神的にグラグラしている人をたくさん見かける。
長い道のりを歩いていると、ふと「自分は一体こんなところで何をしているのか?」という疑問にぶつかるらしい。
周りの巡礼者友達に励まされて続ける人もいれば、途中で心が折れて(あるいは体がだめになり)棄権する人もいる。


テラスで話をしていると、何人か韓国人の若者が到着した。
そのうちの1人が話しかけて来た。
まだ19歳のカユンという名前の女の子である。
アジア人らしく、早速私の年齢を聞いてきた。
正直に答えると、めちゃめちゃ驚かれた…。
そうだよね、下手したら若くして産んだ娘ぐらいよね、カユン。

カユンが「一緒に歩いてもいい?」と言うので、「いいけど、あそこにいるオランダ人も一緒だよ」とスィナを見ると、相変わらずおしゃべりに興じている。
しばらくスィナのおしゃべりが終わるのを待ってみたが、一向に終わりそうにないのでカユンは諦めて「先に行っとくわ」と歩きだしてしまった。

気がつけば最初に到着した時にいた人たちは全員出発済み。
後から来る巡礼者、来る巡礼者、スィナが話を振っているので、取り残される一方。
悪いけど、「もういい加減出発しようよ。さっきの韓国人の子、一緒に歩きたがってたけど、あなたのおしゃべりが終わらないから待ち切れずに行っちゃったよ~」と、割り込んでようやく話を切り上げさせた。
ふぅ~…。


歩きはじめると、すぐにカユンには追いついたので、並んで歩く。
スィナは私を若い人と一緒に歩かせようと気を使い、エリザベスと一緒に私とカユンからは離れて歩いている。
別にそこまで気を使ってもらわなくてもいいんだけどさ。


カユンはポーランドの高校に1年通っていたらしく、その分休学していた韓国の高校にもう1年通わなければいけないとのこと。
大学ではドイツ語とデザインを勉強したいと思っていて、できればドイツに留学したいらしい。
ポーランド語は話せるのかと聞くと、学校では英語しか使ってないので話せないという。
インターナショナルスクールとかだったのかな。


カミーノを歩く動機は、「自分探し」。
韓国ではカミーノは有名なので、過去に歩いた友達から「カミーノのお陰で人生が変わった!」と聞かされていたけど、まだ自分にはそのような変化が訪れないとのこと。
まあでも、みんなに同じような形でカミーノ効果が訪れるとは限らないよ、とお母さんらしく、もとい、お姉さんらしくアドバイスしてみる。

カユンのリュックはかなりコンパクトだ。
聞くと、最初は余計なものを持ってきすぎていて重かったけど、一部は捨てたり、郵便局からSantiago宛てに送ったりしたとのこと。
さらには、シャンプー1本で髪から体から衣服まで洗い、長ズボンの裾を切り半ズボンにし、大きかったタオルは小さいサイズにカットしたという。
そ、そこまでと思うけど、その「1グラムでも軽くしたい」という、巡礼者共通の切実な気持ちは良く分かる。


5~6km先のBiduedoという村のバルで休憩。
私はコーラを注文。
カユンはミルクのみ注文し、そこにシリアルを入れて食べている。
なるほど、賢いかも。

カユンは1人で歩いているので、結構他の若者グループに声をかけてもらい、アルベルゲで一緒に自炊したりもしてきたそうだ。
いいなあ、私、そもそもスィナとペアになったことが間違いだったかもしれない。
おっちゃん、おばちゃんの知り合いは増えたけど…。


キムが通りがかったので一緒に休憩。
キム曰く、「いやよねえ、すっかり巡礼者みたいになっちゃって。バルで何か注文した時についてくる紙ナプキン、折りたたんでポケットにしまっちゃう癖がついて。どこかでトイレに行った時に紙がなくてもこれ使えるしね」とのこと。
わはは、めちゃ巡礼者だ。

私はBed Bugにやられた腕のかゆみが収まらず、休憩しながらバルのテラスにある柵にシュラフを天日干し。
バルの人に怒られやしないかと、ちょっとビクビクしながら。

そうそう、この機会にと、キムにコーラ薬膳説?について聞いてみた。
さっきカユンに「ヨーロッパ人が、コーラはお腹壊した時とかに効くって言うんだけど、そんな説知ってる?」と聞いたら、「そんなの聞いたことないわ」と失笑してた。

ならばアメリカ人ではどうだと思ったところ、キム曰く、「ああ、聞いたことはある」とのこと。
が、「コーラにはお腹の中の何かを固める作用があって、それが下痢に効果があるっていう説を聞いたことはあるけど、逆にコーラに含まれる糖分が下痢には良くないんじゃないかって言う説もあるわ」とのこと。
う~ん、謎に包まれたコーラ薬説。



ここからさらに6kmほど先の、Triacastelaという町を目指す。
アルベルゲやバルもたくさんあるし、ここに宿泊する巡礼者は多い。

Triacastelaに着くとカユンは公営アルベルゲに泊まると言って、アルベルゲに向かった。
後ろから追い付いてきたスィナとキムと私の3人で、とりあえず近くにあったバルで昼食を摂る。

他のテーブルでスペイン人たちがおいしそうなピンチョスを食べていたので、キムがそれを食べたいと言い、「パンの上にチーズが乗ってるピンチョス」と注文してみたが、出て来たものはパン数切れとチーズ数切れが別々にお皿に盛られた別のものだった。
指さし注文しようにも、さきほどそれを食べていたグループはすでに立ち去っていた。
う~ん、思い通りの物を注文できないもどかしさ。

私とスィナはオリーブや野菜のマリネ風のものを注文し、3人で分け合って食べる。
ドリンクは、いつもコーラばかりなので、今回は炭酸水にした。


キムもカユンと同じく、この町に宿泊するつもりだという。
私たちはもう少し先を目指すので、ここで別れる。

さっき歩いている時に、キムが「手持ちの本を読み終えてしまって、退屈してる」というので、「じゃあ私のSATCを貸してあげるよ」ということで話がついていた。
ネイティブのキムの方が断然読むのが早いし、私もしばらく本の重みから解放されたい。
スィナの手前、アナマリアからもらった本を捨てるわけにもいかず、困っていたところだ。
幸いキムもSATCは好きだというので、先に読んでもらうことにして、本を渡した。
また明日以降、カミーノで会った時に返してくれればいいから。



キムと別れて歩きだすとすぐに教会が出てきたので入ってみる。
すると、教会の世話人らしき、カミーノTシャツを着たおじさんが、日本語で書かれたカミーノ訓のようなものをくれた。
スィナにはオランダ語バージョンを。

この教会の壁には、様々な言語で祈りの言葉などが書かれており、各国語のパンフレットを取りそろえているようだ。

スィナがおじさんに「スペインの教会は、ほとんどの場合閉まっていて入れない」と苦情を言うと、「ちょっとこっちへ来て見てごらん」とキャンドル台のところへ連れて行かれた。
教会にあるキャンドルは、本物であれ、電気式のものであれ、点灯する時にはコインを入れる。
日本のお寺でもロウソクやお線香は有料なのと同じだ。

キャンドル台の後ろに回ってみると、そこにはぽっかりと大きな穴が開いていた。

おじさん曰く、このコインを盗まれる被害が後を絶たないそうだ。
犯人は巡礼者かもしれないし、地元の人かもしれないし、通りがかりの泥棒かもしれない。
確かに巡礼者を装って、カミーノ上で金品を狙っている人は存在する。
本来誰でも自由に出入りできるはずの教会も、そのような窃盗被害を恐れて、ミサの時以外は鍵をかけているのだという。
う~ん、なんとも残念な話だ。



教会のおじさんに別れを告げ、カミーノを進むと、Triacastelaの繁華街へと出た。
な~んだ、こんなにおしゃれなバルやレストランが立ち並ぶエリアがあったんだ。
早まって町の入口にあるバルに入って損したよ。

ふと見ると、例のパタゴニア在住のフランス人のおじさんが、テラスで女性と楽しそうに食事している。
その女性もかなり年配だったが、昔からの友達で、カミーノで合流したそうだ。
パタゴニアおじさんが別人のように明るくイキイキしているのが印象的だった。



さて、Triacastelaから先は、カミーノがまた二手に分かれる。
左手に進むと、スペイン最古の修道院があるSamosという町へと続く。
もう一方の道は、距離は短いけれど、アップダウンが激しいらしい。

スィナが仕入れた情報によると、Samosの修道院はグレゴリア聖歌で有名らしい。
今日は7月25日、聖ヤコブのお墓が発見された、特別な記念日である。
きっとSamosの修道院でも特別行事をやっているに違いない、という複数の巡礼者からの情報や予想で、Samosルートに進むことに決定。


歩きはじめると意外にきつかった…。
最初の数キロは、アスファルトの道が続く。
もう、暑くて暑くて。

途中からやっとアスファルトを逃れて山道に入るが、今度は起伏が結構あって、やっぱりしんどい。
地図で見ると、Triacastelaから7.5km先のRencheという村にバルがある。

とにかくバルで何か冷たいものが飲みたい
その一心で必死に歩く。


ようやくRencheらしき場所に出て、バルを発見
喜んで近づいてみると、、、、閉まってる。

しまった、今日は日曜日だ。
小さな村や集落では、日曜日にバルが閉まっているという憂き目にあうこともしばしば。

でもテラスにはコーラの飲み残しなどがあり、ついさっきまで営業してたかのような様子。
が、無情にもドアには鍵がかかっている。



この辺り、なにやらにぎやかな音楽が鳴り響いている。
ちょっと中東っぽい感じの音楽。
祭りでもやってるのか?

バルの隣の垣根越しにのぞいて見ると、大勢の人がBBQパーティーらしきものを開催中。
う~む、もしかしたら今日のバルは、このパーティー対応なのかもしれない。


パーティーを楽しんでる人たちに、「オラ~♪」とあいさつしたが、誰も食べ物や飲み物は提供してくれなかったので、泣く泣くRencheを後にし、カミーノへ戻る。


ここから先は、Samosに着くまで村や集落はないし、水飲み場もない。
つらい歩行が始まる。

Samosまではあとたったの3.5kmのはずなのに、なぜかなかなか到着しない。
しかも途中からカミーノの標識からSamosという地名が消え、本当にこの方角で合っているのかと不安に駆られる。
途中、何度か小さな集落を通り過ぎるが、人に聞こうにも人は全く歩いていない。
地図にはこれらの小さな集落は乗っていないし、自分たちがどこにいるのか見当がつかない。

スィナの水も尽き、暑さの中、いつになったら水にありつけるのか分からないまま歩く。
この区間は本当につらかった。


体感的には相当な距離を歩いたと感じられた後、やっとSamosの標識が出てきて、眼下に修道院の黒い屋根が見えた。
ふ~、助かった。

町に入り、前方に歩いていた巡礼者グループの後をついて行く。
が、どうも町はずれにまで来てしまったようだ。
彼らはまだ先へ進むのか?

振り返ると、いつの間にかスィナが離脱しており、姿が見えない。
しばらく待ってみたが、一向に到着する気配なし。
すぐそばにホテルがあったので、我慢できず1階のバルでアクエリアスを購入。
一気飲み。

ぷはぁ~!生き返った!


よくスィナは、「暑さが問題じゃないのよ。足よ!」って言うけど、私は逆です。
足は大丈夫っす。
暑さがつらいっす。


スィナが来ないので来た道を戻り始めた時、スィナから携帯にSMSが入った。
「そっちじゃないよ。アルベルゲは修道院のとこ。戻っておいで」とのこと。

「で、修道院ってどこにあるの?」と返したが、返信なし。

仕方ないので途中に会った商店のレジにいた人に修道院の場所を聞き、そこを目指す。
どうやら町に入ってきた時に、修道院とは反対方向へ歩いて行ってしまったようだ。


こちらがスペイン最古の修道院。





修道院は見えるのだけれど、そこへ至るルートが右からなのか左からなのか分からない。
結果的にどっちからでも行けたのだけど、もう疲れきっているので無駄に歩きたくない。

ふと、目の前に私営のアルベルゲが見えたので、入ってみる。
受付のオスピタレラが、しきりにここに泊まるようにと勧めてくる。
「友達を探してるんで」と言うと、「その友達の名前は?国籍は?」と台帳をめくりはじめた。

たぶんスィナはここにチェックインしてないと思うんだけど、とりあえず「スィナ。オランダ人」と伝えてみる。
案の定そこにスィナの名前はなかった。
スィナに電話してみるも、つながらず。

オスピタレラは、スペイン語しか話さず、しきりに「ここのアルベルゲは奇麗でいいわよ~。テレビもあるし」と勧めてくるが、こちらは状況を説明しきれず。

と、そこへ以前見かけた韓国人の若い男の子が通りがかったので、「あの修道院にアルベルゲはある?」と聞いてみた。
すると流暢な英語とさわやかな笑顔で、「あるけど、もうこの時間だとベッドが埋まってるかも知れないよ」との回答。
この時すでに17:30頃。

なるほど。
さわやか韓国男子もいるし、もういっそスィナとは別にここのアルベルゲに泊まっちゃおうかな~

と、心が動いたところへ「ユウコ~!」と叫びながら走ってくるスィナ。
げ。

「携帯のバッテリーが切れて返信できなかったのよ。あそこの修道院のアルベルゲ、まだベッド空いてるわよ。こっちこっち」と強引に連れて行かれた。
ぐすん、韓国イケメンに後ろ髪引かれる…。



スペイン最古の修道院併設のアルベルゲは、まったく快適ではなかった。
玄関を入ってすぐ、ずらりと並ぶ2段ベッド。
これといった設備はない。
シャワーは水。

ああ、さっきの私営アルベルゲにさっさとチェックインしてしまえばよかった。
疲れているところにこの仕打ちで、ついつい不機嫌になる。
そもそもアルベルゲの善し悪しに文句は言わないはずだったのに。
Santiago到着を目前にして、いまだ短所を改善できず。



フランス人のマークがいて、19:15から隣の教会でグレゴリオ聖歌が歌われるから一緒に見に行こうということになった。

洗濯を済ませ、まだ時間があるので荷物の整理をする。
もう疲れが蓄積しているので、荷物を1グラムでも軽くしたい。
使っていない靴下、日本から履いてきた1回しか使ってないユニクロのサラファインレギンス、同じくこのカミーノでは全く着用していないユニクロのジップアップセーター、各地の教会や博物館でもらったパンフレット類(悪いけど今日Triacastelaの教会でもらったばかりの日本語のパンフレットも)、もう使いそうにない薬、色んなものをアルベルゲのゴミ箱にぶち込んだ。

さらに時間が余っているので、薬局はないかと探しに出かけたけど、見つからなかった。
さっきアクエリアスを買ったホテル辺りまで、延々と歩いてみたが、見つからない。
そろそろかゆみ止めの薬が欲しいかも。


19:00頃、教会の前へ。
人がたくさん集まっており、韓国人夫妻の姿も。

彼らは膝に問題があるので、ちょいちょいバスやタクシーを使っている。
今日は、TriacastelaからSamosまでの区間に、バスもタクシーも見つからなかったとのことで、なんとヒッチハイクをしてたどり着いたそうだ!
なんてブラボーな人たちなんだ


さて、教会に入り、ミサらしきものが始まるのを待つ。











しばらくして、壇上に何人もの男性が現れた。
年配の聖職者が多い。
そして、グレゴリア聖歌とおぼしきものが歌われる。

私は初めてなので、「ふ~ん、こんなもんかな」と思って聞いていたが、マークとスィナは相当気に入らなかったらしく、「憂鬱にさせるような歌だよね。もうさっさとディナーに行こう」と言いだした。
そ、そうなんだ。

マークは私たちと違って早い時間に到着しているので、修道院の中も見学してきたらしい。
彼の話では、この巨大な修道院に修道僧はたったの16名?とかだそうだ。
もちっと若者いっぱい入れて、合唱のレベルアップをはからないとね。


教会からでたところで、スィナが「あれ?サングラスがない!」と言いだした。
この巡礼3回目の紛失なり。
教会や修道院の周りなどもくまなく探してみたが、見つからない。

「アナマリアに借りてるサングラスなのに、どうしよう」
って、サングラスみたいな紛失しやすいものを借りてくる感覚が分からないんですけど…。
仕方なく諦めてディナーに行くことに。
「前回も前々回も誰かが拾ってくれたから、きっと今回も見つかるわ」と、希望的観測。



ディナーの場所を探すが、修道院周辺はバルやカフェばかり。
とあるお店でレストランはないかと聞いてみたら、どうやら私が最初に間違えて行ってしまった、町はずれのホテルのレストランしかないようだ。

はぁ~、今日は散々余分に歩いてるよ。


ホテルに到着したものの、ディナーは20:30からしか食べられないというので、しばしテラスで飲み物で待つ。
マークとカミーノ論議を交わしたり、自分たちのことを話したり。
ちなみにマークは、会社を早期退職し、フランスのLe Puyというところから歩いて来ているので、この時すでに50日以上巡礼をしている。
足などいい飴色に焼けている。


ようやくディナーテーブルにつき、ここは海産物が有名なガリシアだから、シーフードにしようと決め、みんなでPulpitos(イイダコのような小さいタコ)、Calamares(イカ)、Gamba(エビ)などを注文。
以前、Cacabelosで食べたタコと違って、このタコはめちゃめちゃおいしかった
サラダもいつものとは違って、リンゴが入ったものを選択。
巡礼者メニューではない料理に舌鼓を打つ。


レストランの奥のテレビでは、7月25日のSantiagoの様子などを放送している。
それ以外は、カミーノ上でも思ったほど、聖ヤコブの日を感じさせない。


スィナは上機嫌でしゃべりまくる。
が、アルベルゲの門限は22:00。
マークと私はそろそろ時間が気になり出している。

何度か、「そろそろ切り上げないとね」と言うのだけど、スィナは完全無視でペラペラと喋り続ける。
さすがにマークもそわそわしている。

「もうデザートを食べてる時間はないよね。大急ぎでお会計してもらおう」と言うと、スィナはかなり不満そうな様子。
「え~、コーヒーとか飲みたいのに~」って、あんたも22:00になったら無情にアルベルゲのドアが閉められるのは知ってるだろう。


レストランを出たのは、門限の5分前ぐらい。
町はずれのレストランから、アルベルゲに向かって一目散に走る、走る。
ワインの酔いもすっかり醒めるよ。


アルベルゲ前にはオスピタレロが今にも扉を閉めんばかりに仁王立ちしている。
ふ~っ!ギリギリセーフで間に合ったぁ!

あ!でも洗濯物を取り込んでない!

仁王立ちのオスピタレロに、片言のスペイン語と身振りで「服、取りに行ってもいい?」と聞くとOKが出たので、また3人で一目散に道路を挟んだ向かいの洗濯物干しスペースに走る。

と、ビーチサンダル履きで焦って走ったのと、洗濯物干しエリアに至る石の階段が滑りやすかったのとで、ガーンと転んでしまった。
スィナが大げさに叫び声をあげ、マークも「胸とか打ってないか?」とかなり心配してくれた。
だ、大丈夫です…。

膝をすりむいたのと、石の階段にぶち当たって右手の爪が割れた…。


負傷しながらも必死で洗濯物を取り込み、アルベルゲへ戻ると、若い女性の巡礼者がちょうど今到着したところだったが、無情にも「空きベッドはない」と断られていた。
外はまだ明るいとはいえ、こんな夜遅くに到着?

そして公営アルベルゲはいつもそうだけど、空いてるスペースにマットを敷いて寝させてくれるなどということはない。
とにかくお断り、その一点張りだ。

心配してその巡礼者に「今日はどうするの?」と聞くと、「マットを持ってるからそこらへんで野宿するわ」とのこと。
女の子なのに、かわいそう。
しかももう22:00でアルベルゲ消灯の時間なので、シャワーだけ借りることもできない。(水シャワーだけど…。)

う~ん、やはりベッドの確保は最優先に巡礼しなければ。
この修道院アルベルゲの設備の悪さに不満だったけど、ベッドを与えられただけでありがたいと思わなければ。


自分のベッドに戻り、怪我の具合を確かめてみると、ズボンの左ひざは穴が開き、膝はすりむいて血が出ていた。
でもそれほど大きな怪我ではない。

手の爪も割れて血が出ているが、こちらも大けがというほどでもない。

手持ちのマキロンで消毒し、バンドエイドを貼って就寝。

今日もなんだか色々あったなあ。。。

Santiagoは近い。










本日の歩行距離:約26km
本日の歩数:45,149歩