つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

サンタが逝きました

2013-02-21 11:10:03 | 日記

平成25年2月20日夕方

17年間一緒に暮らしていた猫のサンタが逝きました。正確には17年と2ヶ月と17日。

ここ10日ほどは全く食事を取らなくなり、2~3日前からは水すら飲めなくなっていました。

 

18日(月)に動物病院に点滴に連れて行ったのが最後の治療になりました。

昔5kg以上もあった体重は1.7kgまで落ちていました。

いつ逝ってしまってもおかしくない状態だったので、先週から日中は2階のリビングのコタツの中で家族と一緒にいられるようにして、夜、私が帰宅したら、1階の私の寝室までトイレや水や食事(食べないけど)を下ろしてきて、朝まで一緒にベッドで寝るようにしていました。

18日(月)の夜(というか19日の明け方)、一緒に寝ていたとき、腕枕してやっていた私の指をそっと噛んできました。

朝起きてみると、一緒に寝ていたベッドに粗相(おしっこ)をしていました。

もう、トイレに行く力も残っていなかったんだと思います。

最後に何か伝えたかったのかな。

「おしっこ出ちゃった。ごめんね。怒らないでね」

って言いたかったのかな。

「もうすぐお別れだよ」

と教えてくれたのかな。

 

20日(水)の夕方、私以外の家族に抱かれて、撫でられて、見守られて、最期は苦しまずに眠るように逝ったそうです。

 

来週、私は沖縄なので、「その間にサンタが逝っちゃったらどうしよう」とずっと心配していましたが、そんな私の気持ちが分かって「心配しなくてもいいでござるよ」とでも言うみたいに、旅行前に静かに先に逝ってしまいました。

 

今朝、最後にサンタを抱いて、大泣きして、ありがとうとごめんねを言って、自宅の庭の陽当たりのいい場所にお墓を作って埋めてやりました。

自宅から駅まで歩く道の途中で空を見上げたら、びっくりするくらいに綺麗な青空でした。

「きっと、サンタは、今、あそこにいるんだ。」

と思ったら、歩きながら涙がドバドバ出てきて困りました。

 

司法試験になかなか受からなかった時も、合格した時も、子供が生まれた時も、弁護士になった時も、独立して事務所を開いた時も、いつもそばにいてくれたのに、私は仕事で最期の時には立ち会えませんでした。

私がサンタに怒ってばっかりいたから、時には叩いちゃったり酷い言葉を投げつけちゃったりと、辛く当たったことも多かったから、神様が私に罰を与えたんだと思います。

 

もっと優しくしてあげれば、最期のお別れの時もそばにいてやれたかな、と思います。

もっともっと、「大好きだよ」「一緒にいて楽しかったよ」「ありがとう」「生まれ変わったら、また、私の所に来てね」「叩いてごめんな」「酷いこと言ってごめんな」と伝えておけば良かった。

小さな小さな命なのに、何も言わなかったのに、私のダメなところ、直さなきゃいけないところを教えてくれて、そして逝ってしまいました。

私のように短気ですぐ怒る人間は、きっと物言えぬ動物と暮らす資格はないんだと思います。

サンタを失って心底、そう思います。

「猫の最期の時に、レスキュー・レメディを数滴、口に含ませてやると苦しまない」というHPを見つけたので、ネット販売で取り寄せたのですが、間に合いませんでした。

私は何一つ、サンタにしてあげられなかった。

辛い思いばかりさせたのかもしれない。

 

秘書さんが、

「これからはお留守番じゃなくて、どこに行くにもサンタちゃんと一緒に行けますよね」

と言ってくれたのが救いでした。

友人が、

「それでもサンタは平岩の胸の中に、平岩が死ぬまでいるんだよな。そうだよな」

とメールをくれたのが救いでした。

 

けれど、やっぱり胸が張り裂けそうです。

 


来週は沖縄

2013-02-21 10:58:42 | 親父の肺癌

2013年2月1日(金)~21日(木)

引き続き毎週水曜日~木曜日、一泊で金沢のゴッドハンドに。

来月末頃に丸山ワクチンの次回40回分を郵送請求する際、同封するための腫瘍マーカー等の検査をする予定です。ガンが縮小しないまでも進行が止まってくれれば御の字だと思います。

 

来週は名護(沖縄)に住んでいる親父の従姉妹に会いに行きます。内地(名古屋・大阪)在住の親父の従兄弟たちと一緒だ。私が一番年下。老人ホームの慰安旅行の引率者の気分だ。

ちなみに私はT社長とN社長の3人で26日に喜瀬カントリークラブでゴルフの予定。

目標の100切りを達成できたら親父のガンも進行が止まるかもしれぬ。と信じてクラブを振ってくる所存である。