2013年9月27日(金)
監督:是枝裕和
出演:福山雅治、リリー・フランキー、尾野真千子
先行ロードショーで観てきました。
良かったです。95点。
是枝監督のカメラワークというか画面演出は流石、という感じでした。惹き込まれました。
私は、福山雅治さんというタレントがあまり好きではなかったのですが(なんというかカッコ良すぎて。早い話、カッコ良くない男の僻みですな)、この映画の福山さんはイイ。
「完璧主義の負けを知らない男」の嫌味と弱さと悲しさを地で演じ切れている気がしました(←褒めてない?)。
リリーさんの「ずっこけで、ださくて、少し小狡いところもあって、でも子煩悩」という父親も、多分、今、演じさせようとしたら日本にはリリーさんしかいないんだろうな、と言う感じ。
尾野真千子さんはたしか近日ロードショーの「謝罪の王様」にも出演されていたと記憶していますが、とてもいい女優さんですね。
福山さんとリリーさんが、それこそ、「地」で役柄を演じてるのに対して、尾野さんはちゃんと役作りして演技をされてて、その演技がまた、ちっとも嫌味じゃない。
「親子」とか「家族」とかって、結局、何だろう、というのがテーマなのですが、映画では事件のゴールは描かれていません。「子どもの取り違え」という被害に遭った2つの家族と2人の子どもが、その後、どうなっていくのか、どういう関係を築きあげていくのか、何一つ答を示すことなく映画は終わるのですが、個人的には、こういう作品が非常に好きです。
作り手が全てを解決してただそれを観客に見せる作品より、問題を提起してあとは観客に深く何かを考えさせる作品の方が、良質で成熟したエンターテインメントだと私は思っているので。
作品で描かれている2人の父親は、ある意味、どちらも両極端な父親像なのですが、両極端故に、どちらも「できそこないのパパ」なわけです。
一見すると、リリーさん演じる雄大パパは子どもにとっては理想のパパのように見えるのですが、やっぱり、「できそこない」なのです。
福山さん演じる良多が、6年間育てた息子慶多に、
「できそこないだったけど、それでもパパだったんだよ」
と叫ぶシーンは、4歳と10歳の2人の男の子の「できそこない」の父親である私としてはジーンと来ました。
「できそこない」というより、(私も含めて)親はどこまでも「未完成」なんですが。
長男が生まれた時、ある人から、
「親というのは、子供が生まれたから当然に親になるんじゃない。子どもを育てていくうちに、少しずつ少しずつ子どもに教えられて親になっていくんだ。」
と言われたことを思い出しました。