つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

俺はモンスターペアレントか?(その後)

2015-05-20 15:10:51 | 子育て

4月26日の前篇(?)には、このブログへのコメントのみならず、メール、LINE、FBその他もろもろを通じて多くの方からコメントをいただいた。コメントを寄せてくださった全ての方々に、この場を借りてお礼を申し上げる。

さて、その後のご報告である。

 

学校にメールを送って2日後。長男の担任の先生から、

「学校がHPで公開している【お問い合わせメールアドレス】にメールを頂戴したために確認と対応が遅れた。誠に申し訳ない。次からは遠慮なく自分に直接電話をしてきてほしい。」

と、お電話をいただいた。

私のメールを読んで驚いた担任の先生と学年主任の先生は、その日のうちに長男を含む3名を呼び出して事情を聞いてくれたという。

以下、担任の先生からご報告いただいた内容の要約である。

1)学校としては「夜9時以降に生徒だけで遊び歩く」などということは認めていない。(部活動をしている生徒でも遅くとも午後6時半には下校させることになっている。学習塾に行っているなど特別の事情のない限り、門限は午後7時でいいのではないかと思う。)

2)A君はダンスレッスンに通っており、レッスンのある日は帰宅が午後11時を過ぎることもある。そのため、A君としては「午後9時過ぎ」という時間はそれほど遅い時間とは思っていなかったらしい。

3)彼らには、「君たちは既にN中学校の看板を背負っている。その君たちが夜中にフラフラ遊んでいる姿を見たら、世間の人たちはどう思う? 万一、深夜徘徊等で補導でもされたら、君たちが入った部活動は対外試合禁止、活動停止、ということにもなりかねない。そうなったとき、君たちは、2年間、必死に練習してきた先輩たちにどのように責任を取るのか? 謝って許してもらえることではない。中学生になるということは、学校に、先輩に、家族に、社会に、君たちを取り巻き育ててくれたすべての人たちに責任を負い始める、ということだ。その責任を自覚して行動するように。」と厳重説諭した。

4)以上の次第であるから、しばらくはご家庭と学校で連携を取りながら彼らを見守っていきたい。

担任の先生(と学校)の迅速で真摯かつ誠意ある対応が確認できた以上、私としては、担任の先生のご意見に従おうと思う。

 

ところで。

担任の先生も話されなかった「B君の事情」がある。

後日、長男が私に話してくれた。

B君のご両親は彼が小学校のときに離婚され、B君は母親に引き取られた。最近、母親と再婚相手の間に赤ちゃんが生まれた、という。

B君のやり場のない淋しさに思いを馳せることなく私は長男を怒鳴った。

すまぬ、ヒロ。悪かった。

 

入学したばかりの中学校に自分の居場所を見つけられず、家にいるのは新しい父親と、生まれたばかりの異父妹(だか弟)と、その世話で手いっぱいの母親。

B君の居場所は、長男たちと行く銭湯だけだったのかもしれない。

そういうB君に寄り添おうとした長男を、私は誇りに思う。

「こどもの世界は小さい。ガッコと家しかない。ガッコで否定されて家にも居場所がなくなったら、こどもはもう、どこにも行くところがない。」

西原理恵子さんの言葉である。

 

ただ、やっぱり、ヒロは少しだけ間違ってた気がするぞ。

パパや、ガッコや、センセや、ヨノナカに否定されちゃうようなやり方じゃ、いつか、目に見えない何かに、大切な友だちも友情も踏みつぶされる。

パパや、ガッコや、センセや、ヨノナカに責任を取りながら、折り合いをつけながら、友だちと歩く途を探すのが中学生だとパパは思うぞ。

 

あと、いただいたコメントの中で少しだけ気になるものがあった。

「放課後や休日のこどもたちの躾は家庭の責任。学校に話を持ち込んでも学校も困るのでは?」

という意見。

私が(モンスターばりに)持ち込んだ話にN中学校が困惑することなく真正面から向き合ってくれたことは冒頭述べたとおりである。

私は、「放課後や休日のこどもたちの躾は家庭(だけ)の責任」とは思っていない。

こどもは親だけじゃなく、ガッコだけじゃなく、社会で守り、育てるものだ。

川崎市で上村遼太君が殺されてしまった事件からまだ2か月。

皆が遼太君の死を悼み続けている。大勢の人が遼太君が殺された河原に花束を供えに足を運んでいる。

遼太君を悼み、花を捧げ続ける方々の尊い気持ちを否定する気はまったくない。

まったくないが、私は、死んでしまった遼太くんに今、花を捧げに行く時間があるなら、その中の一人でもいい。どうしてあの時、夜中にフラフラと家を抜け出して遊び歩いていた遼太君やその友人たちをぶん殴ってやらなかったのかと思う。

嫌われようが、無視されようが、口汚く罵られようが、夜中に家を出ていこうとする息子を体を張って止めなかったのかと思う。

大人たちが、「ここから先は自分の責任じゃない」「そこからこっちはあんたの責任じゃない」と境界線を引いて遠巻きに眺めているうちに、遼太君は殺された。

 

長男と次男が生まれた時、私は彼らが20歳になるまでは自分の命と引き換えにしても彼らを守って育てようと決めた。

だからこれからもそうして彼らと向き合っていく。

たとえ、嫌われようと、憎まれようと、だ。