つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

摂ちゃんのこと(8)

2018-03-02 12:57:35 | 摂子の乳がん

親父と別居したお袋との二人暮らしもやっぱり地獄だった。

狂ったお袋は何かのきっかけで突然、ヒステリーを起こす。

お袋と二人で「フランダースの犬」というアニメを観ていた時のこと。

親父から買ってもらった少年少女世界の名作全集に収録されていた「フランダースの犬」(小説)を読んで話の結末を知っていた私がお袋に向かって、

「このネロとパトラッシュって最後は死んじゃうんだよ。

もう、早く死んじゃえばいいのに~」

と冗談めかして話しかけた途端、お袋のヒステリーのスイッチが入った。

 

「あたしが死にゃいいのか!そういうことか!」

と叫びながら狭いアパートの台所に走っていったお袋は、出刃包丁を掴(つか)んで自分の首をかき切ろうとした。

どうしてお袋がヒステリーを起こしたのか、小学4年生だった私に理解できようはずもない。

というか、今でも理解できぬ。

 

泣きながら出刃包丁を振り回すお袋の腕にしがみついて、家を出るときに持ってきた「少年少女世界の名作全集」を必死にお袋に見せながら私は、

「ほら。こういう話じゃん。お母さんに死ねなんて言っとらせんじゃん!」

と泣き叫んだ。

悪夢を見ているようだった。

 

そういう生活をしていた時に私の友だちになってくれて、私を支えてくれたのが丸信之君だった。

このことは以前、お袋が死んだ直後にこのブログにも書いた。

 

その後、何故か、お袋は親父とよりを戻すことになった。

理由はよくわからない。

私が小学6年に進級した春、お袋は私を連れて、飛び出した尾張旭の家に戻った。

摂子は、もう、いなかった。

 

摂子はもう、いなかったけれど、家に戻ったお袋はやっぱり狂ったままだった。

いつも「調子が悪い」といっては奥座敷に布団を引いて寝込んでいた。

 

たしか、小学6年の夏だったか秋だったか。

学校から家に帰ると、お袋がガスホースを口にくわえて死にかけていた。

お袋が寝ていた部屋にあった鏡台の上に私宛の遺書が置いてあった。

お袋はガス自殺を図ったのだ(現在と違って当時のプロパンガスは致死量を吸い込めば死ねたはずだ。)。

私がお袋の口からゴムホースを引き抜くと、幸か不幸かお袋は蘇生した。ランドセルは背負ったままだった。

あまりのショックで涙も出なかった。

摂子を捨て、今度は私まで捨てて、お袋は自殺しようとした。それも2度目だ。

 

蘇生したお袋は、

「なんで余計なことするんだ!」

と私を怒鳴りつけると、台所に行って床に放尿した。

 

夜、親父が帰宅するまで私はずっと泣いていたように思う。

 

帰宅した親父は私の話を聞いて台所に行き、床を見て、

「ほんとだなぁ。こんなとこで小便しとるわ。」

とだけ言った。

親父もお袋も台所の床を掃除しようとしなかった。

家中が小便臭かった。

 

親父もお袋も死ねばいい、と本気で思った。