第16回は、
この季節、とにかく雨の合間を縫ってギャンブルのような日帰りツーリングっす。
ピンポイント天気予報と、秘書ちゃんから教えてもらったYahoo天気アプリの雨雲予想は必需品。
Google mapで目的地までのルートと往復時間を、Yahoo天気アプリで雨雲の動きを、それぞれ確認して、念押しでピンポイント天気予報で目的地と出発地の天気も確認して、「なんとか降られずに帰って来られるはず」と思ったら速攻で飛び出していく。
今はバイクにスマホを装着できるキットも、走行しながらGoogle mapのナビ音声をBluetoothでイヤホンに飛ばして聞くこともできるけれど、私は使わない。
おおよその道順を頭に叩き込んで、それでも走ってるうちに「あれっ?もしかして俺ってば迷ってる?」と思ったら、路肩にバイクを停めてGoogle mapで現在地を確認して、愕然としてルートに修正を加えて再び走る。
スマホやナビは確かに便利だし、ちゃんと使えば時間やガソリンの節約にもなるけど、「バイクで走る」って、そういうことの対極にある行為だと思っているから。
予想して、計画を立てて、想像して、実際に走り始めたらどんどん想定外のことが起こって、その度にプランを修正して、失敗の中で出会った人や風景や体験にドキドキして、なんとか目的地に辿り着いた時には最初の計画とか予想とは全然、違った結果になってて、頭も身体も疲れ果ててるけど、でも、楽しい。
なんだ、バイクに乗ることと、人生はそっくりじゃないか。
今はナビもあるし、車に至っては勝手に運転までしてくれるけど、昔(といっても、せいぜい数十年前)までのツーリングとか旅って、そういうものじゃなかった。
ナビもない。
地図も適当。
旅の情報といえば宿場で伝え聞く噂話だけ。
そんな江戸時代の旅は、バイクのツーリング以上にスリリングでワクワクでいっぱいだったろう。
というわけで、今回は江戸時代に五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)全ての起点となった「お江戸、日本橋」
天気予報確認したにもかかわらず、九段下を過ぎたあたりからしっかり雨に降られましてございます(ヘルメットのシールドご参照)。
今は上を首都高速が走っているが、昔の日本橋の景色を取り戻そうと首都高速のトンネル化計画があるそうだ。私がバイクに乗っていられる間に是非、実現して頂きたい。
五街道の起点だけでなく、日本橋は日本の道路の元点にも指定されている
なのであまり知られていないが、橋の中央、センターラインのど真ん中に道路元標が埋め込まれている
これだ↓
Google mapにもちゃんと映ってます(写真中央、センターラインの白線と白線の間)↓
ちょっと大げさにいえば、ここは日本の道路の起点。
日本中の道路のアスファルトに愛車のタイヤ跡を刻みつけたいと願うバイク乗りにとっては、すべての旅の出発点であり、聖地だろう。
昨年は築地市場から豊洲市場への移転が大きなニュースになったが、実は、築地の前は日本橋こそが江戸の台所だった。
だから古典落語には「築地魚河岸の・・・」なんて台詞(せりふ)は出てこない。魚河岸といえば「日本橋魚河岸の・・・」である。
日本橋が魚河岸として栄えていた江戸時代。
伊勢の商人、三井高利は日本橋本町一丁目に「現銀掛け値なし」「反物売り切り」という斬新なアイディアで越後屋呉服店を開いた。
越後屋はその後、両替商にも手を広げ、日本有数の豪商にのし上がる。
越後屋は今の三井グループの前身。
当時、越後屋呉服店があった場所には、今、日本橋三越がある。
三越の「三」は越後屋の創業家三井家の「三」。
三越の「越」は越後屋の「越」だ。
だから今でも日本橋界隈は丸の内界隈の三菱グループに対して、三井村と呼ばれたりする。
通りを挟んだ向かいにスターバックスがあるあたりが、江戸と令和を同時に見るようで感慨深い。
橋のたもとに目を転じれば、今風のリバーサイドカフェのすぐ横に屋形船が係留されていたりして、これも東京の今昔である。
さて、次は↓
来週は晴れるかな。