ちょっと用事があって苗場に来ている。
かつては店の外にまで入店待ちのお客さんが溢れている有名店だった。
今から12年くらい前(だったと思う)に買ったリゾートマンションだ。
とこう書くと、すぐ、
「このブルジョワ野郎め!」
とかチャチャが入るのだが、別にブルジョワでも金持ちでもない。
なんせ、購入金額は(家具込みで)100万円だった。
中古車以下の価格である。
売ってくれたのはご高齢の神田の歯医者さん。
バブル前に新築で購入されたそうだが、契約時に、「子どもも孫も、みんなこのマンションに泊まりに来て、スキーは苗場で覚えてね。もう、私もお迎えが近いから身辺整理しなくっちゃ。造り付けのカリモクの家具があるんだけど、どうせ他で使うわけにもいかないんだから、よかったら差し上げますよ」と笑って仰っていた。
というわけで、おそらく100万円の3分の1位は家具代である。
「私は新築時に3000万円で買ったんだけどねぇ。30年近くで30分の1になっちゃうとは思わなかったなぁ」とため息もついておられた。
ちなみに今は同じマンションの同じタイプの部屋が10万円で買えます。
まぁ、売却益とかをあてにしてるわけではないので、現在の市場価格が10万円だろうと300万円だろうとどうでもいいのだが。
神田の歯医者さんのとこと同様、わが家の子どもたちもスキーは苗場で覚えた。
子どもたちが小さかった頃はワンシーズンに何度来たかしれない。
夏は夏で近隣の越後湯沢に「鱒(ます)どまり」(↓)という川遊びができる絶好のスポットがあるので、毎年、夏・冬は苗場で過ごした。
(新型コロナのせいなのか、あいにくの雨だからか、今回は誰もいなかった。)
長男は小学校5年生になった頃から友だちと遊ぶ方が楽しくなってきて、次第に一緒に苗場には来てくれなくなった。
次男は今、小学校6年生。今回、「パパはちょっと苗場行くけど、一緒に行くか?」と誘ったが、「今年の夏は色々、忙しいから」とすげなく断られてしまった。
というわけで、昨日から一人苗場生活を満喫している。
本読んで、酒飲んで、音楽聴いて、気が向いたらその辺をふらふらして。
それはそれでまぁ、幸せな骨休めなのだが、子どもたちが小さい頃から毎年、来ていた苗場は、そこら中が子どもたちとの楽しい思い出でいっぱいだ。
小さかった頃の子どもたちを思い出すと、懐かしさで胸が締めつけられるほど切なくなる。
この記事のカバー写真は長男が小さかった頃、「川の始まりから、大きな川になるまでを写真で追いかける」という夏休みの自由研究で苗場を流れる浅貝川の源流の一つである旧三国スキー場の湧水をデジカメで撮りに行った際に見つけた、通称「ちょうちん岩」
奇岩である↓
年をとって涙もろくなってるので、当時、小学校2年生くらいだった長男と見た「ちょうちん岩」を見ただけでなんだか懐かしくて切なくて涙が出てきたりする。ヤバい。
いや、こんな(↑)奇岩見てポロポロ泣いてる50男って、どう考えてもヤバいだろ。
私に苗場の部屋を(家具付き100万円で)売ってくれた神田の歯医者さんも、最後に苗場の風景を仰ぎ見たときには、きっと同じように胸を締め付けられたんだろうと思う。
体験が記憶になって、記憶が思い出になるというのは、こういうことなんだろう。
苗場に来て、幼い頃の長男と次男の笑顔を思い出すだけで、(たとえ今はどんなに憎たらしいクソガキにメタモルフォーゼしていようと)嫌なことも腹立つことも全部忘れて今すぐ抱きしめたくなってくるから不思議である。
それにしても、今年は苗場プリンスホテルも、越後湯沢駅前(↓)も、ほとんどゴーストタウン状態だ。
新型コロナの感染防止で、日本中、「とにかく観光地に来るな!住んでる都道府県から出てくるな!」の大合唱なので当然といえば当然なんだけど、こういう風景を実際に目の当たりにしてしまうと、「新型コロナが収まるより先に日本中の観光地が全滅するんじゃないか」と心配になってくる。
私は「新型コロナなんてただの風邪」論者ではないが、それにしても、ちょっと今の日本の現状は行き過ぎというか、ヒステリックに過ぎるというか、心配を通り越して正直なところなんだか気味が悪い。
人混みや屋内公共機関ではマスクを着用して、こまめに手洗いとうがいをして、手指消毒も面倒くさがらずにして、お店とかは一度に入店できる人数を制限して、帰宅したらすぐにシャワー浴びて、それでいいじゃないかと思っている。
もう少しみんな冷静になって、経済と感染防止との両立を図れぬものか。
幼かった長男を連れてよく来た越後湯沢駅前のへぎそば屋「中野屋」さんもこんな状態である↓
かつては店の外にまで入店待ちのお客さんが溢れている有名店だった。
長男が「美味しい、美味しい」と天ぷらそばをおかわりし続けて、帰りの車の中で腹痛を起こしたのも懐かしい思い出だ。
もう、ああいう日々は二度と来ないのかな。
苗場も越後湯沢も、どんどんどんどん寂(さび)れてっちゃうのかな。
記憶が思い出に変わるのって、いつも突然で、あっけないんだな。
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