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つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

青天の霹靂

2014-07-03 19:58:47 | 映画

2014年5月30日(金)

監督:劇団ひとり

出演:劇団ひとり、大泉洋、柴咲コウ

 

「雷に撃たれてタイムスリップ~?」という展開に異論もあるようですが、私的には、

「映画なんだから何でもありなんじゃね? そんなこといったら、SF映画はすべからく駄作だろ?」

と思う。

役者さんもいい。特に大泉さんは以前レビューをアップした「清洲会議」より断然いい。

劇団ひとり様。次回作(があるのかどうか知らないが)を大いに期待しておりまする。

 

が、残念な点が2つ。

 

ここだけの話(ここだけもクソも全世界に向けて発信しちゃってるわけだが)。

私には「生涯かけて許せない人間」というのが3人いる(2014年6月現在)。S(男)とM(女)とT(男)。

Sは小・中・高と私の幼なじみだった同郷の男。MとTはそこそこ著名な人物である上、ここに書くだけでもイライラがレッドゾーンぶっちぎりなので詳しくは書かない。

で、「青天の霹靂」の中の劇団ひとりさんの話し方がTにそっくり! 劇団ひとりさんが出てきてしゃべるたびにTを思い出してしまう私は終始イライラしっぱなしであった。

劇団ひとりさんには何の責任もない。私の個人的な問題である。しかし-30点。 

もう一つ。観ている最中には気づかなかったが、エンドロールを見たら私の大嫌いな役者が端役で出ておる! 「うわっ! 何であいつが?」 ・・・いや、もとい。「何であんなヤツが?」 

気づいた瞬間、坂を転げ落ちるようにダダ下がった俺のテンション。さらに-20点。

映画としての出来の良さや劇団ひとりさんの才能の評価としては80点。

ここから映画の出来とは何の関係もない上記2つの減点事由を差し引いて(こんないい映画なのに、こんな嫌な思いをした、という俺の苦しみに免じて差し引かせてくれい。)結局30点。

 

 「人を許さない」とか「人を嫌う」って、結局、自分の人生の楽しみをこんな風に狭くしてしまうのか、

 

と悟りはしたが・・・、んなもんカンケーあるかーい!

 

総括:映画の一つや二つ、つまらなくなってもかまわん。SとMとTはやっぱり許さん。


きかんしゃトーマス~キング・オブ・ザ・レイルウェイ~トーマスと失われた王冠

2014-07-02 10:08:48 | 映画

2014年5月18日(日)

監督:ロブ・シルベストリ

出演:ジョン・カビラ、比嘉久美子、神代知衣

 

下のチビ(年長組)と一緒に見ました。

もうすぐ50歳なのに、「きかんしゃトーマス」の映画レビューをブログに書いてる俺って、もしかして、ちょっと危ないんじゃないだろうか?

ちなみに「トーマス」ってTV版も映画も昔はプラモデルみたいな模型使った実写だったのに数年前からCGになった。私的には実写版の方が好き。いや、なんというか、「トーマス」をCGで観せられても、「それが何か」って感じで・・・

あぁ、もう、俺の瞳は少年の輝きを失なっちまったんだなぁ。

 

ところで、昔から気になっているのだが、(TV版でも映画版でも)主人公のトーマスをはじめとして登場する機関車たちはみんな口を揃えて、

「役に立つ機関車にならなければいけない」

と言う。

「伝説の機関車ヒロ」だったかのエピソードで、

「役に立たない機関車はスクラップにされる」

というような表現もあって、ちょっと怖かったぞ。

 

強迫観念に取り憑かれたように

「役に立ちたい、役に立ちたい。」

と言う機関車たち。

「そんなことでは役に立つ機関車とはいえないぞ!」

と脅すトップハム・ハット卿。

 

まぁ、世界中の子供たちが喜んで観てるわけだから、極東の島国の一弁護士(49歳)がそれにケチつけるのもどうかと思うが、

「役に立つ」

って、そんなに重要なことか? いや、重要か。しかし、スクラップにされるかどうかという機関車の運命を左右するほどに重要か?

「人の役に立ちたい」っていう思いは大切だが、「役に立たないヤツは潰す」という価値基準はちょっとコワイ。トーマス・シリーズに流れている考え方はちょっと後者に偏っちゃってるような気がする。

さすが、資本主義発祥の国イギリスのお話。役立たずはゴミなんですな。

 

あ、ちなみに、映画館まで一緒に行った上のチビ(小6)は一人で別スクリーンの「ネイチャー」を観に行ってしまった(シネコンなので)。

・・・いいなぁ。

 

総括:役に立つ弁護士になりたい。


Dの意志

2014-07-01 09:54:08 | 日記

といっても、17巻154話でDr.くれはが語った、ゴール・D・ロジャーからモンキー・D・ルフィへと受け継がれた「Dの意志」ではない。

 

ONE PIECEファンじゃない人には何の話かまったく分からないだろうから話を戻す。

 

私の顧問先のN社長の運転手を務めているD君のことである。D君は近年稀に見る好青年だ。「どこが?」と尋ねられると困るので聞かないでください。

 

D君と出会ったのは3年ほど前。

会食していた際、N社長から

「私の運転手をしながら司法書士を目指して独学で勉強しているヤツがいる」

と聞いた。それがD君である。

不動産業を営むN社長は(私も含めて)客や取引先との会食も多く夜はいつも遅い。会食が終わるのが午前2時、3時というのもザラである。その間、D君はずっと車でコツコツ勉強しながらN社長を待っている。

聞けば、それで宅建と簿記の資格も取ったという。

 

お世辞にもD君は学生時代、勉強のできたタイプではない。否、ここは敢えて「できなかった」と言い切ってしまおう。いくら隠したって(別にD君は隠しちゃいないんだが)高校時代、落ちこぼれだった私には匂いで分かるぞ。くんくん。本物は本物を知る、という。

ご実家が大金持ちのボンボンというわけでもなさそうである。N社長がD君を可愛がって、彼の住むマンションの家賃からゴルフのプレー代までことごとく面倒を見ているからそうは見えないが、N社長のサポートが無くなった瞬間に彼(と彼の奥様と子供)は飢え死にするんじゃないか、と思う。杞憂ではない。

N社長と出会うまではかなりヤバメの(ゴホゴホゴホ)仕事をしていたと聞く。

 

が、そんなことはどうでもよろしい。かつてバカだろうが、ボンクラだろうが、ヤンキーだろうが、貧乏だろうが、そんなことはどうでもいい。

私がD君の司法書士試験合格を(彼のご両親と、彼の奥様と、彼の奥様のご両親と、N社長の次くらいに)応援しているのは、彼が「今の自分を変える努力」から逃げないからだ。

その努力は、いつも学校のテストでトップを取り続けた挫折を知らない秀才が、卒業後に外資系優良企業に入社するためにする努力とは少し違う努力である。

いつも0点しか取れなかったミソッカスが自分の力で生き抜く術を身につけるためにゴミ捨て場から必死に這い上がろうともがき続ける努力だ。

D君は、そういう努力をしている自分、そういう努力をしなければならないような自分の過去にたいして実に堂々と開けっぴろげで明るい。

私と話をするときも、弁護士であるとか人生の先輩であるとか「ゴルフがD君より上手い」(←ここ、重要なトコ)といった私の属性に怯まない。

秀才野郎にありがちな、「腹に打算を秘めた作り笑い」をけっしてしない(多分、できない。)。

常に真っ直ぐ目を見て彼は話す。

そして一生懸命、人の話を聞く(理解しているかどうかは別。)。

会ったときは大きな声で挨拶をし、返事をするときに必ず「はい」という。礼節を知っている。

N社長の薫陶によるところも大きいだろうが、それだけではないだろう。落ちこぼれだったこと、独りぼっちだったこと、裏切られたこと、裏切らなかったこと、金のない生活、ご両親、友人、付き合った女・・・それらの諸々が現在の愛敬あるD君を作り上げているのだと思う。

 

愛敬というのは、目上の者から愛され目下の者から敬われる徳性のことだ。

学校では教えてくれない。

テストで100点取っても身につかない。

もちろん金では買えない。

けれど生きていく上で何より大切なものである。そう、D君は愛敬があるのである。

D君を好青年と私が呼ぶ唯一の理由である。

 

さて、昨年も一昨年もその前も、D君は司法書士の試験に落ちた。

しかし、Mary Pickfordは言う。

If you have made mistakes, even serious ones; there is always another chance for you. What we call failure is not the falling down, but the staying down.

(何度転んだって、何度だってやり直せる。失敗っていうのは、転ぶことじゃない。そのまま起きあがらないこと。)

 

かつて司法試験に落ち続けていた私も、そう思っていた。

 

司法書士の試験日は毎年JRAの七夕賞の開催日である。今年は7月6日。今週の日曜日だ。

今年こそD君は受かるかもしれないし、今年もまた落ちるかもしれぬ。

今年の結果がどうなるのか誰にも分からない。

中でもD君自身がいちばん分からないだろう。結果がどうなるか分からないまま何年も努力を続けることほど苦しいことはない。それはそういう努力をしたことのある人間にしか理解できない苦しみである。

それでもD君は、今この瞬間も、N社長を待つ車の中で、あるいはみんなが帰った事務所で、あるいは奥さんと子供が寝た自宅の片隅で、勉強しているだろう。

 

夏目漱石は、

「今夜中に勝てなければ、あした勝つ。あした勝てなければ、あさって勝つ。あさって勝てなければ、下宿から弁当を取り寄せて勝つまでここに居る。」

と坊ちゃんに啖呵を切らせた。

啖呵こそ切らないが、D君は私と出会う前から今に至るまで、おそらく同じ気持ちでコツコツコツコツと勉強を続けている。

 

「Dの意志」である。

 

私は、その意志を尊いと思う。