つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

7日間ブックカバーチャレンジ【5日目】

2020-05-08 21:00:00 | 日記
7BCの5日目。
なかなか毎日アップする、というのは難しいですな。
だって・・・・

めんどくさいもん。

私の数少ないFB友だちの中にも7BCに参加している人が何人かいるが、皆さん、ちゃんと毎日、更新しておられる。偉いなぁ。
誰が決めたのかも分からない、その目的も趣旨も分からない、それでも
「ルールに従って参加すると承諾した以上、ルールは守る」
というのは、ある意味、日本人が世界に誇るべき美徳なのかもしれぬ。

え、私?
私はスペイン系ですから。たぶん。
いつも午後になるとやたらに眠くなるし。
そろそろ我が事務所でもシエスタを導入しようかと。

で、5日目の今日は昭文社さんの「県別マップル13東京都道路地図」(以下、「MAPPLE」)。

表紙デザインは安藤久美子さん。

私の「東京日帰りツーリング」になくてはならない相棒だ。いや、安藤久美子さんではなくMAPPLEが。

よく、「Google mapの方が便利じゃないですか?」と言われるが、Google mapに限らず、スマホ・パソコン系の地図というのは「特定のポイントを決めて、その近辺の情報を得る」という点には長(た)けているが、「ある地点からある地点までの移動ルートを俯瞰的に把握する」ということには向いていない。
たとえば、「五日市街道を使って日の出山荘(東京日帰りツーリング「日の出町編参照」)に行き、その後、つるつる温泉に抜ける」というルートをGoogle mapで表示するとこうなる。

これ以上の詳細な情報が見たければ、画面を拡大するしかないが、そうすると全体における自分の立ち位置がよく分からなくなる。

Google mapには下の画像のような情報も表示されるが、「全体の中の自分の立ち位置がよく分からない」という点では何も変わらない。「5.2km」とか「1.7km」とかの情報を見て各地点の距離感覚・位置感覚を頭の中に描ける人は国土地理院の職員くらいだろう。


少なくともバイクで走っているときにこの手の情報はほとんど役に立たない。
AI並の記憶力を持っていれば別だが。

最近ではバイクのハンドルバーにスマホを取り付けられるキットが売り出されていて、走りながらスマホを見ているライダーを見かけることが多くなってきたが、危険なことこの上ない。なんでそんなに死に急ぐのか。
赤信号で止まったわずかな時間にスマホの画面を拡大したりスワイプするのも面倒くさいだろう。
危なかったり面倒くさいのは本人の自由だが、「自由を手に入れるためにバイクに乗ってるのに、どこまで行ってもスマホからは自由になれないんだなぁ」と少し気の毒に思ったりする。

で、紙の地図。MAPPLE。
同じ情報がこんな感じ↓


全体のルート、自分が走るべきコースが一目瞭然だ(地図中の赤線は私が書き込んだツーリングコース)。情報量もスマホ画面の比ではない。
昔はこういう地図をバイクのガソリンタンクの上に広げたまま走ることのできるバッグがよく売れたが、そんなものいらん。
これで十分だ↓


自宅でMAPPLEを開き、翌日走るコースをあれこれ思い描いて、コースが決まったら右左折二又など自分だけのキー・ポイントをポストイットに殴り書きして、それをガソリンタンクにセロテープで貼り付けておく。

それでも万一、道に迷った時や、ツーリング途中でいきなり別の場所にも行きたくなったときのために、サドルバッグにはMAPPLEをつっこんでおく。

紙の地図がよくて、スマホの地図は役に立たない、というのではない。
要は使い方と使う場面の問題だ。
スマホは特定の情報に瞬時にアクセスして、それを認識・理解することには向いているが、その情報を中心にしたより大きな視点から全く別の情報までを俯瞰的に把握する「フワッとした」情報把握には向いていない。
この「フワッと全体を俯瞰的に把握して発想を広げていく」という訓練をしたければ、紙の地図(それも1枚地図ではなく広域が本の形式になっているMAPPLEのような地図)を眺めて、自分の立ち位置と向かうべき場所をあれこれ考えてみるとよい。

情報調査能力や整理能力には長けているのに、物事の全体像を思い描いて、自分の立ち位置と向かうべき場所、そこに至るルートの多様性を「フワッと」掴む能力を欠いた人間が増えてきたのは、スマホの普及と無関係ではないかもしれない、と思ったりする。

ちなみに、私のツーリングの相棒はMAPPLEとこいつ↓


てるてるちゃん(私が命名)の幸せそうな顔を見ていると、紙の地図だけを頼りに、どこまでものんびりほーんと走って行きたくなってくる。

5月は、バイク乗りたちの季節である。






7日間ブックカバーチャレンジ【4日目】

2020-05-05 18:03:00 | 日記
7BCの4日目は、三浦しをんさんの「風が強く吹いている」

装画・挿画は山口晃さん。
装幀は新潮社装幀室。

箱根駅伝を目指す大学生たちの青春を描いた作品だが、私の「箱根駅伝愛」はこの作品から始まったと言っても過言ではない。

私が三浦しをんさんの大ファンであることはこのブログでも何度か書いているが、わたし的には三浦作品のベスト1はこの「風が強く吹いている」だ。

アニメ化もされているから内容を知っている人も多いだろうが、是非、原作の小説版も読んで欲しい。
特に、スポーツをやっている男の子、駅伝やマラソンをやっている人、大学進学を目指す高校生には超お薦め。

こういう作品を紹介した以上、本日のバトンは高校時代のラグビー部の同期でありキャプテンでもあった○津に渡さざるを得ませんな。「風が強く吹いている」に登場する清瀬が、何故か大○を彷彿とさせるし。
プッシュアップチャレンジのバトンを渡された仕返しお返しだい!
お返しのお返しなんて気は使わないでください、キャプテン。

ちなみに三浦しをんさんの作品では、「神去なあなあ日常」「神去なあなあ夜話」↓

(いずれも装画は金子恵さん、装幀は緒方修一さん)

「まほろ駅前多田便利軒」「まほろ駅前狂騒曲」↓

(いずれも写真は前康輔さん、装幀は大久保明子さん)

なんかもお薦め。
どれもこれも部屋のインテリアにできるほど抜群のブックカバーのセンスである。

つくづく良書というのは本の内容、そのサイズ、紙質、分量、文字の書体と大きさ、装丁、デザインの総合芸術だと思う。
このあたりのこだわりについては、「舟を編む」をどうぞ↓

(装幀は大久保伸子さん、装画・イラストは雲田はるこさん)










TODAY < TOMORROW

2020-05-04 22:40:00 | 日記
今日の7BCはお休み。

先日、ウチの近くの(と言っても車で15分くらいの距離だが)とんかつ屋さんのご主人が自ら命を絶たれた。
そのお店は、今から37年前、私が愛知の片田舎から東京に出てきて新聞配達をしながら暮らしていた商店街のはずれにある。
お店は亡くなったご主人で3代目。50年近く続いた老舗だった。
なので、もしかしたら、私も貧乏専門学生時代に一度や二度はとんかつを食べに伺っていたかもしれぬ。

緊急事態宣言発令後は東京都の要請に従って店を閉めておられたという。
遺書はなかったが、亡くなる直前は将来を悲観するような言動が多かったらしく、周囲の人たちが心配していた矢先の自死だった。

私は亡くなったご主人とは面識はないが、マラソン好きだったというご主人は年齢も私と1つしか違わない。
苦学して慶應を出た、というのも私と同じ。
そしてお店は私が最初に東京生活を踏み出した地にある。
ニュースを読んでいたたまれなくなり、せめてもの供養にと花を供えに行ってきた。
私以外にも多くの方が花を手向けておられた。


先の見えない新型コロナと緊急事態宣言。
営業自粛を(事実上)強制してくるのに、たいした補償もしてくれない行政。
日々、発生する家賃などの固定費の支払い。
家族を養っていくために夏の日差しの下の氷のように溶けていく蓄え。
3代続いた老舗を自分の代で畳まなければならないかもしれないというプレッシャーと先代、先々代への申し訳なさ。

弁護士とはいえ、私もまたスタッフを雇い、彼らと自分と、そしてその家族の生活を背負って必死に小さな事務所を経営している身だから、追い詰められたご主人が死を選んでしまった気持ちは痛いほどわかる。

痛いほどわかるけど、それでも、死んじゃだめだ。
死んで欲しくなかった。

新型コロナはいつか必ずおさまる。
緊急事態宣言は未来永劫、続くわけじゃない。
行政の対応はいつも後手後手だけど、もらえるものは全部もらって、借りれるものは片っ端から借りて、その後のことは世の中が落ち着いて客足が戻って来たらゆっくり考えればいい。
考えて考えて、頑張って頑張って、それでも借金を返せなかったら、その時はその時だ。方法はある。そのために、われわれ弁護士がいる。
人生には袋小路も行き止まりもない。
もうダメだと思っても、そこには絶対に抜け道も迂回路もある。
苦学して慶應を出て、今も42.195kmを走り抜く体力と精神力があるのに、何故、そんなことがわからなかったか。

ご主人を追い詰めたのは、後手後手の対策しか打ち出せない政府や東京都だけではない。
「感染防止」という錦の御旗のもと、「外出自粛」「営業自粛」を叫び続けて、それに従わない人たちを容赦なく糾弾してきた圧倒的多数の正義の味方たちだ。

店と家族の生活の両方を守ろうと一人で踏ん張っていたご主人の耳には、「外出自粛」「営業自粛」は自分に対する死刑判決にしか聞こえなかっただろう。
「外食を控えてください」とバカの一つ覚えのフレーズを繰り返すのではなく、「少しの間だけ外食は控える。そのかわり、緊急事態宣言が解除されたら、この店に来て、腹がはち切れるほど食べて飲んでお金を使う。国がくれるという10万円はそのために使う。必ず戻って来る。だから、それまでなんとか耐えてほしい。俺たちが絶対にお店は潰させない。」と言ってあげられなかったか。

ご主人を追い詰めた圧倒的多数の正義の味方の一人は、間違いなく私だ。
薄っぺらな正義はいつだって世の中のいちばん弱い命を踏みつけにして前に進む。

でも。
いつだったか、このブログに書いた。
しつこいと思われようと、もう一度書く。
自ら命を絶つ奴がいなくなるまで、何度でも書く。

悲観は気分、楽観は意思だ。

自らの命を絶たなければならないほどの不幸なんて人生には存在しない。
落ち込んだ気分で下を向いていたら、足元に転がってる悲惨な今日しか目に入らない。
辛いときに下を向いてため息つくのは猿でもできる。

顔を上げて前を見よう。
顎を上げて上を向こう。
今日で世界が終わるわけじゃない。
明日がある。
今日より明日。
TODAY < TOMORROW

明日は今日よりいい日になる。
絶対だ。
俺が保証する。

だから、誰も死ぬな!









7日間ブックカバーチャレンジ【3日目】

2020-05-03 10:02:00 | 日記
7BCの3日目は松井優征の「暗殺教室」(全21巻)

14巻以降のカバー・表紙デザインは久持正士さん+土橋聖子さん(hive&co.,ltd)

多くの方の7BCを拝見しているが、コミックを紹介される方が少ないのは何故だろう。
私の知る限り、コミック(と言っていいだろう)を取り上げてくれたのは、スヌーピー本を紹介してくれた私の仲人でラジオ・プロデューサーのIさんだけだ(他にもいらっしゃったらスイマセン)。

こういう流れを見ていると、「本を紹介する」=「自分の知の部分を他人にさらけ出す」=「コミックは子どもや知的レベルの低い人が読むもの」=「小説とか評論とかの方が絵が中心のコミックより知的創作物としてのランクは上」=「コミックを他人に紹介するのはちょっと恥ずかしい」という、人々が無意識に持ち続けている価値基準が伝わってくる気がする。
いまや、日本のコミックは国を挙げて世界に売り込んでいる、我が国の誇るべき知的財産の一つだというのに。

コミックだからといって馬鹿にするなかれ。
この「暗殺教室」、長男が読んでいたのを借りて読み始めたのだが、めちゃめちゃ面白い。
面白いだけでなく、「思春期の子どもたちをいかに学ばさせ、いかに成長させていくべきか」という普遍的なテーマに対する一つの答が実に分かりやすく、説得的に描かれている。
受験エリートのなれの果ての、ピントのボケた教育評論家とか子育てアドバイザーのつまらない教育本・子育て本を読むくらいなら「暗殺教室」全巻をGW中に読破した方が遥かによろしい。
私自身、「暗殺教室」から子育てのヒントをもらったり、自分の子どもとの接し方の間違いに気づかされたことが山のようにあった。
たしか映画化されてもいたはずだが、まずはコミック全巻読破を。
ちなみに実質的な最終巻である20巻は何度読んでも大泣きする。

あと、お気づきの方も多いと思うが、私は7BCでアップする本のカバー写真に必ず「表紙・カバーデザイン」を手掛けたデザイナーの方のお名前を表記するようにしている。

小説だろうが評論だろうがコミックだろうが、本というのはその内容だけで成立しているものではない。

かつては「装丁家」と呼ばれた方々が作ってくれた、本の内容が一目で伝わる、それでいて美しく、書店で思わず手に取ってしまいたくなるようなカバーデザイン。それもまた、「本」の(少なくも活字本の)重要な要素の一つだし、弁護士風を吹かせて言わせて貰えば、本の内容とは別個独立の、評価すべき「著作物」だ。
著作物を写真に撮ってインターネット上で公開する行為を「複製権」と呼ぼうと「公衆送信権」と呼ぼうと「送信可能化権」と呼ぼうと、そんなことはどうでもいい。

7BCに参加された方がFB等で紹介したい、と思った本は、その内容はもちろん、そのカバーデザイン、装丁にも惹かれたものではなかったか?

ましてや、このイベントの正式名は「ブック・チャレンジ」ではなく、「ブックカバー・チャレンジ」。
焦点は作品の中身ではなく、「ブックカバー」=「表紙のデザイン」に当てられているはずだ。
最初にこのイベントを企画して始められたのが誰かは知らないが、その最初の趣旨に立ち返ろう。

著作権法上の氏名表示権うんぬんはさておき、自分を感動させてくれた作品を手掛けたアーティストのお名前を作品とともに紹介するのは、作品から感動をもらった人間が作品と作者に払うべき最低限のマナーだと思う。

作家名のみが紹介され、素晴らしいカバーデザインを手掛けたアーティストは名前すら顧みられることがない。
ここにも「小説」>「コミック」という図式と同様、「本の作者」>「装丁家」という暗黙の価値基準が(私自身も含めて多くの人の心に)存在してはいないか?

自分の大好きな本を人に紹介する、ということは、自分の内面にある著作物に対する無意識の序列に向き合い、それを再構成して、自分を感動させてくれたすべての創作者をリスペクトし直す、ということでもある。
そういう機会を与えてくれた7BCと、バトンを渡してくれた高橋いさをさんに感謝する今日この頃である。




7日間ブックカバーチャレンジ【2日目】

2020-05-02 09:15:00 | 日記
はい。1日、間が空きました。
いきなり7BCのデフォルト・ルールだったらしい「7日間連続で・・・」は守れてませんね。
で、それが何か?

さて、7BCの2日目は原田マハさんの「キネマの神様」

写真は文春文庫版。
カバーイラストは都筑まゆ美さん。
カバーデザインは大久保明子さんだ。

2〜3年前から私は、これまでの「新聞やネット上の書評を参考にしたり、本屋さんをブラブラして目についた平積みの推し本を買って読む」という読書法を止めた。
代わりに酒食を共にする機会を頂いた方々に、お酒の場で、

「あなたが一冊だけ、私に薦めてくれるとしたらどんな本ですか?」

と質問して、教えて頂いた本を読むようになった。
その時々の流行や商業的なイメージ戦略にも流されない、実際に顔を突き合わせて酒を飲み胸襟を開きあった方が悩み抜いて教えてくださる「人生最高の一冊」は、まさに「その方の半生と人格」を体現していて、ワクワクすることこの上ない。
教えてもらった本はその場でAmazonで注文する。私はprime会員なので早ければ翌日には自宅か事務所に本が届く。タイトルや著者名をメモする必要もなければ、酔っ払ってメモを失くす心配もない。
いやぁ、便利な世の中になったもんだ(←ジジイの定型表現)。

この「キネマの神様」は誰あろう、私を7BCに引きずり込んだ高橋いさをさんが薦めてくれた一冊だ。
「狂」が付くほどの映画好きないさをさんらしい一冊だが、文句なしに名作である。
今回、7BCにアップするために読み返したが、やっぱりラスト4分の1あたりでダダ泣きした。

先日、急逝された志村けんさんの主演で映画化も決まっていた。
志村さんの演じる主人公ゴウを観たかったのは、きっと私だけではないだろう。
何よりゴウを演じる前に「エンタの神様」に召されてしまった志村さんの心残りはいかほどだっか。

ネタバレは避けるが、志村さんの急逝は、この「キネマの神様」のストーリーそのままでもあった。
「名作」というのは時として作品の内容を超えた不思議な偶然と、小説以上のドラマチックな符号を生み出すものだ。
「災い転じて」ではないが、その意味でも「キネマの神様」は志村さんの急逝によって名作たるべき一条件を手に入れてしまったとも言える(著者の原田マハさんからは「そんな条件いらない。駄作でいいから志村さんに生きていて欲しかった」と叱られそうだが)。

ちなみに作品中では最後までゴウとローズ・バッドが選んだ「人生最良の映画」の題名は明かされないが、その映画の印象的な美しいオープニングシーンが小説の冒頭とエンディングに丁寧に描かれていることで、映画好きな人ならちゃんとその映画が何だったのか分かるようになっている。

どうせ今年のGWは「おうちにいましょう週間」だ。
この記事を読んで興味が湧いた方は「キネマの神様」を読んで、ゴウたちが選んだ「人生最良の映画」を当ててみてください。
ちなみに私は一発で分かりましたぜ。

えっへん。

あ、今回のバトンは名前は明かさないけど、いさをさんと同じくらい長くお付き合いさせて頂いている、新宿御苑前にある劇場というかスタジオ「S-S」の支配人のSさん(おお、コードネームがSSSだ)ってことで。