あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

顔彩を並べる午後の四畳半  あきオジ

2010-11-05 19:00:43 | 日記
東にかくも透徹の月を耕す音  兜太

歩みゆきや稲妻片片(へんぺん)と散りぬ  兜太

(言葉を並べて新しいイメージを作り出そうとする手法は蕪村も使っていましたから、なるほどと思いますが、それをいくつも重ねると複雑すぎて素人には「無理やり理解」も難しいですね。何か分かろうなどを思わないことなのでしょうが、それもまた大変です。まあまあ、無理することはありません。分かる句だけを当面は探していきましょう。)

菊香る庭に水まく一人者   あきオジ

2010-11-05 18:20:45 | 日記
神代植物公園の菊です。
展示会開催中です。
威風堂々としている。
どこかに厳粛さと尊大さが隠されている。
そんな気がします。

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しぐれて人が海を見てゐる  山頭火

(四国遍路しているときの句だということです。「しぐれる」を多用する山頭火も日本人の底流にある心情を深くもっていたことが分かりますね。「人が見ている」それを山頭火が見ている。そんな構造をもっているのですね。そんな深いところを読みとるつもりはありませんが、複雑な句だということが分かりました。)

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シューマンとショパンのピアノ協奏曲を聞きながらお絵かきをしました。
NHKではそのような番組をいっぱい流しています。
でも音楽聴きながら絵を描くというスタイル
私には似合いません。

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顔彩と青墨を使ってハガキに一気描き
そう簡単にはいきません。
今日は一点もできませんでした。
気力が充実していて
イメージがはっきりしていないと
それらしい絵が描けませんね。
そんな日もあります。
でも、始めたのですから進むだけです。
楽しみが増えました。

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薔薇二輪夜の長さを語り合う   あきオジ

2010-11-05 17:34:17 | 日記
神代植物公園の薔薇です。
実物と写真とでは色合いが違いますね。
断然、実物の方が美しいですね。
特に、「赤」が

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朝々を掃く庭石のありどころ  放哉

とつぷり暮れて足を洗つて居る  放哉

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私は民間テレビ番組を見ることはほとんどありません。
見る番組がないというそれだけの理由なのですが
民間テレビでは「○○殺人事件」という番組が多いですね。
最初から実力派俳優がさりげなく登場して
展開が見えてしまう
そんな貧しさが嫌いなのですが
けっこう人気があるのだそうですね。
人は殺人まで娯楽にしてしまう能力がある。
そんな怖さを感じますね。
それを「娯楽なのだから」と言い切れないですね。
時代劇のような明らかに作りものと同じにはできないですね。

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NHKのハイビジュン番組ばかり見ていると
時代の流れからはずれてしまいますが
それはそれなりに楽しいものです。

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遅れ来た薔薇のかそけき咲きぐあい  あきオジ

2010-11-05 06:47:02 | 日記
神代植物公園の薔薇は冷たい風にあったのか
雨に打たれたのか
いかにもおしまいという雰囲気です。
一気に切り取ってほしいですね。
人にも薔薇にも
その人の季節があるのです。

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大根ひき一本づつに雲を見る  一茶

(私には、このような長閑な景色をそのまま歌った句に魅力を感じます。いまどきの小学生で作れるような句なのでしょうが一茶が詠んだところが面白いですね。時代を思ったり信州の風景を想像したり、野良仕事をなどしなかった一茶が「とりあえず」手助けした。そんなことを考える面白いですね。)

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「俳句の世界」(小西甚一著)をときおり、開くのですが、俳句は「素人」の句が断然面白い。それだけは分かりました。しかし、プロを目指した素人の句は好きにはなれません。野良仕事したり、漁師をしたりしながら、当たり前を大切にした人のやぼったい句がいいですね。人も同じなのでしょうね。

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夕風が細き脛を通り抜け  あきオジ

2010-11-05 06:08:06 | 日記
風を感じる
あれこれ同じようで同じではないのです。

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おわかれの水鳥がういたりしづんだり  山頭火

燕とびかふ旅から旅へ草鞋を穿く 山頭火

(山頭火の溢れる思いを切り刻んで残ったものを句にする。それはそれで自分の句ですから、かまいませんが、相当に周囲の評価を意識しているのでしょうね。自分だけの句だったら、こんな表現はしないだろうなという用法があるからです。でも、思えば誰かが読むことを想定しない句などそうあるものではありませんからね。)

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「部屋灯り」照明となる秋深し  あきオジ

2010-11-05 05:56:05 | 日記
MOA美術館の光悦の工房を摸した
建物の灯りです。
今は「あかり」ではなく照明なのですね。
表情もなく、感謝もなくなりました。

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炉のはたやよべの笑ひがいとまごひ  一茶

(昨夜見せた笑い顔が最後だった。いま、こうして、囲炉裏ばたにいると、あの笑い顔が思いだされてならぬ。金子兜太)

何として忘れませうぞかれ芒  一茶

(旅から帰ってきたら、知人の臨終のときだった。そのときの句です。いい句ですね。)

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お絵かきを始めたら余裕がなくなってしまいました。
まあ、そんなものです。
ぼちぼちです。