あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

秋の朝団子ですごすそれもいい あきオジ

2010-11-20 18:51:21 | 日記
涼風や何喰はせても二人前  一茶

(菊女の出産のときの句なのですね。そのまんまの句です。そんな「ありのまま」が一茶であり、魅力ですね。)

一吹の風も身になる我家哉  一茶

(一茶は父親の遺産分割の調停により田畑や家の半分を手に入れています。弟がどうのこうのということではなく、一茶の方が強引だったと思えるようなことになっているような気がします。それほど信州は貧しいところだったのでしょうかね。)

あの月をとつてくれろと泣子哉  一茶

・・・・・・・

万葉集を読むときは緊張します。一読しただけでは意味が読みとれないからです。
解説を読んで「なるほど」になるのですが、それでも、解説がなければ輪郭さえつかめないのです。

俳句の時も同じです。
日記が添えられていると何とか見当がつくのですが
それがないと俳句だけでは想像もできないのです。
補助的な情報がないと理解できないのでは困りますね。

・・・・・・・・

秋なのに返信メールの味気なさ  あきオジ

2010-11-20 18:41:53 | 日記
涙なし蝶かんかんと触れ合いて  金子兜太

(兜太の句は相変わらず言葉の空間を埋めることができません。そして、異質な言葉が私の中ではちっとも化学反応しないのです。まあ、それまでのことです。嫌になったら捨てればいいのですから。まあ、そう慌てないで読み続けましょう。それがいい。)

・・・・・・

返り花あからさまなる梢かな  放哉

(出家前の句ですね。技巧的ですし整っている。そんな印象です。素人の感想ですから、あてにはなりませんが、そんな感じです。でも、そんなことを思うと、放哉はこのような技巧的に正統な方法をどうして放棄したのでしょうかね。不思議です。きっと、心の波長が正統的な語調では馴染まなかったのでしょう。)

・・・・・

コスモスが何も残さず散る日なり  あきオジ

2010-11-20 18:34:52 | 日記
現代作家で取りあげたことがあるのは金子兜太
そして角川春樹ですかね。
少しずつ増やしていきたいですね。
でも、まだまだ、そのようなことを考える段階ではなさそうです。

・・・・・

わが死後の空にこゑある天の川  角川春樹

炎天の誰にも逢はず帰りけり  角川春樹

・・・・・・


南天の実がこぼれおつ朝になり  あきオジ

2010-11-20 07:24:43 | 日記
塩山の町で見つけた風景です。
さびれた町ですが、写真を撮るにはいい風景ですね。

・・・・・・

故郷の人と話したのも夢か  山頭火

伸ばした足にふれた隣の人は四国の人  山頭火

(このような旅の感想が語れる生活も魅力的ですね。できそうもないから、してみたい。憧れる。その中途半端感覚、嫌いじゃありません。)

・・・・・・

毎日寒さが気になります。
でも、紅葉を楽しみに出かけたいですね。

・・・・・・

山門の額雨にぬれ秋深し  あきオジ

2010-11-20 07:05:09 | 日記
恵林寺山門の額ですね。
このような額を取材して回るのも面白そうですね。
江ノ電マニアが溢れているのでどうしようかと思っているのですが
山門だけを追いかけ
額を写真に撮るのも面白い
でも、そのような趣味を持っている人は大くなさそうだし・・・。
まだまだ、自分がよければ、そうは思えないのです。

・・・・・・

枯枝に鴉のとまりたる秋の暮 芭蕉

(いかにも芭蕉らしい。そんな感想がありますね。この句からあれこれ引きだして心境の高さなどを言う人もいますが、それほどの思いを感じる段階ではありませんね。
まだまだ、秋の風景であり、懐かしい風景である。いかにも芭蕉らしい表現であるという思いですね。芭蕉のばあい、一人ではなく、いつも隣に人がいる。そんなことを感じるのです。だから、芸術家だということなのでしょうかね。)

・・・・・・

自分が自分を楽しむ。