あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

今日だけは重なり合って秋終わる  あきオジ

2010-11-11 20:25:52 | 日記
若い子らいつかわかればなれになるのですね。
だから、大いに楽しんでほしいですね。

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こがらしや頬腫痛む人の顔  芭蕉

西行の草鞋もかかれ松の露  芭蕉

(なぜか、どれを選ぶか迷うのは芭蕉です。自分の感覚に馴染むのはほとんどが名句という評価が定まった句です。それ以外の句に魅力ある句が見当たらないのです。古ぼけた掛け軸を連想するようなものが多いのです。きっと、読み方が足りないのですね。しばらく休んで読みなおしましょう。これって、俳句の特徴だと思います。面白さを感じるとどれもこれも新鮮ですが、その気がないと、「なにこれ?」で終わってしまうのです。)

息白く火を焚く朝の無駄話  あきオジ

2010-11-11 18:32:17 | 日記
昭和記念公園の銀杏です。
この銀杏を見ると一年が終わったような気分になります。
そんな単純さでいいのでしょうか。

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わがからだ焚火にうらおもてあぶる  放哉

(懐かしいですね。「分かる。分かる」と思わず独り言。それにしてもこのような焚火は見ませんね。消防署の規制が厳しいのでしょうかね。風情がないのではなく風情を求めない時代ということかもしれませんね。)

ころ柿が気になる今朝の寒さかな   あきオジ

2010-11-11 05:37:44 | 日記
寒星や神の算盤ただひそか  中村草田男

(映像的であるし、観念的ですね。観念的なテーマでなるほどと思った句にお目にかかったことはありません。意図した内容が読んだ人に十分に伝わらない弱点があるのでしょうね。句会などでお互いに解釈したり、読み方を披露し、作者の意図などの説明がある。その全体が俳句なのでしょう。その全体の一部で理解したり、感じたりすること事態を想定していないのですね。きっと「お茶会」などと同じなのでしょう。)

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昨年ブログのコメントに「自分では作らないのですか」という問いかけから始めたのですが、「俳句もどき」に近づいた気がしますが、「日記がわり」というスタンスはことのほか居心地がいいですね。去年のころ柿の記事等で出かける時期を確かめたり、忘れていた穴場などを思いだすことがあります。でも、写真で思いだしますが、俳句では思いだすことは少ないですね。それほど深いところで作っていないことが分かります。

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柿一つ残す庭の空広し  あきオジ

2010-11-11 05:17:05 | 日記
郵便も来ない日のつくつくぼうし  山頭火

(手紙は社会とつながる数少ないものなのでしょうね。その手紙が来ない。きっと、山頭火は相当の量の手紙を書き、日記などを書くような人だったのでしょう。自分が出した手紙には返事がくる。そのように信じていたのでしょうね。「郵便も」とあるのは「ましてや人さえもこない」ということなのでしょうが、一人の生活の侘しさを感じますね。)

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山頭火にしても放哉にしても、俳句という優れた社会とつながる大きな場があった。それが、それすらもない人との大きな違いですね。パチンコ依存症の老人の記事がありましたが、パチンコさえしないで蹲っている人もいるのですね。

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柿の季節ですね。
塩山に出かけるのは下旬でしょうか。