あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

さらさらとたださらさらと秋の川  あきオジ

2010-11-16 20:01:54 | 日記
御嶽です。
玉堂美術館前の銀杏が見たくて出かけました。
やはり、いいですね。
申し分ない風格と色合い。

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凩のふけてゆく澄んでくる心  山頭火

月夜、あるだけの米をとぐ  山頭火

(「しみじみ」と「儚さ」が日本俳句のバックボーンですね。そうでなければ、評論家が何と言おうと、山頭火が多くのファンをもつ理由が説明付きません。子規にはそれが感じられないのですね。年齢の問題もあるのでしょうか。)

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紅葉谷ながれ砕ける寒さかな  あきオジ

2010-11-16 19:24:02 | 日記
御嶽に出かけました。
紅葉の時期ということもあり
人が溢れていました。

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少し熱がある風の中を急ぐ 山頭火

山の一つ家も今日の旗立てて 山頭火

(出家者して、人と離れて暮らすことを覚悟しているとは思えない人への関心の深さは、複雑というより、人間らしい弱さむき出しにしている。それが魅力なのですね。不思議です。)

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柿の実が飛び散る甲斐の真昼とき  あきオジ

2010-11-16 06:40:44 | 日記
塩山郊外の柿の実です。
空が高く、空気も冷たくていいですね。

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あついめしがたけた野茶屋  放哉

森に近づき雪のある森  放哉

(放哉も山頭火も日記を合わせて読むとか、いくつもの句をまとめてやないと理解不能な世界であるようです。そのことが分かりました。評論家などは交友関係まで調べて、それぞれの俳人の人柄を確かめます。それが仕事なのでしょうが、素人にはそこまでやらなければ理解できないの?大変さがあり、たくさんよまなくてはいけないという煩わしさがあります。そのものがすべてを語る。それが短歌や俳句なのでしょうが、とくに俳句には説明できないという制約を自らに課した形式ですから、大変ですね。)

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私は社会からはみ出したおじさんが俳句にすがみついて生きてきた。その姿に興味があるのです。山頭火もそうですし、放哉にしてもそうですね。短歌の山崎方代にしても同じです。教養人で社会地位もある歌人が頭で構築した作品に興味を引き付けられたことがありません。読み方が足りないのでしょうが、匂いだす体臭が感じられないと興味をもてないのです。はいつくばるように生きてきた人の作品がいいですね。万葉の防人の歌とか・・・。まあ、ぼちぼち楽しみましょう。短歌に興味を持ったのは、「日めくり万葉集」が始まってからですから、まだ、始まったばかりですからね。

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トンネルをぬければ銀杏の世界なり  あきオジ

2010-11-16 06:10:09 | 日記
山路来て何やらゆかしすみれ草  芭蕉

(芭蕉も時代の人であったし、新しい波を生んだ人だと思いますが、今の時代に生きる者としては「だからなに」と言いたくなるような「枯れてしまった」境地なのですね。「美は乱調にあり」という素敵なことばが好きなのですが、乱れや破たんが楽しい句でないと、落ち着きが悪いのです。この句には「境地の透明さ」もあるし、画面の厳格さもある。でも、破綻がない。そんなことでこの句を選びました。)

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昨日は雨でした。
昭和記念公園の銀杏は散ってしまったのでしょうか。

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笛吹のさらなる山に冬せまる  あきオジ

2010-11-16 05:58:06 | 日記
方代の郷里はこのさらに奥まったところです。
思えば、方代が鎌倉で暮らしたのは
頼りになる姉が横浜で生活していたこともあります。
そして郷里には生活をすることができる条件がなかったのですね。
知る人も少なくなった山間の生活
収入を得る方法も見当たらない。
この山の風景を見て、そんなことを思いました。

里山もいいけれど
生活の土台があればの話ですね。

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木枯の果てはありけり海の音  言水

(現代の俳人の句です。洗練されており、写生に忠実という感じですね。こんな窮屈さが現代作家の特徴ですね。)

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歌人は歌集になった。そう思えば和歌の世界は堂々と生きている。
そんなことを思って、ひとりで納得しています。
典型的なじいさんの発想法ですね。

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